第105話:当代と先代の三賢者

 魔術高等院ステルヴィアの中心部、九芒星内に建つパラティムには珍しく院長ビュルクヴィストと当代三賢者がそろっていた。加えて、懐かしい二人の顔もある。


 現レスカレオの賢者ことミリーティエ、ルプレイユの賢者ことコズヌヴィオが、先代賢者の二人を最大の礼をもって迎えていた。


「ルシィーエット様、オントワーヌ様、ご無沙汰しております。ようこそおいでくださいました」


 面倒そうに手を振り払うのはルシィーエットだ。やや後ろに立つオントワーヌがやはり苦笑している。


「ふん、精進しょうじんしているようだけど、まだまだだね。ところで、ビュルクヴィスト、この子たちにも話は聞かせているのかい」


 椅子に腰を下ろしたまま、疲れを隠せないビュルクヴィストが、否定のために首を横に振りつつ言葉を返す。


「いえ、二人には荷が重いでしょう。今回の戦いに連れて行くつもりはありませんよ。院長として、判断しました」


 明らかに落胆の表情を見せるルシィーエットだった。ビュルクヴィストに向けたものか、あるいは二人に向けたものか、恐らくは両方だろう。


「あんたたちは、賢者になって何年つんだい」


 二人が即答した。ミリーティエがおよそ七年、コズヌヴィオがおよそ九年だ。


 腕組みをしたままのオントワーヌが小声でつぶやく。


 先日のラディック王国での暴露事件があって、ビュルクヴィストに叱責しっせきを受けたからか、あるいは元来がんらいの性格からか、かなり控えめな態度だ。


「ビュルクヴィスト、二人がどこまで固有魔術をみがき上げているか。それを見てからでもよろしいのでは。ちょうどよい機会です。私とルシィーエットで確かめても構いません。最終的な判断はそれからということで」


 悩ましい顔でオントワーヌを見上げるビュルクヴィストだった。その顔には、余計なことを、と書いてある。ため息をつきつつ、ビュルクヴィストは渋々しぶしぶ認めるしかなかった。


「仕方ありませんね。貴方たちにはしっかり責任を取ってもらいますよ。その前に、肝心な話を済ませておきましょうか」


 ビュルクヴィストの言葉を受けて、ルシィーエットとオントワーヌが腰を下ろす。それを見て、当代賢者の三人も揃って着座した。


「少し長くなります。私の話が終わるまで質問はなしですよ。よろしいですね」


 ミリーティエ、コズヌヴィオに向けたものだ。二人は緊張の面持ちでうなづいた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ビュルクヴィストの説明が終わったところで、ルシィーエットが言葉を発した。


「ビュルクヴィストの言ったとおりだよ。あんたたちは経験も実力も圧倒的に不足している。賢者だからといって自惚うぬぼれていたら、簡単に足元をすくわれるよ」


 二人は魔霊鬼ペリノデュエズと一度も対峙たいじしていない。エレニディールにしても、わずか数回といったところだ。それも、自ら戦ったわけではない。あくまでレスティーの指示のもと必要最低限の関わりでしかない。


「奴らのあの異常なまでの強さは、人を相手に戦うのとはまるで事情が異なるんだよ」


 二人にとって、ビュルクヴィストの話はひど突拍子とっぴょうしもなく、簡単にみ込めるものではない。思考が追いつかないのだ。いずれ、訪れるであろう恐怖、困惑、忌避といった負の感情に備える余裕もない。


「まだまだですね。エレニディールも含めて」


 なかほうけている二人、さらに一言も発しないエレニディールを見渡し、ビュルクヴィストが背を預けていた椅子から立ち上がる。彼にしては珍しく、声を張り上げた。


「魔術高等院ステルヴィアが誇る賢者とは、魔術に秀でた者に与えられる称号にあらず」


 魔術高等院ステルヴィアの教えに、かくのごとくある。


 賢者とは、いかなる敵を前にしても常に冷静沈着でなけれはならない。全ての叡智をもっていかなる敵をも打ち払う者、真理を導き模範となる者、弱きを助け強きをくじく者、謙虚でおごりのない者、複合的な意味合いを持つのだ。


「貴方たちはその心構えを忘れてしまったのでしょうか。今一度、賢者がいかなる存在か、どうるべきなのか、己自身を振り返り、しっかり見つめ直しなさい」


 ビュルクヴィストの叱責を前に、エレニディール、ミリーティエ、コズヌヴィオの三人ともが項垂うなだれている。


「貴方たちは、先代賢者たる私たち三人が認め、当代賢者に推挙した者たちです。貴方たちが今、さらけ出している姿は、ひとえに私たちに対する裏切りにも等しく、また侮辱ぶじょくにもつながるものです」


 飄々ひょうひょうとして、手厳しい言葉は滅多めったに吐かないビュルクヴィストだ。その彼が、語気も鋭く三人に対して真摯しんしに語りかけているのだ。この戦いにける思いが、ひしひしと伝わってくる。


 沈み込む当代賢者たちとは対照的に、ルシィーエットもオントワーヌも思わず吹き出していた。


「な、何がおかしいのですか、二人とも。こんなにも真剣に語ったというのに」


 ルシィーエットがすかさず突っ込む。


「いや、おかしいも何も、ビュルクヴィスト、それって、ほとんどがレスティー殿の受け売りじゃないか。それをさも自分の言葉のように言い切れる才能、ある意味、あきれつつも感心するしかないよ」


 ルシィーエットの横で端的にうなづくオントワーヌ、こちらもまた好対照の二人だった。


「いや、まあ、それはそうなのですが。ここで明かすこともないでしょう。せっかく、院長として、私が恰好かっこうよく決めたところだったというのに。ほら、ご覧なさい」


 幾分でも緊張がほぐれたのか、とりわけミリーティエとコズヌヴィオの表情から強張こわばりが取れている。わずかながらも笑みが見える。


 ビュルクヴィストが早速まとめに入る。


「ないと確信していますが、万が一にも、賢者としての荷が重いと思うのであれば、今ここで言いなさい。すみやかに推挙を取り消し、賢者の地位から解放してあげますよ」


 院長として、かなり思い切った発言だ。


 賢者は個々が卓越した力を有している。では、なぜ月の名を冠しているのか。意味がここにある。


 藍碧月スフィーリア紅緋月レスカレオ槐黄月ルプレイユ、これらは三連月となった時、全てにおいて最も強い影響力を及ぼす。一つ欠けただけで、その力は大幅に減ぜられてしまう。


 賢者も同じだ。真の力を発揮するのは、三賢者が等しくそろった時なのだ。


「ミリーティエ、コズヌヴィオ、お前たちは先に研究訓練室へ行っていろ。ビュルクヴィストと話が残っている。エレニディール、お前については」


 ルシィーエットが二人を促し、エレニディールを見てから、ビュルクヴィストに視線を転じる。どちらでもよいから、お前が決めろ、ということだ。


「エレニディール、貴方はここに残りなさい。話があります」


 ミリーティエとコズヌヴィオが一礼の後、部屋を出て行く。気配が完全に消えたところで、ルシィーエットが先陣を切った。


「ビュルクヴィスト、一つ確認しておきたい。レスティー殿があの時におっしゃった『万が一の時は、そなたに預けている、あれを使用する許可を与えておく』とは、まさしくあれのことだね」


 ルシィーエットを相手に、誤魔化ごまかしはかない。そもそも、彼女はその存在を知っているのだ。


 代々の院長にのみ受け継がれていく秘宝具は、禁呪と並ぶ最重要秘匿対象に指定されている。特に、レスティーから恩賜おんしされた時空の王笏ゼペテポーラスは秘宝中の秘宝であり、時の院長でさえ自由に使えるものではなかった。


「貴女が知っていても不思議ではありませんね。本来なら、私ではなく、貴女が院長になるべきであり、先代院長オレグナンもそれを望んでいましたから。色々と聞いていることでしょう。その効力については、ご存じですか」


 ビュルクヴィストの問いに、ルシィーエットが即答する。


「もちろん、知っているさ。時空の王笏ゼペテポーラスは、ただ一度だけ、全盛期の肉体にまで時を巻き戻す、だったね。だからこそ言うよ。私に使え、ビュルクヴィスト」


 揺るぎない決意がルシィーエットの瞳に刻まれている。ビュルクヴィストは、無駄だと知りつつ反論を繰り出す。


「無茶を言わないでください。効果は貴女が言ったとおりです。これほどの効果をもたらすのですよ。何の代償もなく、使用できると思いますか」


 秘宝を使用するには、様々な代償が必要とされている。そして、その代償の内容は秘宝継承時にのみ伝えられる。今、それを知るのはビュルクヴィストのみだ。


「これを言うのは、卑怯ひきょうかもしれません。それでも、あえて言います。貴女にだけはくれぐれも使わせるな、とレスティー殿からきつく言われているのです」


 レスティーの名前が出たことで、ルシィーエットは口をつぐんでしまう。そこに割って入ったのはオントワーヌだった。

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