第057話:縮地を超える縮天

 セレネイアはまさに今、自分が置かれている状況が理解できないでいた。


(え、私、なぜ、どうして。こんなことに)


 素直な心情だった。次第に、顔が火照ほてり始めている。


 少し時間を巻き戻そう。


「動くな。動けば、茨の標的になる」


 その言葉に誰もが身を固くして構える。


 カランダイオの茨棘搾絞刺獄ガドルディエランが発動、死の茨たちが空中に出現していた。それらが蠢動しゅんどうを始め、一つ処ひとつどころに寄せ集められていく。


 茨はカランダイオの制御下にあるものの、動くもの全てを標的とするのだ。


(制御力が増している。研鑽けんさんを怠らず、みがきをかけてきたようだな。上出来だ。相手が弱すぎるゆえ、カランダイオの実力を測るには足りないが、申し分ないであろう。では私も始めるとしようか)


 対象はセレネイアの真上、彼女の座る位置からおよそ二メルクの高さにある空間一帯だ。


「あっ」


 セレネイアは束の間、レスティーと目が合ったような気がした。思わず声がれる。嬉しさからか、恥ずかしさからか。


 刹那せつな、レスティーの姿が消えたことには全く気づかなかった。わずかひとまばたきするかしないかの出来事だ。彼女が気づかなくて当然だ。


 レスティーは仙神術せんしんじゅつ奥義の一つ、縮天しゅくてんを発動、純粋な体術をもって仕かけたのだ。


 魔術は一切行使していない。レスティーが魔力を用いることによって、既に発動しているカランダイオの魔術と相克そうこくを起こすからだった。


 相克などという、そんな生易なまやさしいものではない。相克とは、あくまで二つのものが互いに相手に勝とうと争うことだ。


 レスティーの魔力とカランダイオのそれでは、はなから勝負になどならない。レスティーの圧倒的魔力によって、カランダイオの魔術は簡単に無効化されてしまう。


 発動された魔術は、決して還元かんげんされない。一度ひとたび放たれたが最後、その威力を全て解き放つまで決して止まらないのだ。


 発動途上で強制解除するには、圧倒的魔力をもって魔術そのものを上書きしてしまうか、対抗魔術をもって打ち消し合うかの二つの方法しかない。


(カランダイオに花を持たせるのも私の務めだからな)


 レスティーは口角こうかくを軽く上げた。


 体術の一つに縮地しゅくちがある。ここで言う縮地は、仙術ではない。あくまで体術だ。


 彼我ひがの距離を一気に詰めて、あたかも瞬間移動したかのような錯覚をいだかせる技の一つであり、作用する力は重力と脚力の二つだ。位置の神気しんきを、運動のそれに変えることで爆発的な突進力を生み出す。


 縮地はあくまで移動術であり、攻撃の要素は一切ない。敵と対峙たいじした場合、縮地で相手の目の前まで一気に突進、その時点で縮地は完了している。


 並の敵が相手なら、それでも問題ないだろう。縮地後、攻撃に転じれば倒せるに違いない。突然、目の前に出現するのだ。一時的に動きを停滞させられる。


 相手が達人ともなると、そう簡単にはいかない。縮地の完了後、改めて攻撃の動作に入る。そこに僅かながらも隙が生じるからだ。


 瞬きにも満たない僅かの間を見極め、さらに正確に攻撃ができる達人がいたとしたら、敗北は必至となる。


 その欠点を改良して編み出したのが、レスティーの固有体術こと縮天なのだ。当然、使い手はレスティーただ一人しかいない。


 セレネイアのやや右半身、そこからおよそ三十セルク手前だ。レスティーは縮天の動作に入っていた。右脚が着地する。縮地ならば、ここで動作完了だ。


 レスティーの動作は、なおも続く。右脚を軸にして、軸ごと身体を右にひねり出す。右手は左腰の鞘に収めた剣のつかにある。


 剣はさやから抜かれる、その瞬間を待ちわびている。遠心力に乗せて、レスティーの右手がなめらかに動く。


 剣が無音のまま鞘をすべる。姿を見せ始めるやいばが陽光を受け、光が散乱した。それを感じ取れた者は皆無だった。


 一切の音もなく進む。完全に抜き放たれた刃がうなりを上げた。セレネイアの右側辺りから頭上にかけてり進む刃は、寸分違わず狙った空間を切り裂いていく。


 一筋の閃光が走る。


 レスティーは空いた左手を、セレネイアの背に回していた。完全に空間を裂ききったと同時、回したレスティーの左手は、セレネイアの左腰に触れて軽々とかかえ上げる。


 レスティーの身体は、右脚を軸に既に半回転を終えていた。抜き放った剣は再び鞘に収まり、沈黙している。


 ここまでの一連の動作は、水が流れるがごとく、一瞬たりとも途切れることなく続いた。


 仕上げは左脚の踏み込みのみだ。今度は、一歩踏み出した左脚が軸となり、レスティーの姿はもとの位置に戻っていた。


「終わりましたね」


 カランダイオは満足げに呟き、振り返った。そこには左腕にセレネイアを抱えたレスティーの姿があった。


「見事だった、カランダイオ」


 主からの、カランダイオが最も聞きたい、何よりの言葉だった。黙して頭を下げる彼の顔には満面の笑みが浮かんでいる。決してセレネイアには見せられないものだ。


 セレネイアは、自分が置かれている状況に思考が全く追いつかない。


(え、どうして、私。なぜ、こんな。え、私、今、レスティー様に抱かれている)


 顔が一気にほてり始めた。セレネイアは一種の恐慌状態に違いない。


 カランダイオが顔を上げた。さすがに笑みは消えている。


「我が主レスティー様、有り難きお言葉を頂戴し、歓喜にえません。ところで、セレネイア殿はいかがなさいますか」


 カランダイオが尋ねた途端、鏡がひび割れるがごとく、空間に複数の亀裂が入った。まさにレスティーが先ほど切り裂いた空間だ。そこから二本の腕が伸び出てきている。腕と言っても、人のそれではない。


「な、何だ、あれは」


 方々ほうぼうから悲鳴が上がった。


 座っていた者たちが一斉いっせいに立ち上がり、距離を取る。さすがに各騎兵団の団長と副団長だ。まずは王たるイオニアを守る態勢にすぐさま移行、二人の王女たちに対する行動も同様だった。各々が得意とする武器を構える。


 レスティーは完全に背を向けた状態だ。従って、左腕に抱えたセレネイアが二本の腕を直視する形になっている。レスティーは一向に気にすることもなく、静かにセレネイアを下ろした。


「あのまま放置していたら、そなたが犠牲になっていた。やむを得ずとはいえ、手荒な真似をした。済まない」


 セレネイアはレスティーの言葉で現実に返った。


「私が、狙われた。でも、いったい」


 あの時の恐怖心がよみがえってくる。一度ひとたび身体に染み込んでしまった恐怖は簡単に抜けない。セレネイアの身体は正直に反応した。震えが止まらない。


 そんなセレネイアを見て、レスティーは彼女の背に手を回した。僅かに力を入れて、そっと抱き締める。


「私がいる限り、そなたに指一本触れさせることはない」

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