第290話:待つ者と急ぐ者

 初撃必殺こそガドルヴロワの戦いにおける唯一不変の法則だ。


 ひとえに彼の剣の師にうところが多分にある。剣の系統としては、三大流派で言うところのビスディニア流に最も近く、そこに独自の技術をぜている。


 ビュルクヴィストとガドルヴロワ、二人の距離はおよそ十歩間まで詰まっている。


 ゼーランディアの魔力が色を帯び、空をり裂いて十振じゅっふりの剣が乱舞している。ビュルクヴィストは既に剣界けんかい内、この段階からは何をしようとも剣の餌食えじきだ。


 ゼーランディアは付与した魔術を発動させるべく、最大の集中力をもって魔力制御を続ける。


 彼女の意を受けた十振りの剣がすさまじい勢いと速度をともない、上空より五月雨さみだれのごとく降りそそぐ。不規則な動きが視界をさまたげる。ビュルクヴィストはガドルヴロワの姿が認識できない状態だ。


「ビュルクヴィスト様」


 背後からエランセージュのうれいを帯びた声が飛ぶ。


 直撃は確実だ。もはや逃れようもない。誰もがそう思った。


「問題ありません。全てえていますから」


 刹那せつな、十振りの剣はことごとくが静止を余儀よぎなくされていた。発動するはずの付与効果さえ無効化されている。


 どこから取り出したのか、ビュルクヴィストは右手に持った錫杖しゃくじょうをやや前方に突き出している。それだけだ。


「何、あの光は。あれは、まるで、あり得ないわ」


 ゼーランディアのつぶやきは誰の耳にも入らない。


 差し出した錫杖の先端部、八つの立て爪によってめられた一際ひときわ美しい拳大こぶしだい宝玉ほうぎょくまばゆい光を散開させている。


 八つの立て爪は全て異なる色で構成されている。透明に輝く宝玉内部に八色が溶け込み、複雑に乱反射を起こしながら幻想的なきらめきをもって、上空より降り注ぐ十振りの剣を包み込んでいる。


「無駄です。視えていると言ったでしょう」


 静止した十振りの剣のはるか上空、音もなく、さらにはにおいも色もなく、二振ふたふりの剣が落ちてくる。視界から消えたガドルヴロワの姿は完全に闇に溶け込み、剣身だけが鈍色にびいろに輝いている。


 ガドルヴロワは既に危険を察知している。跳躍ちょうやくが裏目に出てしまっていた。下降に転じている今、途中で勢いは殺せない。


「ガドルヴロワ、剣を捨てて」


 迷っている暇はない。このまま光の中に突っ込むのは自殺行為だ。


 姉の言葉を受け止めたガドルヴロワは、二振りの剣をいさぎよく手放す。剣と共に落下軌道に入っていたガドルヴロワの身体だけがすんでのところで静止した。


 ゼーランディアの魔力操作による賜物たまものだ。彼女の目は常に弟に向けられている。だからこそ、速やかに危機をさとり、十振りの剣に向けていた魔術を弟に切り替えたのだ。


 ガドルヴロワの身体は引っ張られる形でゼーランディアのもとへと誘導されていく。


「あの八色の光に絶対触れては駄目、あれは間違いなく」


 ゼーランディアの言葉を引き取ったのはエランセージュだ。


根元色パラセヌエです。我が神がその御身おんみまとわれし八色、ああ、何と美しいのでしょう」


 なか恍惚こうこつとした表情を見せるエランセージュには驚かされるばかりだ。ヴェレージャとディリニッツは無言でうなづき合い、彼女に多大な影響を与えたであろう人物を脳裏に思い描く。


根元色パラセヌエは人にはあまりに過ぎた力よ。それこそ禁忌きんきではなかったかしら」


 どこまでも冷静沈着なソミュエラが突っ込みを入れてくる。エランセージュは小さく首を縦に振って肯定こうていの意を示した。


「いかにビュルクヴィスト様が魔術高等院ステルヴィア院長であろうと、生身の状態で根元色パラセヌエを扱うことはできません。それを唯一可能とするのがあれなのです」


 エランセージュが指差す。


「ビュルクヴィスト様が手にするあの錫杖も秘宝具ひほうぐなのね」


 ヴェレージャのささやきにも似た声に、またもエランセージュが首を縦に振る。


 魔術高等院ステルヴィア院長にのみ代々受け継がれてきた、そしてレスティーの使用許可があってこそ初めて人族の身で扱える秘宝具、それが時空の王笏ゼペテポーラスだ。


 先端の宝玉から放たれている八つの光は、根元色パラセヌエを構成する八色、すなわち黄燐ジョフォソル青嵐ヴァスファシェ緑風エテブリゼ紫雹グレプラトゥ赤雷フォルドゥル橙輝オレイラージェ水露ロレゼレト、そして金空シエメリクで、完璧なる調和のもとに置かれている。


「副次効果でこの威力です。確かに、人にはあまりにも過ぎたる力ですね」


 ゼーランディアがガドルヴロワをかばうようにして前に進み出る。魔術師の姉をまもるのが剣士たる弟の務めだ。おのずと立ち位置も決まる。それが今は逆になっている。


(あの光の前では剣など玩具にすぎない。私の魔術でさえ。何としてでも弟だけは護ってみせる)


「ビュルクヴィスト様、ご挨拶あいさつが遅くなりました。本当にお久しぶりです」


 おだやかな口調ながら、ゼーランディアの瞳は敵意に満ちている。


「ええ。元気でしたか、と聞くのもおかしな話ですが、ただ一点を除き、変わりはないようですね」


 敵意の視線には慣れている。敵意と言っても、憎悪ぞうお侮蔑ぶじょく、反感、拒絶など様々な要素がある。ゼーランディアが向けてくるそれは、弟にあだなす者には容赦しないという強固な意思であり、愛がもたらす徹底排除だった。


「ビュルクヴィスト様もご壮健そうけんの様子、お変わりないようで何よりです。お聞きしたいことがあります。教えていただけますでしょうか」


 ビュルクヴィストは首を縦に振って了承の意を返す。


「八色の光、紛れもなく根元色パラセヌエですね。決して人には扱えない力です。何故なにゆえにビュルクヴィスト様が」


 最後まで聞く必要はないとばかりに性急せいきゅうなビュルクヴィストが途中で口をはさむ。


「この錫杖こそ、ですよ」


 先ほどエランセージュが指差した答えがここにある。


「魔術高等院ステルヴィアで厳重に封印されている秘宝具です。代々の院長にのみ継承され、特定条件を満たさない限り、触れることすらかなわないのです」


 ビュルクヴィストの言葉を咀嚼そしゃくするまでもない。触れることすら叶わない錫杖を、今まさに眼前でかかげているのだ。特定条件が満たされているということにほかならない。


「ゼーランディア、貴女は昔からさとい子でしたね。ガドルヴロワを護るその姿勢も変わっていません。ですから、もう一度問いますよ」


 わずかに間を置いて、姉弟に考える余地を与える。


「ここで戦う意味はあるのですか」


 二人ともに理解している。根元色パラセヌエの八つの光が調和を保って展開されている以上、剣であろうと魔術であろうと一切通用しない。


 人としての感情は既にビュルクヴィストとの戦いを拒否している。にも関わらず、もう一つの感情、それを感情と呼ぶかはさておき、魔霊鬼ペリノデュエズ殺戮さつりく本能はいや増すばかりなのだ。


(魔霊鬼ペリノデュエズの力が活性化していますね。根元色パラセヌエに当てられながらも、殺戮本能だけは決して消えない)


 ビュルクヴィストは逡巡しゅんじゅんの後、旧友のもとに魔力感応フォドゥアを飛ばすのだった。


≪ヒオレディーリナ、教えてください≫


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ビュルクヴィストたちと別れたヒオレディーリナは、一目散に三姉妹のもとへ急いでいる。


 時間が惜しい。気紛きまぐれな寄り道をしたせいで、あの二人よりも遅れをきっしている。


 ルシィーエットが追ってきているのも承知している。彼女は三姉妹を知っている。ほうっておいても問題はない。


(顔はもちろん、魔力質も分からない。あの二人を早く探し出さないと)


 珍しくあせる。気持ちが先へ、先へと進んでしまう。事情が急変したからだ。


 ルシィーエットの言葉に嘘はない。断言できる。ルシィーエットがヒオレディーリナに嘘をつくなどあり得ないからだ。それだけ二人の絆は深く、かつ強い。そして、ヒオレディーリナの告げた言葉にも嘘はない。


(セレネイア、だったかな。殺されていなければいいけど。ルーやビュルクヴィスト以外で、あの二人を相手に勝てるとは思えない)


 肝心のヒオレディーリナはどこにいるのか。


 高度二千メルク地点、そこから崖縁がけふちを乗り越え、断崖絶壁だんがいぜっぺきをほぼ垂直に降下しているのだ。常人からすれば、想像を絶する行為だろう。


 彼女は全身に風をまとい、重力など関係ないとばかりに真下へと疾駆しっくする。さらに目標物を捕捉ほそくしようと全方位に魔力の網を広げていく。


 もっと手っ取り早い方法もある。ヒオレディーリナの身体には根核ケレーネルが埋め込まれている。その力を用いれば、他の核がどこにあるか瞬時に把握はあくできる。


 本来、一つの身体の中に複数核を持つのが上位魔霊鬼ペリノデュエズだ。魔霊人ペレヴィリディスのように別々の身体に埋め込む技術は、あくまでジリニエイユの秘術でしかない。


 それゆえ根核ケレーネルをもってしても、他の魔霊人ペレヴィリディスの制御は叶わない。せいぜい位置を特定するぐらいだ。


(見つけた)


 網に引っかかったのは人族が有する複数人の純粋な魔気、そして二体が有するいびつに乱れた邪気と魔気だった。


(これは。そう、こんなところにいたのね)


 みを浮かべたヒオレディーリナはさらに加速し、一気に目的地へとけ下りていった。

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