第280話:ようやくの再会の刻

 パレデュカルは仕かけどころを念入りに探っている。合成魔術が破られた今、それを上回る魔術を行使しなければならない。


 既に漆黒のもやによる強制魔霊鬼ペリノデュエズ化もキィリイェーロとプルシェヴィアが健在の現状、効果的な攻撃手段にはならないだろう。


 何よりもオントワーヌの存在が脅威だ。にらみ合いが続く中で、手出ししてくることはない。均衡きんこうが大きく崩れた時が問題だ。


 キィリイェーロたちが総崩れになるなら、間違いなくオントワーヌは介入してくる。そこの対処を誤れば、一気に形勢を逆転されてしまう。


(厄介やっかいだ。たかが一本のくさび、されど、といったところか。交渉する価値はあるだろうが)


 悩みどころだ。交渉といっても対等ではない。オントワーヌの方が明らかに上位者だ。エルフ属の争いとして決着をつけるから介入しないでくれ、と頼むしかない。


(切り札はある。あるが切ってしまえば、もはや二度と後戻りはできぬ。それに、あいつらが)


 視線をトゥルデューロとプルシェヴィアに彷徨さまよわせ、その想いをる。それを知ってか知らずか、オントワーヌが言葉をかけた。


「パレデュカル、警告を二つしておきます。一つ、その力をそれ以上使わぬこと。一つ、切り札を切らぬこと。私を甘く見ない方がよいですよ」


 ひどく抽象的な物言いだ。恫喝どうかつにも近い言葉がとどめだった。交渉は決裂したも同然、切り札が何を指しているのか、オントワーヌは理解できているのだろう。


老婆心ろうばしんついでにもう少しだけ。その力を使い続ければどうなるか。知らない貴男ではないでしょう。現に制御力が弱まっていますね」


 パレデュカルの目が鋭利なまでに細められる。警戒心がおのずと高まっていく。オントワーヌに言われるまでもない。使い続けたすえに行き着く先は分かっている。


「これは痛み入る。警告を心にきざとどめよう」


 トゥルデューロが思わず息をむほどに冷淡な口調だ。


「オントワーヌ様、切り札とは、やはり私たちの娘ラナージット」


 遠慮がちに尋ねてくるプルシェヴィアにオントワーヌはゆるやかに首を縦に振る。


 トゥルデューロとプルシェヴィア、二人の目がパレデュカルにそそがれる。トゥルデューロの瞳には非難ひなんが、プルシェヴィアのそれには対照的に悲哀ひあいが多分に含まれている。


 父と母、パレデュカルに対する想いは違えど、娘ラナージットへの愛情に何ら変わりはない。パレデュカルは二人からの視線が予想以上にまぶしかった。


(ようやくここまで来たんだ。あきらめるわけにはいかない。絶対にサリエシェルナ姉さんを取り戻す。そのためなら俺は、俺は)


 パレデュカルがゆっくりと右手を宙に走らせる。動きに応じて空間が切り取られていく。これを見せられるのは二度目だ。


「心配性のおまえたちのためだ。ラナージットは無事だ。何もするつもりはない」


 切り取られた空間内に映し出されているのは、まぎれもなくラナージットだ。既にとこいている。寝顔が幼く見える。胸が小さく上下していることから呼吸はしている。確かに生きているあかしでもある。


 トゥルデューロとプルシェヴィアだけでなく、キィリイェーロたちもその姿を食い入るように見つめている。


「これが虚像きょぞうではないという保証はありますか」


 プルシェヴィアの疑問は至極しごく真っ当だ。パレデュカルの魔力によって映し出されている。いつわりの細工など簡単にできるだろう。


「信じるかどうかはお前たち次第だ」


 狼狽ろうばいするトゥルデューロをよそに、プルシェヴィアが大きく息をつく。


「ラナージットのそばには貴男の使い魔、それに魔装人形トルマテージェでしたか、いるのでしたね。わざわざあざむくような真似はしないでしょう。よいでしょう。信じましょう」


 パレデュカルの目を見据みすえてプルシェヴィアが答える。


(これがトゥルデューロ殿との違いでしょうね。やはり母は強し、ですね)


 オントワーヌも感心しきりの様子でプルシェヴィアを見つめ、それから遠くの何かに思いをせたかのごとく目を宙に向けた。


≪いかがなさいますか≫


 尋ねかけるオントワーヌに即答が来る。


≪ここへ≫

≪承知いたしました≫


 遠くに向けていた視線をプルシェヴィアに戻したオントワーヌは、左手に抱えていた禁書を再び開く。


 白に染められた光がたちまちのうちにあふれ出し、散開していく。闇で満たされた周囲は昼間のごとく照らし出されていった。先ほど開いた際の光とはまたおもむきの異なる、どこまでも澄みわたった純粋な白一色だ。


「何をするつもりだ、オントワーヌ」


 閉じた禁書をまた開いたのだ。パレデュカルからあせりが感じ取れる。ここで先んじて仕かけられたら防ぎようがない。


「安心しなさい。貴男を直接攻撃するわけではありません。私としてはうれいを取り除いておきたいだけですよ」


 溢れる光に圧倒されたのか、トゥルデューロやプルシェヴィアはもちろんこと、キィリイェーロまでもが動きを止め、オントワーヌに視線を固定してしまっている。それはパレデュカルも同様だ。


 オントワーヌがこれからそうとする挙動きょどうに全ての目が注がれる。


 右手の人差し指が羊皮紙の上をすべっていく。言霊ことだまはない。その代わりに触れた先から文字が宙に浮かび上がっていく。禁書内の文字が消えているわけではない。複写とでも言うべきか。


 魔術行使には詠唱が絶対不可欠だ。もし詠唱が不可能となった場合はどうするのか。いわゆる魔術師封じだ。過去、魔術師たちはこの課題を解決すべく、長い歳月をかけてあらゆる方法を試してきた。


 その一つが文字を用いる方法だった。魔術巻物は言霊に代わる文字を書きしるし、魔力をめて解き放つことで詠唱と同様の効果を発揮する。巻物に直接記さずとも、文字はどこにでも書ける。たとえそれが宙であろうともだ。


 禁書に書かれている一文は魔術そのものであり、羊皮紙から躍り出た時点で即時効力を有する。だからこそ、正しい用途を知らない者、力におぼれる者に触れさせてはならないのだ。


 オントワーヌは禁書に触れられる数少ない魔術師であるからこそ、正しく禁書の中身を理解し、行使している。ただし、例外措置であり、一時的なものにすぎない。


 宙に禁書の文字が規則正しく並び、強烈なきらめきを発した。目をおおわんばかりのまぶしさに誰もが視界を奪われている。禁書に封じられた魔術が正しく機能したからだ。


「な、何だ、この光は。まるで陽光、目がつぶれそうだ」


 トゥルデューロがなさけない声を上げている。他の者も似たり寄ったり、等しく目を押さえ、中にはあまりの強烈さにうずくまっている者さえいる。


 ここに集う者たちの視界をさえぎりながら、陽光にも似た純白の光は散開から収束へと移行し、オントワーヌの胸前であるものを形作っていった。


「さて、これで憂いはなくなったでしょう」


 何かを閉じる小さな音が響く。おだやかに視界が戻ってくる。最初に回復を見せたのはパレデュカルだった。


「馬鹿な。そんなことが。なぜだ。あそこには」


 悲鳴にも近い叫び声を上げ、パレデュカルがしきりに首を横に振っている。それだけ異常な光景だったからだ。


「ああ、どうして、これは、夢、なの」


 プルシェヴィアの声にならないささやく声が聞こえてくる。声が、身体が震え、自然と涙がこぼれ落ちる。


 にわかに信じがたい光景が眼前で展開されている。オントワーヌが横抱きにしているのは、紛れもなく一人の少女だ。


「ああ、ラナージット」


 全ての視線がオントワーヌのかかえている少女に、続けざまにパレデュカルが映し出した同一人物に注がれる。そこかしこから驚愕きょうがくの声が上がっている。


 当然だった。つい先ほどまで、横たわる少女の寝顔が確かにあった。それがもぬけから、今や同じ状態でオントワーヌにいだかれているのだ。


正真正銘しょうしんしょうめい、お二人の娘ラナージット嬢ですよ」


 両手で顔を押さえているプルシェヴィアに寄り添い、優しく肩を抱くトゥルデューロもまた涙している。


 ようやくこの刻を迎えられた。心から待ち望んできた瞬間だ。愛しい娘と再会できる。


 ラナージットは今まさに目の前、オントワーヌに抱かれたまま安らかな眠りの中にいる。


 トゥルデューロとプルシェヴィアが愛娘まなむすめラナージットがいなくなって以来、どれほど苦しんできたか。里の者なら誰しも知っている。だからだろう。四方からすすり泣きの声が聞こえてくる。


 長老キィリイェーロも例外ではなかった。


(本当によかった。トゥルデューロ、プルシェヴィア、お前たちもよくえたな。心より嬉しく思うぞ。これも全ては)


 それ以上の言葉は不要だ。


 オントワーヌの視線がわずかにパレデュカルに向けられる。何を思っているのか。呆然ぼうぜんたたずむ彼からの反応は皆無かいむだった。

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