第278話:秘匿魔術の神髄

 キィリイェーロが行使しようとする魔術は代々の長老にのみ伝えられる秘匿ひとく魔術の一種で、様々な制限がつきまとう。それらを全て解除しなければ発動さえできない。それほどの大がかりかつ必勝をした魔術でもある。


 二人の補佐が気がかりな表情で長老の横顔を見つめている。


 補佐というだけあって、魔術の原理は聞かされている。説明されたところで仕組みは全く理解できなかった。ただ制限解除の一端をになう。それだけを知っていればよい、というのがキィリイェーロの言葉だった。


(長老はこの魔術に全てをけるというのか。もし、ここで使ってしまえば長老は。パレデュカルはそこまでの男なのか)


 ミヴィエーノもチェシリルアも、パレデュカルとは初対面ではない。シュリシェヒリがなりそこないセペプレどもに襲撃され、重傷を負ったキィリイェーロのもとにやって来た彼と顔合わせを済ませている。


 その時は塵芥ちりあくたのごときぞんざいな扱いを受け、早々に退場させらてしまった。強烈な印象となって脳裏にきざまれている。


(パレデュカルは危険すぎます。エルフ属の力をはるかに凌駕りょうがしています。このまま捨て置くわけにはいきません。かといって、私たちの力では)


 二人は補佐として優秀かもしれない。それは外界との接触をったシュリシェヒリの里内に限っての話だ。まさに井の中のかわず大海を知らず、彼らは外界にどれほどの実力者がいるか理解できないでいる。


 レスティーは異次元の存在としても、キィリイェーロたちのそばに立つオントワーヌも間違いなくその中の一人だ。だからこそ、二人は素直に思ってしまう。せっかくの助力、先代ルプレイユの賢者に全てを任せてしまえばよかったのに、と。


 二人の補佐の想いをよそに、キィリイェーロもまたひど葛藤かっとうしていた。


 パレデュカルことダナドゥーファがサリエシェルナに手を引かれ、初めてシュリシェヒリにやって来た時のことがつい昨日のことにように思い出される。


 一目見た瞬間、信じがたいほどの潜在能力を秘めていることに気づかされた。サリエシェルナを除けば、察知できたのは他に兄ジリニエイユのみだ。それは使い方を誤れば、エルフの里などいとも簡単に滅ぼしてしまうほどの脅威でもあった。


 それほどの幼子おさなごの面倒を誰が見るのか。キィリイェーロとジリニエイユは長時間にわたって激論をわした末、最終的にはジリニエイユが責任をもって預かることが決まった。その内容については一切口外されておらず、二人以外に知る者はいない。


 それがそもそもの間違いの始まりだった。


 ジリニエイユはそれよりもはるか以前から深謀遠慮しんぼうえんりょめぐらし、最適な手駒を探していたのではないか。今となってはそう思わざるを得ない。


 当時はまだジリニエイユが次期長老の既定路線に乗っており、彼の意見を前にキィリイェーロは折れてしまった。実の兄がいかほどの野望をいだいているか、知るよしもない。


 結局のところ、押し切られた形で兄にダナドゥーファを託した。そのこと自体に後悔はない。あるとすれば、歩み寄りが足りなかったことだ。


 自身の中に暗黒エルフのダナドゥーファを差別する意識があったことは間違いない。その感情は決して表には出てこない。出さなくとも、多感で才能に恵まれたダナドゥーファはすぐに気づいただろう。


 それからの長らくの歳月としつきて、ジリニエイユに鍛え上げられたダナドゥーファはシュリシェヒリきっての戦士に成長していった。その実力は秘めた潜在能力もあってか、優にキィリイェーロを上回り、里内最強のジリニエイユに最も近い存在となっていた。


(ダナドゥーファよ、あえて今一度言おう。許してくれとは言わぬ。私は長老としての責務を果たすのみ。私の命に代えて、お前を封じる)


 キィリイェーロは深く息をつくと、手にする魔術杖サティリツィアを大地に深々と突き刺す。呼応して補佐の二人も所定の位置へとける。


「これより秘匿ひとく魔術に取りかかる。プルシェヴィア、旋律せんりつ魔術でパレデュカルの魔術を眠らせよ。トゥルデューロ、お前はプルシェヴィアをまもれ」


 キィリイェーロが突き立てた魔術杖サティリツィアを中心にして、半径三メルク程度の正円がまばゆい白光を散らしながら描き出されていく。この状況を前にして、さすがのパレデュカルも視線をかたむけざるをない。


「キィリイェーロ、本気だな。代々の長老のみに受け継がれる秘匿魔術、とくと見せてもらおうか」


 文字どおり魔術の本質は秘匿されている。一時期、次期長老とも目されていたパレデュカルでさえ知らない。知っているのはこれだけだ。秘匿魔術を行使できるのはただ一度だけ、そして己の魔力は枯渇し、永遠とわに魔術が行使できなくなる。


(エルフ属の長老にのみ許された秘匿魔術ですか。私も実際に見たことはありませんが、しかしその魔術を行使すれば)


 やはり任せるべきではなかった。オントワーヌの表情がわずかながらにくもりを見せる。今からでも代わるべきか。


(駄目ですね。彼らの心意気を無にすることになります)


 迷いを振り切り、オントワーヌは当初どおり、亡者の始末をキィリイェーロたちに任せる。


 チェシリルアとミヴィエーノは既に定められてた位置にてその時を待っている。二人もキィリイェーロ同様、自身の武器を大地に突き刺している。


 キィリイェーロは精神集中に入っている。その右手が静かに魔術杖サティリツィアに添えられた。つむぐは秘匿魔術を解封するための言霊ことだま、もちろんエルフ語だ。


「ハーミ・ニハーラ・リュゾ・ソリュナダー

 ゼヒリィ・ミエーヌ・オトゥロ・エズー

 ヴァナイ・ベティア・メーレヌフヌ」


 紡ぎ出されていく言霊が力強さを増していく。比例して円周をいろど光芒こうぼうが揺らめき、大きく波打つ。


 光と闇は表裏一体、闇の権化ごんげたる亡者は円周の外で立ち止まり、一歩たりとも前に進めないでいる。理性を持たぬ亡者でも分かっている。それに触れれば終わりだということを。


 キィリイェーロの言霊にあわせてプルシェヴィアもまた旋律魔術をかなでる。彼女の目的は亡者を使役する魔術を眠らせることであり、さらにはもう一つある。


「ルーヴェレイ・ユールアー・シュリエ・ネーデ

 ヌエディーシ・サリュシー・キエネテ・リーヘ」

 ソアラン・ファノ・ラナ・アーラグ・ミハーセ」


 キィリイェーロとプルシェヴィア、二人によって編み上げられていく至高しこうの魔術はパレデュカルの合成魔術をも凌駕りょうがする。


光滅芒消儺祓陣壱之段バルトゥロヴニア


 成就した秘匿魔術の壱之段いちのだんき放たれる。


 キィリイェーロが行使したそれは亡者そのものを弱体化させ、力を奪い取っていく。大波となった光芒が亡者めがけて押し寄せ、光と闇が折り重なるようにして混じり合っていく。


 苦しげに吐き出す咆哮ほうこうは光波にさえぎられ、あまつさえ押し戻され、自らへと還流かんりゅうしていく。


頃合ころあいですね。全てを眠りの中に。夢睡落眠沈底幻フォレドソフォイユ


 そこへプルシェヴィアの旋律魔術が歌となって降りそそぐ。


 パレデュカルの闇の魔術は歌の抑揚よくようの中で眠りに落ち、亡者の制御を不可能とする。そして、もう一つの目的だ。制御権を奪ったプルシェヴィアはさらなる旋律を夢睡落眠沈底幻フォレドソフォイユに乗せて奏でた。


「サミィリー・スディア・ナヴァレ・ラートゥル」


 美しく柔らかな響きが大気に溶け込み、亡者を優しく包んでいく。


 これが駄目押しとなった。結果として、亡者は生者を食らうという衝動と本能さえ奪い取られ、旋律のいざないのままに自ら光芒の中へと歩を進めていく。


「二人がかりで俺の魔術をおさえ込んだか。なるほど、見事だな。だが、まだ第一の壁をぎ取ったにすぎぬ」


 あわれれな亡者は光芒に触れるや、波にさらわれるがごとく触れた部分から消滅していく。打ち寄せては引き、引いてはまた打ち寄せる光波は徐々に強さを増し、亡者を完全にみ込んでいった。


 パレデュカルの多段魔術は第一の壁が破られただけにすぎない。次は第二の壁が控える。すなわち、中位シャウラダーブ本体による攻撃だ。


 キィリイェーロとプルシェヴィア、二人の魔術はまだ生きている。


 亡者というからぎ取られたことで自由を取り戻した中位シャウラダーブ二体は、既にキィリイェーロが創り上げた光芒内に立っている。


 魔霊鬼ペリノデュエズは邪気、光の力による影響を受けない。中位シャウラダーブは即座に三人を獲物えものと認めた。キィリイェーロと補佐二人だ。手当たり次第に食らう本能の赴くまま、闇雲やみくもに襲いかかる。


「知能がなさすぎる。ここは我が領域内、自由にはさせぬ」


 右手を添えた魔術杖サティリツィアから四方八方に光が疾駆しっくする。まるで蜘蛛くもの巣を形成するかのように縦横無尽に駆ける光が、中位シャウラダーブの可動域を狭めていく。


「リィグルイェキュム

 ナハ・ザォエ・キーリィ・ゾニミ

 ハーミリィ・レベーレ・ンピィア」


 動きを封じられた中位シャウラダーブの足元だ。


 視覚では捉えられないほどに細く研ぎ澄まされ、超高熱をまとった無数の光糸が凄まじい速度で立ち上がり、中位シャウラダーブの身体を刹那せつなの内に寸断していった。

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