第059話:騎兵団の奮闘と見守る者

 ビュルクヴィストが詠唱に入った。


 彼の周囲はしもの嵐で覆われている。


 これこそが彼の鉄壁の無我の境地メデティナアタだった。この状態に入ったビュルクヴィストは、文字どおり鉄壁の防御に守られる。いかなる外部からの攻撃をも遮断する。


 一方で詠唱が完了、鉄壁の無我の境地メデティナアタを解除するまで、彼からの攻撃も全て遮断してしまう。


 魔術師にとって、最大の弱点は詠唱の前後にすきが生じてしまうことだ。詠唱に入るその瞬間、魔術を放出したその瞬間、術者は無防備状態におちいっている。


 大半の魔術師は、騎士や剣士といった者たちが盾となって身を守ってくれる。ビュルクヴィストや三賢者は、最前線に立って堂々と敵と対峙たいじする。彼らが命令さえすれば、いくらでも盾役を引き受ける者はいるだろう。


 ビュルクヴィストもそうだが、ルシィーエットやオントワーヌも決してそれをよしとしなかった。賢者としての自負か、はたまた最前線で戦うことこそ優れた魔術師だと考えていたか。それは本人に聞かなければ分からない。


 いずれにせよ、その流れは今の三賢者にもしっかり受け継がれている。


 ビュルクヴィストは、過去の様々な戦いの中でにがい経験もしてきた。そこから生み出されたのが、この鉄壁の無我の境地メデティナアタなのだ。


「アクセ・トゥプス・ヴェイネ・イドゥー・グフス

 ルー・ヴミン・スルーンド・エピキュ・レフィー

 ネーヴェ・アジエ・メーヴェ・エジェオ

 冷たき青き世界をべし永久凍土の女王よ 

 ここにあまねく生あるものを汝に捧げよう

 悠久の眠りと果てなき凍える刻をもって

 渺茫びょうぼうたる結氷の大河へといざないたまえ」


 詠唱が霜の嵐に運ばれ、次第に力強さを増していく。


「これはビュルクヴィスト最大の水氷系固有魔術です。完全詠唱での魔術行使は初めて見ます」


 エレニディールも相変わらずだ。この師にして、この弟子ありといったところか。魔術に対する知識欲は、師弟ともどもよい勝負だ。


 詠唱成就は、すなわち鉄壁の無我の境地メデティナアタが解除される時だ。


 ビュルクヴィストは両手を前方に突き出し、手を重ねている。彼はその視線をイオニアを守って展開している騎兵団に移した。


「ホルベント、初手しょては譲りますよ」


 二人の間には相当の距離があるものの、その声は確実に届いていた。右手の戦斧せんぷを軽々とかかげたホルベントが頷き、丁重に返す。


「ビュルクヴィスト様、我らに初手の花を持たせてくださるか。かたじけなく存ずる。では、遠慮なく務めを果たすとしようぞ」


 レスティーは静観している。ただ眺めているだけだ。自らが仕かけることは決してない。


 今や、ひび割れた空間は完全に崩壊、魔霊鬼ペリノデュエズの全身が空間内から抜け出している。


 カランダイオが滅した魔霊鬼ペリノデュエズよりも大きい。高さはおよそ五メルク、腕や脚の厚みを見ても二メルクはあるだろう。低位メザディムとしては、ほぼ最大級と言えよう。


≪我が主レスティー様、これでよろしかったのでしょうか。あの者たちのためとはいえ。それにビュルクヴィスト殿も≫

≪確かに、ここまでお膳立てする必要もなかったであろう。あの者たちに魔霊鬼ペリノデュエズの始末をになわせるつもりもない≫


 レスティーは、カランダイオの腕の中で気を失っているセレネイアに視線を転じる。


≪その娘が問題だ。そなたが告げたように、魔霊鬼ペリノデュエズの標的と化している。私がる限り、その娘に狙われる要素はない。魔力もほぼ常人なみだ≫

≪では、あの男、クルシュヴィックでしょうか≫


 セレネイアに要因がないなら、考えられるのはクルシュヴィックだけだ。カランダイオはクルシュヴィックという男は知っているが、その人となりを詳しく把握しているわけではない。


 第一騎兵団副団長ともあろう者が、なぜ魔霊鬼ペリノデュエズに身体を乗っ取られてしまったのか。不甲斐ないとは思いつつ、一概に非難もできない。


≪それしかあるまい。あの男はいまだディランダイン砦で眠ったままだ。回復次第、話を聞く必要があるだろう。その時はそなたにも同行してもらいたい≫


 よし、今度は自分の番だと喜ぶカランダイオだった。


≪ビュルクヴィストだが、あの男のことだ。全て察しているだろう。捨て置いてよい≫


 ホルベントは掲げた戦斧を勢いよく振り下ろした。それが合図となった。


うなれ、我が長槍ちょうそうクレラスピク」

射貫いぬけ、颯弓そうきゅうプルフィケルメン」


 魔霊鬼ペリノデュエズに通常の武器は通用しない。倒すためには、強力無比な魔術を行使するか、魔術付与の武器を使うかのいずれかしかない。


 第三騎兵団団長ハクゼブルフトの得意武器はクレラスピクと呼ぶ、全長およそ四メルクの長槍だ。先端の刃には雷撃の、柄全体には軽量化の魔術が付与されている。刃が標的に刺さると同時、刺点してんを中心に稲妻が全身をけ巡る。


 一方、第六騎兵団団長のケイランガの得意武器はプルフィケルメンと呼ぶ、全長およそ二メルクの大型弓だ。クレラスピク同様、全体に軽量化の魔術が付与されている。


 特筆すべきは矢の方だ。狙う距離によって数種類用意され、やじりにもまた目的によって複数の魔術が付与される。今は短距離用、全長一メルク程度のものを使用していた。空気抵抗に負けないように散走さんそうの魔術が、鏃には燃焼の魔術が付与されている。


 ハクゼブルフトが全体重を乗せて長槍を投擲、ケイランガが構えた弓の弦を引き絞り、軽やかに矢を射出した。


魔霊鬼ペリノデュエズよ、存分に食らうがよい」


 ホルベントがえた。


 魔術を帯びて光輝く刃と鏃が魔霊鬼ペリノデュエズを目標と定め、高速飛来する。


 イオニアとモルディーズは、つい先だって魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いを直視している。何ら慌てることはなかった。


 マリエッタとシルヴィーヌは、そうはいかない。初めて見る魔霊鬼ペリノデュエズ、それ以上に気を失ってしまった姉セレネイアが気になって仕方がない。すぐにでもセレネイアのもとまでけ寄りたい。状況がそれを許してくれない。


 二人は、正直に思っていた。


 なぜ、かの御仁ごじんは何もせず、じっと静観したままなのか。聞いたとおりであるなら、その力を振るえば一瞬にして事が片づくに違いない。そうなれば、姉のそばに行けるのにと。


 そもそも、彼女たちは分かっていなかった。なぜ、先ほどまで座っていたセレネイアがカランダイオに支えられているのかということを。


 こちらをじっと見つめる二人の視線に気づいたか。カランダイオはため息をつきつつ彼女たちに語りかける。


≪マリエッタ殿もシルヴィーヌ殿も、決してこちらに来てはなりませんよ≫


「えっ」


 二人は同時に驚きの声を発していた。


≪声に出す必要はありません。直接、貴女たちの脳裏に語りかけていますからね。思ったことを頭に浮かべれば私と会話できます≫


 早速、好奇心旺盛なシルヴィーヌが試してみる。


≪わあ、このようなことができるのですね。魔術は本当に不可思議なものですね。それで、セレネイアお姉様は≫


 かなり筋がよいのだろう。あっさりと自分のものにしている。


 マリエッタは苦戦していた。ついつい言葉になって出てしまう。本来、魔術の素養はマリエッタの方が断然高い。細かい制御が苦手のようだ。それも仕方がない。


≪マリエッタお姉様、こうするのですわ。それにしても、お姉様はルシィーエット様から手解てほどきをお受けになっておられるのでしょう。私にもできるこんな簡単なことを≫


 早速、シルヴィーヌが突っ込みを入れてくる。マリエッタは鬱陶しそうに言い返す。この二人の間は平常だ。


≪う、うるさいわよ、シルヴィーヌ。だって、仕方ないじゃない。ルシィーエット様はいつも『いちいち小さなことを気にするんじゃない。とにかく敵めがけて最大威力で一気にぶっ放せばいいんだ』とおっしゃるのですから≫


 マリエッタの声を聞いて、カランダイオは頭を抱えた。それでこそ、ルシィーエットなのだが、とはいえ、マリエッタには同情の念を禁じ得ない。


≪ともかくです。セレネイア殿は私に任せておいてください。貴女たちはそこから動かぬこと。よいですね≫


 すさまじい衝撃音を残し、槍と矢が寸分の狂いもなく魔霊鬼ペリノデュエズの急所を貫いていった。


 刹那せつな魔霊鬼ペリノデュエズの体内を雷撃がけ巡り、さらに熱炎が体表を焼き尽くしていく。


「やったか」


 ホルベントはもちろん、騎兵団の中で魔霊鬼ペリノデュエズとの実戦経験を持つ者はいない。どの程度の攻撃を行えば倒せるのか、皆目見当がつかない。


 二人の団長の放った同時攻撃は、数百人単位の一軍を壊滅するだけの威力を有している。魔霊鬼ペリノデュエズと人で構成された軍隊とでは、比較にならない。


 二人が狙ったのは、あくまで人としての常識的な急所だ。それが必ずしも魔霊鬼ペリノデュエズの急所とは限らないのだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズには、急所と呼ばれる部位は存在せず、核を破壊することでしか倒せない。残念ながら、彼らがそのことを知るよしもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る