第058話:ビュルクヴィストと老兵の力

 伸びた二本の腕が真下に向けて振り下ろされ、セレネイアが座っていた場所を正確に打ちいていく。すさまじい破壊音が空間を揺るがす。


「そなたが見る必要はない。居心地はよくないだろうが、もう少しこのまま我慢してくれ」


 セレネイアは顔を真っ赤に染めたまま、そっとうなづいた。


(今の私の顔、とんでもありません。マリエッタやシルヴィーヌに見られたら、それこそ私は)


 ディランダイン砦での後始末時もそうだった。


 もともと、セレネイアは男に触れられることを好ましく思っていない。それがレスティーに限っては、その感情が鳴りをひそめてしまう。セレネイア自身が不思議に思うほどだ。


 レスティーは背を向けたまま、全く動こうとはしない。


「何という威力だ。これが魔霊鬼ペリノデュエズの力なのか」


 呆然ぼうぜんと破壊の爪痕つめあとを見つめるのは、第八騎兵団団長のノイロイドだ。膂力りょりょくが騎兵団中随一の彼は、自身の背丈を超える両刃長剣を武器にしている。その彼が恐れを抱いている。


 第四騎兵団団長で騎兵団最年長のホルベントは、ひび割れた空間を見上げている。二本の腕が引き起こした破壊を前に、冷静に分析を行っていた。


 さすがに数々の戦場を渡り歩いてきただけのことはある。経験に裏づけられた彼の言葉は、まさに正鵠せいこくを射ていた。


 確かに攻撃力はすさまじいものがある。ホルベントは、戦場でこれ以上の力を持つ歴戦の武人や高位魔術師と戦ってきたのだ。


「こやつがもたらす真の恐ろしさは、人への徹底した恐怖心だ。姿形や繰り出される予想もつかない攻撃は無論だが、何よりも魔霊鬼ペリノデュエズは人には倒せないという先入観が儂らの前に立ちはだかる」


 レスティーは視線を横に振り、老戦士の言葉を感心しながら聞いている。


「騎兵団最年長のホルベントという者です。魔霊鬼ペリノデュエズを見るのは初めてのはずです。数々の戦場で戦い、生き抜いてきた賜物たまものとでも言いましょうか」


 主のためにカランダイオが説明する。


「あのような者がいるなら、何とかなるだろう」

「では、掃除の後始末を。この私が」


 カランダイオが率先して動こうとするも、レスティーが制止した。


「あそこで突っ立っているビュルクヴィストにさせる」


 その名前が主の口から出たことで、カランダイオは僅かに表情をゆがめた。


「不服か」

滅相めっそうもございません。我が主レスティー様のお言葉は絶対にて、私に不服など」


 レスティーは苦笑を浮かべつつ、カランダイオに告げる。


「そなたとビュルクヴィストの関係は承知している。苦々にがにがしく思う気持ちは理解するが、今回は譲れ。ビュルクヴィストの力が、あの時よりどう変化しているか確認しておきたい」

御意ぎょいにござります」


 カランダイオは応じると、一歩下がった。


「震えは収まったか。もう大丈夫だな」


 レスティーの胸に顔をうずめたままのセレネイアは、背に触れていた手が離れたことを何とも残念に思いつつ、周囲からの視線を敏感に察知する。主にカランダイオ、そして二人の妹からの興味津々という好奇心によるものだ。


 慌てて顔を上げると、半歩後退してレスティーとの距離を取った。


「レスティー様、二度にわたってお助けいただき、誠に有り難うございます」


 丁寧に頭を下げつつ、今のセレネイアにはそれだけ言うのが精一杯だった。いまだ顔のほてりが収まらない。


「礼には及ばぬ。カランダイオ、頼む」


 セレネイアがカランダイオの位置まで下がったことを確認、レスティーは反転、ようやく魔霊鬼ペリノデュエズ対峙たいじする。


「ビュルクヴィスト、あれの後始末を任せる。そなたの力を見せよ」


 ビュルクヴィストは満面の笑みでレスティーを見ると、ようやく自分の出番が来たとばかりにやる気をみなぎらせた。


「レスティー殿、お声がかかるのを今か今かと待ちわびておりましたよ。万事、このビュルクヴィストにお任せいただければ何の問題もなく、見事に片づけて見せましょう。と言っても、既に」

「一言多い。余計なことは言わずともよい」


 ビュルクヴィストは思わず額を叩くと、ああ、またやってしまった、という表情で、恐る恐るレスティーに視線を向ける。


 レスティーはもちろん、カランダイオも、挙げ句はエレニディールまでもがあきれ果てて、ビュルクヴィストを見返している。


「レスティー殿はともかく、カランダイオ、それにエレニディールまで。貴方たちはいったい何ですか。こう見えても、私は」

「はいはい、もういいですから。ビュルクヴィスト、早くそれを始末してしまってください。後がつかえているのですよ」


 ビュルクヴィストに最後まで言わせず、一刀両断とばかりにエレニディールが話を打ち切る。さすが、ビュルクヴィストの弟子でもある。師の扱いには慣れたものだ。


「私はステルヴィアの院長であり、貴男の師でもあるのですがね。どうも納得しかねますが。ともあれ、早々に済ませましょうか」


 ビュルクヴィストはしきりに首をかしげているが、誰も気にしない。


 エレニディールにしても、ビュルクヴィストの魔術を見るのは久しぶりになる。しかも、レスティーの言葉を受けての魔術行使となれば、彼が最も得意とする最大魔術を解き放つだろう。ひそかに楽しみにしているのだ。


 カランダイオにしても同じだ。りの合わない、いわば犬猿の仲ではあるが、とりわけ彼の魔術に対しては敬意を表している。だからこそ、彼の最大魔術を見られる機会が目の前にあるなら、刮目かつもくするしかあるまい。


 ビュルクヴィストが精神集中に入った。長年にわたる研究によって編み出した鉄壁の無我の境地メデティナアタだ。


 この状況下における完全詠唱は、通常時の十倍の威力を生み出す。それが最上級魔術ならば、複数の合成最上級魔術よりもはるかに強大な力を発揮できるのだ。


「ほう、鉄壁の無我の境地メデティナアタか。久しぶりに見るな。ならば、こちらは安泰だな。では」


 騎兵団が一同にそろった場合、第一騎兵団団長こそが全団の指揮官となる。今、その団長たるセレネイアが不在だ。副団長のクルシュヴィックもいない。そうなると、指揮権は第二騎兵団団長のタキプロシスに委譲される。


 状況を咄嗟とっさに判断したセレネイアがけ寄ろうとするも、即座にカランダイオが制止した。


「カランダイオ、私が行かなければ」

「駄目です。我が主に託された貴女を行かせるわけにはいきません。我が主は、お答えになりませんでした。魔霊鬼ペリノデュエズの狙いは、貴女なのです。何故なにゆえか、分かりますか」


 セレネイアの右腕をしっかりつかみ、カランダイオが問いかける。非力に思えるカランダイオだが、やはり男だ。セレネイアには彼の手を振りほどけなかった。


 そして、その答えを持ち合わせていなかった。持ち合わせてはいないが、ある程度の想像はつく。口にするのが何よりも恐ろしい。


 心をむしばんでくる恐怖から逃れたい。目の前から遠ざけたい。


「今、貴女は魔霊鬼ペリノデュエズの標的なのです」


 自身の口から詳しく述べるわけにはいかない。主たるレスティーの許可を得ていないこともある。何よりも、告げたら最後、セレネイアの心は完全に壊れてしまうだろう。それを危惧してのことだ。


「女である貴女には辛いでしょうが、これだけは告げておきます。ディランダイン砦でクルシュヴィックと対峙たいじしたあの時、貴女のにおいが他の魔霊鬼ペリノデュエズにも共有されてしまった。貴女に対する欲情とともに」


 これが何を意味するか、理解できないセレネイアではない。


「貴女はどこにいようと、魔霊鬼ペリノデュエズに狙われ続けるのです」


 収まっていた身体の震えが、再び彼女を襲う。


「いや、いや、いやあぁ」


 今度は永遠に止まらないのではないか。そう思った途端、自分でも想像できないほどの悲鳴が口をいて出ていた。


 セレネイアは絶叫のうちに意識を失い、くずおれていく。カランダイオが咄嗟とっさに受け止める。


≪お役に立てず申し訳ございません、我が主レスティー様≫

≪そなたが言わねば、私が言っていた。そなたには、嫌な役目を押しつけてしまった。私が告げるべきであった。許せ≫


「タキプロシス、何をしておる。セレネイア姫があのような状況なのだぞ。クルシュヴィックもおらぬ。今、お前がやらずして誰がやると言うのだ。各々方おのおのがたも覚悟を決めよ」


 ホルベントの強烈な声が飛ぶ。ここで奮い立たずして、何がラディック王国が誇る騎兵団だ。


 タキプロシスはなおも躊躇ためらっている。剣技にはそれなりの自信があるものの、魔霊鬼ペリノデュエズを前にして、完全におびえてしまっている。


 これでは指揮官どころではない。自信のない者の指揮ほど、恐ろしいものはないのだ。


(こやつは駄目だな)


 ホルベントは即断した。次の順からいくと、第三騎兵団団長のハクゼブルフトだ。ホルベントはすぐさま彼に目を向けた。


「ホルベント老、指揮官は貴方がになうべきです。誰よりも戦闘経験が豊富なのですから。その代わり、先制攻撃を私に任せていただきたい」


 ハクゼブルフトは既に槍を構えている。ここからの投擲とうてき魔霊鬼ペリノデュエズを貫く自信があるからだ。


「ケイランガ、貴方にも得意の弓で援護していただきたい。お願いできるか」


 ハクゼブルフトの言葉に、第六騎兵団の団長ケイランガは力強く頷いた。魔霊鬼ペリノデュエズは父の敵でもある。決して許すべからず存在だ。


 ビュルクヴィスト、そして騎兵団たちの攻撃の準備がまさに整った瞬間だった。

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