第276話:上位は統べる

 パレデュカルの放った最上級合成魔術は直撃寸前、オントワーヌの前に完全沈黙させられてしまった。


 実のところ、オントワーヌ自身、雷撃の魔術はさほど得意ではない。パレデュカルの行使した魔術が雷撃に特化した最上級魔術であれば、何らかの対抗手段を講じなければ防げなかった。


 では、なぜ合成魔術ならば、いとも簡単に封殺ふうさつできたのか。答えは単純明快だ。根幹をなしている最上級魔術が大地からる灼熱の魔術だったからだ。


 オントワーヌは先代ルプレイユの賢者であり、その名のもととなる槐黄月ルプレイユは大地の力のみなもととなる。大地の力に根ざす魔術ならば、オントワーヌは最強の一角と言っても過言ではない。


 ゆえにオントワーヌに向けて放たれる大地の魔術は全て無効化されてしまうのだ。


 上位はべる。最上位は全てを統べる。


 大地の力をり所に魔術を行使したパレデュカルにとってオントワーヌは上位たる存在、そしてオントワーヌにとって最上位たる存在はレスティーということだ。


「パレデュカル、あえて大地の力を行使しましたね。さて、私の実力、いかがでしたか」


 パレデュカルに答えはない。それが意味するところは明らかだ。


(まだ左腕が残っている。いるが、なおさら無意味だな)


 ため息をつかざるをない。オントワーヌの未知の力量を試す意味もあって、初撃に大地の力を用いた。しかも、念入りに別の魔術を上乗せまでして。


 パレデュカルが最も得意とする魔術は大別すると二つだ。一つは大地の力、もう一つは闇の力、どちらがより強力かと問われると彼自身、闇と答えるだろう。


(完全魔術封殺、一度やってみたかったのですよ。ビュルクヴィストやルシィーエット相手ではかないませんからね)


 まるで悪戯いたずらっ子のような表情になっているオントワーヌに誰も声を上げられない。ビュルクヴィストでもいれば、きっと面白い展開になったことだろう。


 手合わせとはいえ、高位魔術師による魔術戦だ。一歩間違えば死んでもおかしくない。疑いの余地なく、パレデュカルの最上級魔術にはそれほどの威力がめられていた。


 真剣勝負ではない。そして、今の一撃で魔術における格付けはおよそ済んでいる。これ以上、手合わせを続けることに意味はない。真に戦うべき相手は別にいる。


(そんなことは百も承知だ。それでも俺の中の何かが続けろと訴えかけてくる)


 如何いかんともしがたい感情に振り回されている。パレデュカルの心の内は実に複雑怪奇だ。自身では気づいていない。気づけない。矛盾むじゅんだらけだということに。


 事の起こりはサリエシェルナがさらわれてしまったことにある。


 それまでのシュリシェヒリでの暮らしには不平不満もあっただろう。そんな中、彼を理解してくれる友にも出会えた。


 本性を知らなかったとはいえ、幼い頃よりジリニエイユの指導を受けた影響から里屈指くっしの戦士でもあった。キィリイェーロの後を継ぐ次期長老候補にさえ認められていたほどだ。


 ほぼ順風満帆じゅんぷうまんぱんと言ってもよい。


 サリエシェルナ探索のため単身、外界との交わりをっていた里から喧嘩けんか別れ的に去り、そこからは頭も心も一つどころに落ち着くことなく、今に至っている。


 パレデュカル自身、もはや誰を信じてよいのか分からなくなっている。


 記憶が戻る前のザガルドア、彼が出会った時はイプセミッシュだった、と相通じるものがあったのは決して偶然ではない。二人は出会うべくして出会い、一時ひとときの共闘をて、敵となってたもとを分かった。


 イプセミッシュだった時のザガルドアと決定的に違うのは、己自身をも信じられないという一点に尽きる。


 パレデュカル自身が何度も口にしているように、多くの者が彼の手からこぼれ落ちていった。生死を問わず、中にはトゥルデューロやキィリイェーロなどのように決別という名のもと、自らの意思で零した者たちもいる。


 果たして、自らの意思なのだろうか。


 パレデュカルを含め、ここにいる者たちにえていないものがオントワーヌには視えている。


(本当に巧妙こうみょうですね)


 オントワーヌとて、ある助言がなければ視えていなかっただろう。だからこそ、そこを突くのだ。


「貴男にはもう一つの力があります。なぜ、行使しないのですか」


 すかさずキィリイェーロがたずねかけてくる。


「オントワーヌ殿、それはパレデュカルが最も得意とする闇の魔術ということだろうか。それならば」


 オントワーヌの認識が間違いであってほしいという願望が含まれた口調でもある。


「もちろん違いますよ。私が言っているのは」


 即時の否定とともにオントワーヌは右手人差し指でパレデュカルの一部分を指した。


「その目で視ているはずです。口にしたくない気持ちも分かります」


 誰もが分かっていて口外しない。そして、その事実はパレデュカル自身が認めている。


 既にパレデュカルは滅ぼす対象でしかない。たとえ核を有さない、心臓しか持たない人であったとしても。そう、今は人だ。それがいつ核を持つ存在に変わるかは予見できない。


 混沌の輪還りんかんから逸脱いつだつし、摂理せつりを乱す存在と成りつつあるパレデュカルをレスティーが許すはずもない。そして、レスティーの前ではパレデュカルなど羽虫はむしにすぎない。


 レスティーではなく、オントワーヌがこの場に来た。それはすなわちパレデュカルがただちにめっする対象ではないということであり、少なくとも幾分かの温情が与えられたということでもある。


(行き過ぎた、深すぎる愛は容易におのが身を滅ぼします。彼女同様、パレデュカルも雁字搦がんじがらめの状態です。ここで彼を滅するのは容易たやすいですが、それでは私がここに来た意味がありません)


「異界より顎門あぎとを召喚した対価として貴男は右脚を差し出しました。界をまたぐ制約は恒久的に持続します。その右脚が動くことは決してないのです」


 一度死んでしまったものを強制的に動かす。魔霊人ペレヴィリディスを創り出したのと全く同じ原理だ。


 死者の場合は、そもそも心臓が動かない。故に強力な核を埋め込むことで心臓の代わりとす。


 一方のパレデュカルは生者せいじゃであり、心臓は正常だ。唯一、ヒオレディーリナの例があるとはいえ、生者の体内に核を埋め込むことはあまりに大きなけでもある。


 核を有さないパレデュカルをシュリシェヒリの目はどのようにとらえているのか。彼の右脚つけ根から爪先まで、そこだけが変色して視えているのだ。


 核とは異なる。核は漆黒であり、邪気じゃきであり、さらには魔気まきでもある。これらが複雑に絡み合った状態で体内に存在する。目をもって見分けるのは実に簡単だ。


 今のパレデュカルにその要素はない。変色は濃緑のうりょく、すなわち魔霊鬼ペリノデュエズ特有の血の色だ。それが深紅の血の代わりとなって血管内を邪気をまといながら滔々とうとうと流れている。


 本来、体内に入った魔霊鬼ペリノデュエズの血はまたたく間に全身に広がり、その者を魔霊鬼ペリノデュエズへと変えていく。


 パレデュカルがそうならないのは右脚のつけ根に制御をほどこし、そこで血をき止めているからだ。これもまたジリニエイユがみ出した秘術にる。


 シュリシェヒリの目でとらえられるのはここまでだ。オントワーヌの目はその先を視通みとおしている。


(術そのものの原理は知らされていない。だからこそ、邪気を漆黒の靄と変えて、その力を行使している。行きつく先は)


 ここでオントワーヌに与えられた二つ目の使命だ。至上しじょうは邪気を完全消滅させること、次善としてそこまでできずとも邪気を封じることであり、三つの中で最重要使命でもあった。


 彼が二つ目に向かったのはオーレンラトゥル大禁書庫だった。一つ目に立ち寄ったシャヴァランシュ大禁書庫と並ぶ二大禁書庫で、封印保管されている禁書はその性質をにする。あえて分類するなら、シュヴランジュは邪、オーレンラトゥルは正だ。


 オントワーヌは膨大な禁書の中から迷わず一冊を選び出す。魔術高等院ステルヴィアを代表する者として、正統な手続きのうえに宣誓魔術を重ねたうえで、ようやく禁書庫外へ持ち出すことができた。


 それほどの禁書がオントワーヌの手の中にある。


「たかが脚一本、されど脚一本だ。食われた脚は決してもとに戻らぬ。当然知っている。だからこそ、この力を受け入れたのだ」


 広げた両腕に向かって、空中にただよっていた微量の靄が濃度を高めながら、ゆっくりと引き寄せられていく。


 このまま漆黒の靄をけしかけたところで、オントワーヌには通用しない。それは既に証明されている。それだけではない。大地の力も無効化されている。


「無駄です。私には通用しませんよ。それとも、秘策でも見せてくれるのですか」


 笑みを浮かべるオントワーヌにすきは一切ない。パレデュカルが無策むさくのままに魔霊鬼ペリノデュエズの力を行使するはずもないし、考えがあってのことだろう。


(レスティー殿は私に託しました。やることは決まっています)


 ふところから禁書を取り出す。溢れ出す力が尋常じんじょうではない。魔力の揺らぎが視覚で捉えられるほどだ。


「やはり禁書か。先ほどのものとは違うな」


 装丁そうていも大きさも異なっている。漆黒の靄を封じたそれは黒を基調にした縦三十、横二十セルク程度だった。今、取り出したのは白を基調にした縦二十、横十三セルク程度、一回りほど小ぶりになっている。


 左手に禁書を抱えたオントワーヌがパレデュカルを見据みすえる。


「パレデュカル、先に宣言しておきます。これから貴男の力そのものを封殺します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る