第277話:多段魔術の脅威

 オントワーヌがここまで威圧的な態度を見せるなど極めてまれだ。相応の覚悟を示すためでもある。


 パレデュカルの心情を完璧に理解しているとは言いがたい。そもそも、他者の心情など分かりようがない。そのうえで彼の力を封殺ふうさつすると宣言した。


 具体的な示唆しさはない。必要がないほどに、パレデュカルは承知しているだろう。


「その力はこれを最後に使えなくなります。試したいことがあるなら、今のうちですよ」


 密度が薄かったもやは既に漆黒に染まり、パレデュカルの周囲を浮遊している。


 大胆不敵なオントワーヌの言葉にも無言を貫く。今は魔術行使のために最大限、集中しなければならない。言葉を発する余裕などない。


 下方にらした両腕に添うように漆黒の靄が厚みを増していく。パレデュカルは目を閉じ、両の手のひらを開き、詠唱に入った。


"Seejid wilik yfjisr zkarpg

Turlgisep dsdeus suigavyftet,

Kruqrjfa desty-qeopjzti.”


 かつてディリニッツと戦った際に見せた虚潜空眼無尽球マグヴ=スファーラではない。詠唱を途中で切っている。これでは魔術が発動しない。


(問題ない。あくまで事前準備の詠唱だ)


 あらゆる魔力を食いあさる一つまなこの小球は、パレデュカルの切り札の一つでもある。それを不完全な状態でとどめ置く。このままでは小球の完全顕現けんげんはありない。


くらき闇より生まれし破滅の力よ

 我が求めに応じて新なる姿を現したまえ

 エレダウ・ラジューレ・ツェイナ・グゲルオ

 レヴェン・アザーグ・ラダナ・ファダブロヴ」


(そう、それしかないでしょう。暗黒の闇の魔術に漆黒の靄、すなわち魔霊鬼ペリノデュエズの力を掛け合わせる)


“Lioryiguw nmvisghw pmjuzdq tparuminu,

Xagradaioj ebniy lldepus."


(即興そっきょうで創り上げましたか。詠唱を分断、間に別の詠唱を組み込む。見事ですよ)


 さすがにビュルクヴィストが認めただけのことはある。持てる才能をもっと別の方向で伸ばしたなら。今さら言ったところで詮無せんなきこと、オントワーヌは本心から残念がって、首を横に振ると、左手にした禁書を初めて開いた。


 開く前からあふれ出していた魔力がさらに活性化していく。膨大な波となって大気を揺さぶり、光が奔流ほんりゅうとなってけ巡る。


 かたやパレデュカルが行使しようとしている魔術は、最上級魔術の中でも最高難度に位置づけられる。


 ディリニッツが中位シャウラダーブを倒すために用いた絶妄嘆叫執滅獄ドゥヴロディニダをもしのぎ、そこにあらゆる魔力を食う小球、さらには魔霊鬼ペリノデュエズの力をも掛け合わせているのだ。


 パレデュカルの両の手のひらに漆黒の靄が凝縮されていく。ようやく完全顕現を見た一つまなこの小球を強引に漆黒の靄をもって二分割、そのまま包み込んでいった。


 あらゆる魔力を食らう小球も、邪気じゃきたる漆黒の靄は排除できない。一つ眼が苛立いらだちもあらわに、せわしげに動き回っている。


 漆黒の靄の外側には魔力という名のえさがふんだんにあるにもかかわらず、全く手が届かない。パレデュカルの魔力制御はそれほどまでに緻密だった。


 詠唱はまだ成就じょうじゅを見ていない。最後の言霊ことだまを唱えてこそ、パレデュカルの魔術は完成する。


"Osjiediunv ymou lopw hfdkotisbz."


 高らかに響き渡る。漆黒の靄が瞬時にふくれ上がり、一つまなこを完全に内包した状態で人型を形成していく。


「二体の中位シャウラダーブですか。そして小球は、なるほど、二段、三段構えというわけですね」


 パレデュカルの両の手のひらから漆黒の靄が完全に分離した。


「行くぞ、オントワーヌ。終亡滅獄霊冥朧ロヴァム=アガラドゥ


 パレデュカルが魔術を解き放つ。


 即座に直立した人型たるその姿は魔霊鬼ペリノデュエズでありながら、亡者もうじゃにも見える。


 絶妄嘆叫執滅獄ドゥヴロディニダなげきの亡者を呼び出し、悲嘆の咆哮アンデムノンをもって敵をほうむるる魔術だ。


 パレデュカルの行使する終亡滅獄霊冥朧ロヴァム=アガラドゥは、魔霊鬼ペリノデュエズに亡者の力を強制的に組み込んでいる。いわば魔霊鬼ペリノデュエズの全身を亡者のおぼろでくるんでいるようなものだ。


 さらに魔霊鬼ペリノデュエズの額部分にも大きな特徴が見られる。一つまなこの小球が埋め込まれているのだ。異様な姿、一つ眼の巨人のようでもある。眼に人が有する目の機能はない。ただ魔力のみを見分け、食らうために本能のまま襲いかかる。


「何なんだ、あれは。パレデュカル、お前はこんなものを制御できるというのか」


 トゥルデューロがうめき声を上げている。その声はオントワーヌの耳にも確かに届いている。


(その気持ちは十分に分かりますよ。彼も相当の魔力を消費していますしね)


 小球召喚だけでもかなりの魔力を要求される。そのうえ、闇の魔術で亡者を使役、さらに魔霊鬼ペリノデュエズの力も加わっている。


 これら三つの異質な力を重層的に構築、中位シャウラダーブと化した魔霊鬼ペリノデュエズの本体を核として、内部に小球、外部に亡者の力を組み入れている。とてもではないが、まともに制御できるとは思えない。


(一度に全てを制御する必要はないのですよ。だからこそ、残り少ない魔力でありながら、この複合魔術が成立しているのです)


 まさしくオントワーヌの推測どおりだった。三段構えの複合魔術は多段魔術でもある。パレデュカルがまず制御すべきは、最も外側、すなわち朧状の亡者のみだ。


 魔術によって呼び出された亡者は生者せいじゃを憎み、おのが領域へと取り込み、むさぼり食らう。彼らが欲するのは生命であり、肉体などどうでもよい。


 絶妄嘆叫執滅獄ドゥヴロディニダは呼び出した亡者を一切制御できないという最大の欠点がある。上位魔術たる終亡滅獄霊冥朧ロヴァム=アガラドゥはその欠点を排除、亡者を自在に使役できるように改良している。


 亡者の内側に位置する魔霊鬼ペリノデュエズは、亡者を使役するための魔力の壁にはばまれ、自由が許されない。ただひたすら獲物を狩るという衝動だけがその身体をし進めようとするだけだ。


 さらに内側、一つまなこの小球は魔力を食いたいがためにもがき続けるものの、魔霊鬼ペリノデュエズがもたらす邪気じゃきによって、これもまた行動がさまたげられている。


 言い換えるなら、外側から第一の壁、第二の壁、第三の壁で構築された魔術であり、前面にそびえる壁が壊れない限り、次の壁は何の役にも立たないということなのだ。多段魔術と呼ばれる所以でもある。


(よく考えられています。その才能、ここでつぶしてしまうにはしすぎます)


 解き放たれた二体の亡者にとってのご馳走ちそうが目の前に広がっている。生者であればその種類を問わず、手当たり次第に襲いかかり、貪欲に生命を吸収していく。そして、この世界の不変の法則に従い、弱者から順に狩られていく。


 シュリシェヒリの者にとっては、同じことの繰り返しだ。弱者をまもるべく、力強き者たちが二体の亡者の前に立ちはだかる。


 先頭に立つのは当然、長老キィリイェーロと二人の補佐、チェシリルアとミヴィエーノ、そしてトゥルデューロとプルシェヴィアだ。背後には魔弓警備隊の精鋭が揃い、戦える者から順に前の位置を占めている。


 彼らは彼らなりの意気込みを示そうとしている。それを無下むげに否定するわけにもいかない。一人で片づけようと考えていたオントワーヌは、激突間近となっている亡者の撃破を渋々ながら彼らに託すことにした。


おぼろの亡者の始末は任せました」


 オントワーヌは今でも十分に余裕がある。理由は明白、開いた禁書からあふれ出している光の奔流ほんりゅうの影響だ。


 光の力は亡者が最もきらうもの、オントワーヌには決して近寄ろうとしない。亡者への対応を任せたことで、第二の壁を打ち破るための準備が念入りにできる。


 パレデュカルは魔力をもって二体の亡者を制御しつつ、その目はオントワーヌに注がれている。パレデュカルにとって、戦うに値する者はオントワーヌただ一人だ。それ以外は烏合うごうしゅう、まとめて相手にしたところで負けるとは一分いちぶも思っていない。


 だからこそ、オントワーヌの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが気になるのだ。しかも手にしているのは禁書であり、その力は未知ながらもおよその想像はつく。


(オントワーヌだけでも厄介やっかいなのに、さらにあの禁書だ。言霊ことだまを唱えるなら、無理にでも中位シャウラダーブを突っ込ませて阻止する)


 オントワーヌにその意思はない。彼はパレデュカルと違い、その視線をキィリイェーロたちに向けている。


 二体の亡者とキィリイェーロたちが激突した。直接的な激突ではない。亡者はすさまじい風斬かざきり音をともな咆哮ほうこうを無差別に吐き出した。


 咆哮はすなわち精神攻撃だ。物理攻撃と異なり、通常の防御結界では防げない。


 最前線に立つキィリイェーロたちはさすがに歴戦のゆう、抜かりはない。博識はくしきのエルフ属でもある。亡者の攻撃がいかなるものか熟知している。


 それでも魔弓警備隊よりも後ろで身構える数十人程度が油断か、あるいは経験不足か、まともに咆哮を浴びてしまっていた。こうなれば戦力としては数えられない。


 たちが悪いことに朧の亡者が吐き出す咆哮は不規則極まりなく、四方八方いたる所から襲いかかってくる。


「時間を無駄に浪費するわけにもいかぬ。あれをやる。準備せよ」


 キィリイェーロの言葉を補佐の二人は驚きの表情をもって、トゥルデューロとプルシェヴィアはようやくかという期待感のこもった笑みをもって受け止めた。


「パレデュカル、お前の好き勝手にはさせぬ。シュリシェヒリの長老として意地を見せよう」

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