第104話:束の間の別れ

 相当に無理をしていたのだろう。小屋に戻るなり、ラナージットは倒れ込んでしまった。すかさずヴェレージャがかかえ上げる。


「ディリニッツ、急いで。かなりの高熱だわ。すぐに治癒術をほどこさないと」


 小屋の中とはいえ、警戒はゆるめない。ディリニッツは小屋に入る前から発動している魔術探知をもって、ラナージットの部屋を念入りに調べた。


「大丈夫だ。異常はない。俺が先に入る」


 ディリニッツに誘導されて、ヴェレージャも室内に足を踏み入れる。


 空気がやけによどんでいる。ディリニッツは気づかなかったのだろうか。ヴェレージャは不審に思いながら、自身が届けた魔装人形トルマテージェに目を向ける。


(なるほど、そういうことなのね。魔装人形トルマテージェに手を加えていたのね。数日前に訪れた際、沈黙させたままだったから気づかなかったわ。一部で私の制御を離れているわね。さて、どうしたものか)


「どうした、ヴェレージャ。早くラナージットを寝かした方がよいぞ」


 急に呼びかけられたヴェレージャが、意識をラナージットに戻す。高熱のためだろう。額には大粒の汗が浮かんでいる。ぐったりしたままの彼女の身体を優しく横たわらせる。


「こちらに、来なさい」


 魔装人形トルマテージェに命令を与える。さすがに、命令に逆らうような過激な改変はなされていない。油断は禁物だ。念には念を入れる。


「ディリニッツ、魔装人形トルマテージェが行使する魔力の流れを」


 多くを語る必要はない。ディリニッツも優れた魔術師の一人だ。言外の意味をすぐにみ取った。


「任せろ。お前はこれを飲んで、万が一に備えておけ」


 小瓶に入った淡青色たんせいしょくの液体を無造作に放り投げる。ヴェレージャは片手で受け取ると、確かめようともせず一気に飲み干した。失った魔力をわずかばかり回復させる効果がある。


 かつては、不味まずいうえ、強烈な刺激臭をともなゆえ、飲めたものではなかった。今では改良に改良を重ね、無味無臭の液体になっている。


「ラナージットを治癒しなさい」


 魔装人形トルマテージェの手が持ち上がり、ラナージットの頭部にかざされる。魔術の発動をもって、手の周囲から柔らかく、温かいほのかな光が放たれた。


 ラナージットの頭部から足先までを覆った光が、ゆっくりと浸透していく。


「害意はない。光の質にも問題はなかった。単純治癒力が正常に働いている」

「そう、それなら安心ね。よかったわ」


 返事もそこそこに、ヴェレージャが室内の片隅を凝視している。よどみを感じた要因がここにある。


「召喚の残滓ざんしだ。この前に訪れた時から、濃度がほとんど変わっていない。何度も繰り返し、召喚しているのだろう。心配するな、ヴェレージャ。ラナージットを守るためのものだ。決して傷つけるためのものではない」


 ラナージットのそばに腰を下ろしていたヴェレージャが、驚きの眼差しでディリニッツを見上げる。少々、ばつが悪そうにディリニッツが答える。


「お前なら気づいていると思ったからな。あえて言う必要も感じなかった」


 意外そうな目を向けるディリニッツに、ヴェレージャは弁解もせず素直に答える。


「私は、気づけなかったわ。悔しいわね。魔術に関しては私の方が何でも上、なんて思ってはいないけど、見抜けなかったのは痛恨の極みよ。ラナージットを守るための召喚だったからよかったものの、その逆だったらと考えると、ぞっとするわ」


 ディリニッツも同感だった。あの時、即座に対応しなかったのも、問題ないと判断したからだ。何より対応できない力であってもレスティーがいた。心配する要素は一切なかったのだ。


「俺たち魔術師は、最大限かつ細心の注意を払わねばならない」


 てして、戦場では、魔術師に対して強力無比なる魔術を行使、敵を一掃することが求められがちだ。大規模戦闘では、魔術師はそのために存在する、と言っても過言ではないだろう。


 一方で、ほとんど目を向けられない側面もある。魔術師にとって、魔術の行使は何も直接的なものに限らないのだ。


「魔術師にとって、あらゆる局面を想定、脅威のみ取っていく力こそが最も重要だと考えている。俺たちは、最後まで冷静沈着でなければならない。ああ、済まない。お前相手に説教めいたつまらぬことをしてしまった」


 ヴェレージャは静かに首を横に振り、言葉を発する。


「そんなことはないわ。むしろ貴男にお礼を言いたいわ。私も、今回のことでまだまだだと気づかされたもの」


 ヴェレージャは視線を落とし、ラナージットの寝顔を見つめた。その額に手を当ててみる。どうやら治癒の効果が発揮したのだろう。高熱は収まり、幾分か表情がやわらいでいる。


「ラナージット、貴女の人生を狂わせた男は、必ず私とディリニッツで始末するわ。それで貴女の人生が元どおりになるわけではないけど、これは貴女だけでなく、私たちにとっても必要なけじめよ」


 額に置いていた手に、ラナージットの手が重なった。


「ヴェレージャお姉さん、ディリニッツさん、私のために、有り難うございます。また、会いに、来てくれますか」


 二人の声が重なる。


「もちろんよ」

「もちろんだ」


 わずかにほおを緩めるラナージットが、いとおしくてたまらない。


 戦いの地より必ず戻ってきて、元気になったラナージットを故郷フィヌソワロに連れて行ってやろう。妹と会わせるのもよいかもしれない。ヴェレージャはその思いをいっそう強くした。


「ヴェレージャ、そろそろ行くぞ。陛下より十二将全員に対して招集がかかった。恐らくは、お前がパレデュカルから聞いた内容について話されるのだろう。これから忙しくなるぞ」


 このままラナージットを一人にしてしまってよいのだろうか。ヴェレージャの不安げな表情から察したのだろう。


「ヴェレージャお姉さん、私は大丈夫です。行ってください」

「ラナージット、貴女。ええ、分かったわ。行ってくるわ」


 葛藤がなかったわけではない。国王からの十二将招集であろうとも、ラナージットにそばにいてやりたい気持ちの方がはるかに大きい。


 ラナージットはヴェレージャの心中を察したのだろう。だからこそ、送り出す言葉を先に口にしたのだ。


 わずかながら、ヴェレージャの手を強く握り、おもむろに力を緩める。ヴェレージャはその手を優しく握り返し、髪をでてから立ち上がった。


「必ず会いに来るわ、ラナージット」


 ディリニッツも、ラナージットに視線を向け、黙したまま頷く。


 ディリニッツが展開した影の領域に入る。刹那せつな、二人の姿は影に飲み込まれるようにして消え去った。

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