第009話:ウーリッヒの異変

 第一王女セレネイアを先頭に、第一騎兵団は一路、オーソンムを目指して馬をっている。


 出立前夜、イオニア、モルディーズ、セレネイアは深夜まで議論を重ねた。最終目的地は一致していた。言うまでもなく、ゼンディニア王国だ。


 ラディック王国と常に対立していることが最大の理由だ。


 昨今の軍事力増強も見逃せない。他大陸から積極的に戦力となる人材登用を進めている。明確な武力行為は行っていないものの、不穏な動きを見せていることは誰の目から見ても明らかだった。


 現国王イプセミッシュは曲者くせものとして知られ、自らの野望をはばからず公言している。


 ラディック王国にとっては、第一王子ヴィルフリオがゼンディニア王国で引き起こした交換留学時代の問題も後を引いており、頭痛の種になっている。


 ここ数年、ラディック王国はもとより、他三国もゼンディニア王国の動向を注視している。


 とりわけ、ゼンディニア王国と陸路で国境を接するルドゥリダス王国は、戦争になれば真っ先に攻撃を受ける可能性が高い。


 国境沿いにはヴァンゲンフェルツ大森林地帯が広がり、大規模侵攻に対する足止め程度には役立つだろう。海路や空路から攻撃を受ける想定も必要だ。


 そういった観点からも、ルドゥリダス王国はゼンディニア王国に対する警戒心が最も強く、情報収集に抜かりがない。


 セレネイアには、つい先頃まで交換留学でルドゥリダス王国の王都エレドリスに滞在、王族たちとも良好な関係を築いてきたという利点もある。


 様々な案が出されたものの、セレネイアが赴く地として、ルドゥリダス王国が最適ではないかという結論に達した。


 ラディック王国を出立してから、既に二昼夜の時を費やしている。中継都市の一つで人口約三十万人のオーソンムまでは、もうまもなくの距離だ。セレネイアは気がいて仕方がなかった。


 先頭をひた走るセレネイアに、一人の男が近づいてくる。副団長のクルシュヴィックだ。


 騎兵団は貴族と平民の混合編成だ。貴族と平民、さらに貴族の中でも、爵位による差別が大きく、往々おうおうにして、実力よりも身分を優先した社会構造になっている。


 セレネイアが第一騎兵団の団長に就任して、まず着手したのが、この意識改革だった。身分を問わず、実力のある者が上に立つと宣言したのだ。


 無論、実力だけでは話にならない。上に立てば人を率いることになる。そのための人間性も重視した。


 予想される反発は、想像以上に大きかった。


 ラディック王国は、平民でも実力さえあれば、積極的に適材適所の人材登用を進めている。他諸国に比べても、緩やかな身分差別になっている。


 貴族たちの選民意識は根強く、特に上級貴族たちのり固まった思考は、如何いかんともしがたい。不平不満は圧倒的で、第一騎兵団から離脱する者さえ出る始末だった。


 一枚岩でなくなった団員を説き伏せ、まとめあげたのが当時の団長を務めていたクルシュヴィックだ。


 クルシュヴィックもまた貴族、伯爵の地位を持つ。その彼を団長から副団長に降格、セレネイアを団長に据える人事は、多方面から大きな批判を浴びた。


 当のセレネイアでさえ、この人事には反対したのだ。任命したのは、父でもある国王イオニアだからなおさらだろう。


 実のところ、セレネイアを団長に、という人事を考え出し、推し進めたのは他ならぬクルシュヴィックなのだ。


 王族であるセレネイアが配下になることへの配慮はもちろんある。それを度外視するほどに、セレネイアの実力、人柄にれ込んだがゆえだった。


 この話には逸話がある。いずれ語られる機会もあるだろう。


「セレネイア姫、いえ団長、少しゆるめましょう。我々の疲弊も色濃いですが、その前に馬がやられてしまいます」


 セレネイアは助言を得て、手綱を引くと、減速に入る。彼女の動きに合わせ、他の団員も減速、駈歩かけあしから速歩はやあしへ、さらに常歩なみあしまで速度を落としていった。


「有り難う、クルシュヴィック副団長。貴男には助けられてばかりですね」

「いえ、私は団長を補佐する立場です。当たり前のことをしているだけですよ」


 大きく息をついたセレネイアが、ややかたい笑みを浮かべ、おもむろに愛馬の首を優しく何度か叩いた。


「ごめんね、無理をさせたね。脚は大丈夫かな」


 セレネイアの声に応じるように、愛馬は短めのやや高いいななきを返してくる。


「このままの速度でしばらく進みましょう。皆は、できる限り馬上で休息を取ってください」


 セレネイアが全員に声をかける。


「日が暮れるまでには、オーソンムに到着できるでしょう。団長、いては事を仕損じるとも言います。どうか、ご無理なさらずに。思うところがあれば、遠慮なく私に伝えてください」


 素直な感情を吐露とろする。


「ええ、これからはそうします。クルシュヴィック、貴男がいてくれてよかったです。これからも私を支えてください」


 セレネイアには、やはりクルシュヴィックこそが団長であるべきという思いがいまだに強い。この人事がクルシュヴィック本人の発案だという事実を、彼女は知らないのだ。


 わだかまりを胸に抱えつつも、団長としての責務を果たそうとする彼女は成長途上だ。だからこそ、クルシュヴィックの支えは何ものにも代えがたい。


 夕刻、第一騎兵団は無事にオーソンムの門をくぐった。


 セレネイアとクルシュヴィックは、その足でオーソンム市長公邸に向かい、市長及び副市長と面会、国王イオニアからの要件を手短に説明した。


 二つ返事で了承を得た二人は、挨拶あいさつもそこそこに切り上げると、市長公邸内に用意された部屋に落ち着いた。


 セレネイアが、他の騎兵団員たちと同じ宿でと言い張るところを、市長とクルシュヴィックが何とかなだめる、という小さな騒動はあったが。


 王族あるいは上級貴族のみが使用できる部屋は、もちろん個室だ。街の中にある宿泊施設とは異なり、至れり尽くせりだった。


 一方、他の騎兵団員は幾つかの宿泊施設に分散のうえ、一夜を過ごすことになる。


 団員がまずやることと言えば、厩舎きゅうしゃに馬を連れて行き、世話をすることだ。騎兵団にとって、馬は最高の相棒であり、互いの信頼関係が築けてこそ一人前になれるといっても過言ではない。愛馬とは一心同体の関係なのだ。


 それが終われば、最大の楽しみ、食事になる。


 一度、任務に赴けば野宿は当たり前、そうなると食事は質素な携行食に限定されてしまう。一つ所に長期待機などの場合は、狩りなどを行って食材を調達することも可能だが、滅多にない。


 たとえ小さな町でも、立ち寄った際はその土地ならではの食事が何にもまさるご馳走ちそうになる。


 ラディック王国はリンゼイア大陸最大であり、東西南北に広がる国土を有する。


 料理の特徴について簡単に触れておくと、北部は寒冷な気候で育つ農作物や魚介を中心に塩分が高めだ。


 南部は山の幸を中心にルドゥリダス王国からの輸入品も数多く手に入るため、多種多様な二国の料理が味わえる。


 東部は海と山を抱えることから、幅広い食材を豊富に使った独特の郷土料理が舌と目を楽しませてくれる。


 西部は温暖な海流で育つ魚介を生かしたマスリバディナと呼ばれる料理が人気を集め、都市や街ごとの特徴もあってか、世界中から愛好家が押し寄せるほどだ。


 夜がけていく。団員たちは思い思いの過ごし方をしている。


 既に深い眠りに入っている者、武具の調整に余念のない者、家族や恋人に手紙を書いている者、あるいは夜の酒場で一人酒をたしなんでいる者などだ。


 騎兵団によっては、非常に細かいところまで規律で縛りつけているところもある。第一騎兵団はクルシュヴィックが団長を務めていた当時から、集団行動時以外の制限はゆるやかだ。


 セレネイアもそれを踏襲した運用を続けている。他者に迷惑を及ぼさない限り、ある程度の自由は必要との考えからだ。


 夜半やはん、クルシュヴィックの部屋を訪れる者があった。


 扉を軽く叩く音がした。


「ウーリッヒです。このような時間に申し訳ございません。どうしても副団長に相談したいことがあってうかがいました」

「入れ」


 クルシュヴィックは、まだ眠りにいていない。もともと睡眠時間は短い。突然の訪問も気にならなかった。


 扉を開けて、ウーリッヒがゆっくりと入って来る。


「こんな時間にここまで来るとは、よほど重要な話なのだろう。早速、聞こうか」


 ウーリッヒはしばし無言のまま、思案でもしているのか、少し苦しそうな表情を浮かべている。


 クルシュヴィックは彼の表情を見るまでもなく、入って来た時から異変を感じ取っている。長年つちかってきた経験からだ。帯剣はしていないものの、すぐ手が届く位置に剣を立てかけている。


 ウーリッヒは、見る限り帯剣はしていない。入室した際に、まず確かめていたのだ。長剣以外の武器を隠し持っている可能性も捨て切れない。クルシュヴィックは油断なく観察を続ける。


 自らがきたえて第一騎兵団に抜擢した逸材、それがウーリッヒだ。優れた剣技を持ち、人格も申し分ない。貴族ではないウーリッヒにとって、騎兵団はまさにあこがれの存在だった。

 

 騎兵団員選抜試験は毎年一度しか開催されず、しかも合格率は極めて低い。たとえ合格できたとしても、正騎兵へと至る道程はまさにいばらの道だ。


 一般市民たる平民のウーリッヒには、まず身分という大きな壁が立ちはだかる。その壁を越えたとしても、剣の技量や騎兵として最低限身につけておくべき教養など、貴族出身者と比べると素養からして違ってくる。


 貴族なら、金銭次第で有名な剣術道場に通わすことはもちろん、個人的に師をつけることさえできる。教養においては、貴族という立場から言うまでもない。


 ウーリッヒは、これまで選抜試験に二度落ちている。選抜試験は連続だろうが、間隔を開けようが、三回しか受けられない。これが三度目となるウーリッヒは、背水の陣の覚悟で試験に挑んだ。


 教養は筆記と口頭試問、馬術は一度きりの実技、剣術は二次までが准騎兵じゅんきへい対受験者複数との打ち合い、三次が馬上での准騎兵との一騎打ち、そして四次となる最終が正騎兵との一騎打ちという内容だ。

 

 三度目にして、初めて剣術最終試験に到達したウーリッヒは、そこで初めてクルシュヴィックと出会うことになる。


 結果は散々だった。これで夢はついえたと思った。


 試験段階で正騎兵に一太刀ひとたち入れられる受験生はまずいない。そもそも、正規兵の強烈な一撃に対し、防御の姿勢を取ることさえかなわないからだ。


 最終試験において、正騎兵が見るのは三点しかない。剣を扱う姿勢、その太刀筋たちすじ、そして心構えだ。そのいずれもが、クルシュヴィックと対峙した瞬間、凄まじいまでの威圧感を前に頭から吹き飛んでしまった。


 合格を知らされた時は、喜びよりも驚きの感情が大きかった。


 入団後、しばらくして偶然クルシュヴィックと話をする機会が訪れた。その時、思い切って聞いたのだ。


「なぜ、私は合格できたのでしょうか。最終試験は、私にとって悪夢でした」


 クルシュヴィックは一呼吸置いてから答えた。


「お前には見どころがある。天賦てんぷの才とも言えよう。いずれ私を超える日が来るかもしれぬ。そう判断したからだ。私自身の目で確かめたうえでな。ウーリッヒ、たゆまぬ精進しょうじんを忘れるな」


 彼の言葉がどれほど嬉しかったか。しっかり胸に刻み込んだウーリッヒは、それ以来、クルシュヴィックを心の師とあおぎ、一日も欠かさず誰よりも鍛錬たんれんを積み重ねている。


 その結果が第一騎兵団抜擢だった。

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