第275話:圧倒的上位者とは

 先手を譲ってもらったのだ。この機を利用しない手はない。完全詠唱、さらに改変を加えて威力を極限まで上昇させる。


「ダーラ・メレディー・グレ=アヴェル・ドゥア

 ヴァラドゥ・ルヴリュー・ダラー・ムルウェム

 ガドゥ・イェーリ・ヴァドゥ・ジェーレ・イグゼリデ」


(そちらで来ましたか。ビュルクヴィストが言ったとおりです。負けず嫌いですね)


 苦笑とも微笑とも取れるみをこぼして、オントワーヌはただただ受けの姿勢を崩さず、悠然ゆうぜんと立っている。


 これだけの詠唱でパレデュカルの額には玉のような汗が浮かび上がっている。


(真正面から受けきるつもりか。それならば)


「ディリレン・ナヴァラン・ベヌーメレイェン

 ミーディエ・ファルー・ウェドア・ラヴァラン」


 初撃行使の魔術には不要な詠唱だ。相当の高位魔術師でなければ詠唱改変などできない。


 そのうえ、本来の詠唱に存在しない魔術言語を組み入れるなど、正気の沙汰さたではない。そのようなことをすれば、魔術そのものが発動しないか、十中八九は暴走の果ての自爆まっしぐらだ。


 キィリイェーロもトゥルデューロも、パレデュカルが何をしようとしているか気づいている。だからこそ、今は敵でありながらも彼の身を案ずるあまり、制止の声を上げたのだ。


めよ、パレデュカル。それは自殺行為にほかならぬ」


(この土壇場どたんばでの魔術改変、さらには魔術言語の上乗せ、もとより準備していましたか。パレデュカル、本当に貴男は面白いですよ)


「深き大地に眠りし偉大なる力よ

 今ここに目覚めのを迎えん

 灼熱と轟雷ごうらいき散らしたるなんじ滅竜リティジオン 

 全てをみ干す紅蓮ぐれん業火ごうかをその身にまといて

 威風堂々いふうどうどう我がもとに来たれ」


 詠唱が成就じょうじゅを迎える。パレデュカルは息を整えるとともに両腕をオントワーヌに向けて突き出す。


(防御の構えも取らないか。お前の力、見せてもらう)


極燼灼焔滅雷紅竜ヌーア=ザゴーラ


 魔術が解き放たれる。改変による威力増大、そのうえ上乗せした魔術も安定的に発動を迎えていた。


 すさまじい振動が大地を揺るがす。立っていられないほどの激しい揺れだ。シュリシェヒリの者たちは皆一様にうずくまっている。その中でパレデュカルとオントワーヌだけが平然とたたずみ、互いに視線をわし合っている。


 二人の中間地点だ。そこを境にして大地がまたたく間にけ、巨大な口を開く。深き底よりい上がってくるのは、紅蓮のほむらを全身に纏った灼熱の岩漿がんしょうだ。


 天を突き破るがごとく、はるか上空まで勢いよくき上がっていく。


 高度およそ二千五百メルクのこの地は、地表面に降り積もる雪は確かに少なく、そこまでの悪影響を及ぼしていない。それもはるか上空となれば話が一変する。


 雪氷嵐せっぴょうらんが荒れ狂い、あらゆるものを巻き込み、てつかせていく。噴き上がった灼熱の岩漿も例外ではない。凄まじいばかりの高温と低温が衝突を起こし、爆発的な破壊力を生み出していく。


 パレデュカルの魔術によって生み出された灼熱の岩漿は、自然界でたとえるなら火山の噴火だ。大地に眠る炎熱は水蒸気と無数の岩石をともなって噴き上がる。それらは大気に飛び出し、雪氷嵐にり刻まれ、さらに岩石同士がぶつかり合い、怖ろしいほどの膨大な摩擦まさつ電気を発生させていく。


「疑似的な火山雷かざんらいを創造しましたか。それも即興そっきょうの魔術で。楽しませてくれますね」


 天高きところで疑似的火山雷がはじけている。弾けたところからそれぞれが腕を取り合い、巨大化していく。


 自然界の雷なら、弾けた瞬間、地表めがけて降りそそぐ。魔術で創り上げたそれは、威力をめ込み、空中で停滞ていたいしたままだ。しかも火山雷は静電気による雷よりも威力が強大だと言われている。


「火山雷の威力がふくれ上がっています。これでは直撃はまぬかれませんかね」


 まるで他人事ひとごとのようにつぶやくオントワーヌはなおも動きを見せない。対するパレデュカルは突き出していた両腕のうち、右腕だけをかかげる。


(なるほど、右腕が雷撃の制御役ですか。さしづめ左腕は岩漿を含めた炎熱を制御する)


 パレデュカルの左腕はオントワーヌに向けたままだ。動く気配も感じられない。それだけ制御に集中しているのだろう。


(これを見ても表情一つ変えずか。予測していたか、あるいはその必要もなく、しのげるという自信の表れか)


 パレデュカルが笑っている。心底、この戦いを楽しんでいる証拠だ。


「先代ルプレイユの賢者の力、見せてもらおう」


 轟音ごうおんき散らし、雷光が天を騒々しくいろどっていく。魔術による火山雷は巨大な雷光球らいこうきゅうと化し、内部から飽和ほうわした力が光となって次々と大気へ放出されている。


 超高熱を帯びた光は吹きすさぶ雪氷嵐を容赦なく射貫いぬき、固体も液体も構わず昇華しょうか、気化させていく。瞬時に気体となった氷や水は、再び雪氷嵐にいだかれるや、すみやかに還元かんげんされていく。


 魔術による変換効率は自然界のそれに比べると数十倍から数百倍の速度をもたらす。間断かんだんなく昇華、気化、そして凝華ぎょうか、液化が繰り返されているのだ。


 そのたびに膨大な熱量があふれ出し、天をがしていく。当然ながら、その余波よはは地表にも及んだ。


 長老キィリイェーロが戻った今、シュリシェヒリの者たちも二人の戦いをただ呆然ぼうぜんと眺めていただけではない。巻き込まれることを想定、特にパレデュカルからの攻撃に備えていたのだ。


 すぐさま、キィリイェーロが右手にした魔術杖サティリツィアかかげ、さらにプルシェヴィアが旋律せんりつかなでる。他の者もできうる限りの結界を展開させた。


(停滞魔術と旋律魔術の同時行使、さらには結界の重ね合わせか。あれなら死なずに済むだろう)


 確かに死にはしないだろう。それは単に命が助かるという意味合いでしかない。


 キィリイェーロの停滞魔術で降り注ぐ高熱水の矢と結氷けっぴょうの矢を減速させ、プルシェヴィアの旋律魔術で魔術を眠らせることで、それらの矢から魔術をぎ取っていく。


 それも限界がある。パレデュカルの魔力が続く限り、矢は無限に生成されるのだ。しかも、これらは余波がもたらす力の一部でしかない。そして本命の攻撃こそ、これからなのだ。


「キィリイェーロ、死にたくなければ、もっと距離を取っておけ」


 やはり心情的には殺したくないのか。あえて助言にも近い言葉を投げる。


 パレデュカルはわずかにキィリイェーロたちに視線をかたむけ、すぐさま戻すとオントワーヌにうなづいてみせた。


「正々堂々、真正面からですか。ええ、どうぞ。遠慮は無用です」


 どこまで通用するかは分からない。それもあってか、いつにもまして気分が高揚こうようしている。


 パレデュカルは掲げたままの右腕を鋭く振り下ろした。


 右腕の役割は雷光球を制御することだ。上空でそのときを待ちわびていた雷光球が刹那せつなのうちに弾け飛んだ。


 轟雷ごうらいが耳をつんざいていく。まるで昼間のごとく、天を純白に染め上げた無限とも言うべきおびただしい数の雷光が無防備のオントワーヌめがけて一気にくだる。


「オントワーヌ殿」


 背後でキィリイェーロたちが叫んでいる。彼らから見れば、対抗魔術も唱えず、そのうえ防御結界さえ展開していない。まさしく丸裸状態なのだ。


 それでなくとも、パレデュカルが渾身こんしんの力をめて解き放った最上級魔術は通常の魔術ではない。強引とも言うべき力業ちからわざ、別の魔術を上乗せした合成魔術なのだ。


 威力も桁外けたはずれだ。現に雷光球から分裂した全ての雷光がもたらす熱はおよそ二十万ルシエにも及ぶ。


 セレネイアが三姉妹、さらにイェフィアの力を借りて放った皇麗風塵雷迅セーディネスティアによる雷撃が十万ルシエの爆轟雷ばくごうらいだった。その倍の威力を秘めた雷光矢が無尽蔵むじんぞうに降り注いだ。


「素晴らしい魔術ですね。そして、十分にました」


 オントワーヌは笑みをこぼすと、右手人差し指を軽く振った。彼の行動はそれだけだ。直撃するはずの雷光矢、そのことごとくが彼に届く前に消滅していく。


「馬鹿な。なぜだ。直撃はまぬかれぬはずだ。まさか、そこまでの」


 その先の言葉は口にしたくない。パレデュカルの心情がよく表れている。そして、疑問に思うのも当然だった。


 直撃必至ひっしの雷光矢は絶対防御結界で完全遮断しゃだんするか、パレデュカルが放った最上級魔術よりも強力な魔術をもって撃墜げきついするか、そのいずれかでしか防げない。


 いや、もう一つだけ方法がある。これならばオントワーヌが無防備だったことも理解できる。そして、それはパレデュカルにとって最大の屈辱くつじょくであり、決して認めたくはない現実だった。


(分かりますよ、その気持ち。強力な魔術師であればあるほど、受け入れがたいでしょう。かくいう私もそうでしたよ。レスティー殿にさんざんやられてきましたからね)


 オントワーヌの昔話はさておき、自然と笑いがこみ上げてくる。第三者たるパレデュカルに対して意趣返しなど、悪趣味ではあるものの、オントワーヌは何とも愉快な気持ちになっていた。


(レスティー殿は別次元の存在、このような感情は抱かないのでしょうが。それにしても、これは気持ちがよいものですね)


 オントワーヌ、ここに来て何とも悪そうな笑みを浮かべている。やはり彼も賢者の一人だということだ。ビュルクヴィストやルシィーエット同様、一癖ひとくせどころか二癖ふたくせ三癖みくせあるのは間違いないだろう。


「同系魔術を行使する場合において、圧倒的上位者は相手の魔術を完全封殺ふうさつできる。俺の魔術は、お前に届く前に全て分解されてしまったということか」


 自身にも理由は分からない。パレデュカルはなぜか清々すがすがしい気分にひたっていた。まるで全てのき物が落ちたかのような感覚でもあった。

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