第010話:魔霊鬼

「クルシュヴィック副団長、何とも心苦しいのですが。貴男にはここで消えていただきます」


 ウーリッヒが静かに告げた。


「まずは理由を聞いておこうか」


 事もなげに問い返すクルシュヴィックは、ウーリッヒに視線を据え、瞳の奥底をのぞき込む。予想どおり、ウーリッヒからの回答はなかった。


葛藤かっとうしているな。迷いの感情が見えるぞ」


 ウーリッヒは、何度も首を大きく横に振っている。まるで何か別のものに抵抗しているかのようだ。


「うるさい。お前が、お前の存在が、邪魔なんだ。俺の心の中には、いつも、いつも」


 ウーリッヒを覆う狂気がたかぶぶっていく。

 

 彼の立っている床に異変が見られた。何かをこぼしたわけでもないのに濡れているのだ。


(あれは、まさか)


 クルシュヴィックも詳しく知っているわけではない。宮廷魔術師の一人から随分前に聞いた話にすぎない。しかも断片的な記憶しかない。


「お前、そうか。ウーリッヒであって、ウーリッヒではないな。誰だ。その身体にひそむのは」

「何を言っている。俺がウーリッヒだ。他の誰でもない」


 立てかけていた剣を、素早く手にして抜刀ばっとうする。


「違うな。お前とは別のものが、その身体を操っているのだ。今から私が引きずり出してやろう」


 すかさずウーリッヒにりかかる。ビスディニア流剣術の使い手たるクルシュヴィックは、第一騎兵団随一の腕前だ。一撃必殺の剛剣がうなりを上げて、左から真横に振り抜かれる。


かわしたか。確信した。お前はウーリッヒではない」


 致命傷を与えるつもりははなからない。


 クルシュヴィックが知っているウーリッヒであれば、今の一撃を避けることはできない。手加減したとはいえ、確実に裂傷を負っているはずだ。それが無傷のうえ、余裕をもって飛び退いている。


「危ないな。いきなり斬りかかるなよ」

「危ないだと。冗談はよせ。明らかに予想していた動きだったぞ」


 ウーリッヒの表情がゆがみ、悪意のこもった笑みが浮かぶ。


「さすがは前団長と言っておこう。だまし続けるのは無理のようだな。ああ、確かにこの身体は俺が支配している。なかなかに快適な身体だと感心しているところだ」

「大人しくウーリッヒの身体から出て行け、と言っても無駄なのであろうな」


 嘲笑にも似た表情が全てだ。クルシュヴィックが再び剣を構える。


「ならば、力づくで奪い返すまで」


 今度は本気の姿勢だ。明確な手法があるわけではない。ウーリッヒを操る者の正体も分からない。いや、確証は持てないものの、薄々は感じ取っている。


 だからこそ、かまをかけてみることにした。


「お前、魔霊鬼ペリノデュエズか」

「ほうほう、その名を知るか。随分と前団長が物知りのようだ。ならば分かっているだろう。貴様には、万に一つも勝ち目がないということが」


 最悪だ。世界の摂理から外れた存在、それが魔霊鬼ペリノデュエズなのだ。


 なぜ、このような異質なものが生まれたのか。いったい、どのような特性を持つのか。ほとんどが謎に包まれている。


 魔霊鬼ペリノデュエズには通常の武具が一切通用しない。魔力を持つ優れた武具、あるいは強力無比な魔術でしか倒せない。


 今のクルシュヴィックが、いや人があらがえるものではないのだ。


「ウーリッヒは、何としても私が助け出す」


 斬りかかろうとする直前だ。


 いきなりの行動にクルシュヴィックは機先を制された。ウーリッヒが自らの首を絞め始めたのだ。


 クルシュヴィックは知らなかった。既にウーリッヒを救い出すことは不可能だということを。


「何をする。卑怯ひきょうだぞ」


 クルシュヴィックの叫びに、ウーリッヒは一瞬手を緩め、言葉をつむぐ。


「卑怯、卑怯か。お前たちが好んでよく使う言葉だったな。ああ、上等だ。このまま締め続ければ、この男は息絶える。だが、俺が滅ぶことはない。さて、どうする。このまま続けようか」


 クルシュヴィックは手にしていた剣を捨てた。


「私の命が欲しいならくれてやろう。その代わり、ウーリッヒを解放すると約束してくれ」


 決断は早かった。甘いと言われようが、迷いはない。


「ほうほう、これはいさぎよいことだな」


 魔霊鬼ペリノデュエズから発せられた黒いもやが、思念波となってクルシュヴィックを貫く。


「気が変わった。この身体の代わりに、お前の身体をもらい受ける。その方が俺にも好都合というものだ」


 クルシュヴィックは意識を奪われる寸前、心の深淵しんえんのぞき込まれたことに気づいた。もはや手遅れだった。


「ほうほう、素晴らしい。この感情、先ほどの男とは比べようもない。前団長といえど、所詮しょせんは男か。甘美なことよ」


 魔霊鬼ペリノデュエズに身体を乗っ取られたクルシュヴィックが、倒れて動かないウーリッヒに近づいていく。


「ふむ、こいつはもはや使い物にならんな。ならば人形として、使い捨ての駒にでもしておくか」


 ウーリッヒの額に指を押し当て、二言、三言とつぶやく。


 操り人形と化すための言霊ことだまが、ゆっくりと浸透していく。ウーリッヒが立ち上がる。うつろな目でクルシュヴィックを見つめ、そのまま部屋を出て行った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌朝、出立の時間になった。


 総勢四十名が馬上にある。クルシュヴィックの姿はセレネイアの隣に、ウーリッヒもまた騎兵団の中に見られた。二人に変化はない。


 セレネイアがクルシュヴィックに何か話しかけている。違和感を持つ者は皆無だった。


 オーソンムを出ると、すぐに国境越えが待っている。


 ラディック王国とルドゥリダス王国は良好な関係を築いているため、双方による国境警備はそこまで厳重ではない。


 身分、職業、年齢、種族を証明するものがあり、内容に虚偽がなければ、ほぼ誰もが通過できる。通行税も、他に比べて格段に安価だ。


 騎兵団などの軍となれば、話は異なる。不可侵条約はあるものの、ふとしたきっかけで衝突、そこから戦争に発展する。これまでの歴史を振り返って見れば、何ら珍しいことではない。


 セレネイア率いる第一騎兵団がディランダイン砦に入った。


 まずは、ラディック王国側の国境警備隊の臨検を受ける。彼ら一同とは顔見知りだ。何より、第一王女たるセレネイアがいる。


 書類を見せるまでもなく、第一騎兵団は警備隊員の先導によって、ルドゥリダス王国側へといざなわれていく。


 砦内に入ると、そこは緩衝地帯だ。両国の警備隊員が共同生活を営むため、いかなる戦闘も禁じられた制限地区になっている。


 両国の砦入口を結ぶのは、石畳が一面に敷き詰められた狭小の一本道のみだ。道幅は馬が二頭並んで進める程度、しかも両端は高さ十メルクの石壁となっている。石壁の上には弓兵が居並び、通行する者に不審な動きがないか、監視をおこたらない。


 一本道を三百メルクも進めば、ルドゥリダス王国側の国境警備隊が待機する砦だ。一行はここで厳しい検問を受けることになる。


「セレネイア姫、ご無沙汰しております。またお会いできて大変光栄です」


 うやうやしく挨拶をしてきたのは、ルドゥリダス王国側の国境警備隊長パラックだ。セレネイアが交換留学のため、ディランダイン砦を通過する際、対応したのが彼だった。


「パラック隊長、お久しぶりです。またルドゥリダス王国に戻って来られて、嬉しいです」


 微笑を浮かべて答えるセレネイアに皆が等しく舞い上がっている。誇張ではない。ラディック王国では第一王女として、第一騎兵団団長として、民から敬愛されている。


 ルドゥリダス王国では交換留学時の立ち居振る舞いが評判を呼び、とりわけ貴族を中心に接した皆が強く願っているのだ。是非とも皇太子妃にと。


「有り難いお言葉です。セレネイア姫、どうぞお通りください」

「臨検が必要ではありませんか」


 パラックが即座に答える。


「セレネイア姫が率いておられるのです。何の問題がございましょうか」


 てして、こういう時に限って裏目が出るのが世の常であろう。


「セレネイア姫、つつがなく旅が終わることを願っております」

「有り難うございます、パラック隊長、国境警備隊の皆さん」


 馬上からセレネイアが礼を述べ、軽く会釈えしゃくを送る。パラックをはじめ、隊員は一様に喜びの感情をあらわにしている。


「よし、開門せよ」


 パラックの命で、両開きの門が解錠され、ゆっくりと開かれていく。超えれば、そこはもうルドゥリダス王国領土だ。


「お見送りいたします」


 パラックが馬上のセレネイアに声をかけ、一行が通過していくのを見守る。セレネイアがパラックに向かってうなづき、先頭でまず門を超えた。その後にクルシュヴィックが続く。


 四十名が静々しずしずと進んでいく中、それは最後尾で起こった。


「隊長、あの者ですが様子が変です」


 告げられらたパラックが視線を向けると、確かに馬上でふらふらと身体が揺れている男がいる。ウーリッヒだ。


「具合が悪いのではないか。近寄って、声をかけてみろ」


 ゆっくりと歩を進める馬に、隊員が近寄った瞬間、ウーリッヒはやおら馬上から飛び降りた。勢いを殺さず、腰の剣を抜き、即座にりかかる。


 剣筋の鋭さに隊員はけることさえできない。振り下ろされた剣が防御力の薄い革鎧を軽々と裂いて、皮膚に達する。


 苦痛の叫びが静寂を破る。隊員は血を流しながら倒れ込んだ。誰もが思いがけない惨事に動きを止めたものの、そこからの回復は早かった。


 パラックが矢継ぎ早に指示を出していく。


「お前たち、何とか奴を止めろ。それ以外はシェリングの救出手当だ。急げ」


 絶叫しながら剣を無造作に振り回すウーリッヒに対し、五人が武器を手に攻撃に移る。


「あははは、皆殺しだ」


 第一騎兵団の行動も早かった。ウーリッヒのすぐ前を進んでいた団員二人が即座に馬を反転、制止に入る。


「やめろ、ウーリッヒ」

「剣を収めろ。お前は何をしているのか分かっているのか」


 騒動はセレネイアやクルシュヴィックのいる先頭にまですぐさま伝わった。団員が馬を走らせ、急を告げたのだ。


「ウーリッヒが、警備隊員を斬り殺しました」


 シェリングが死んだかどうかは不確定だ。よほど慌てていたのか、断定口調になってしまっている。


「何だと」


 反応したのはクルシュヴィックだ。セレネイアは絶句したものの、すぐに平静さを取り戻す。


「私とクルシュヴィックが戻ります。皆は門前で待機のうえ、状況を見て各自判断しなさい」


 命令を下すなり、セレネイアとクルシュヴィックは馬をって急ぎ砦内へと引き返す。


「隊長、ウーリッヒは私が」

「任せました。貴男の力量なら問題ないでしょうが、やむを得ない時は」


 セレネイアは迷いを断ち切るように言った。


「斬っても、構いません」


 クルシュヴィックが頷く。ウーリッヒとは師弟に近い関係だ。それを知るセレネイアは、そうならないことを願いつつ、最悪の事態も想定したうえで彼に委ねた。


「大丈夫です。お任せください」


 クルシュヴィックがさらに馬を疾駆しっくさせ、速度を落とすことなく出たばかりの砦内へ突っ込んで行った。


「その男の相手は私がする。皆は、下がってほしい」


 馬上にあって、既に剣を右手に構えるクルシュヴィックは、眼光鋭くウーリッヒをにらみつける。


 ウーリッヒを止めるために立ち向かった五人の警備隊員は既に倒され、地面に転がっている。息はしている。動ける状況ではなかった。


 セレネイアも砦内に再び入り、即座に下馬すると、パラックたちのもとへ駆け寄っていく。


「パラック隊長、ここは私たちが責任をもって始末をつけます。隊長は負傷者の手当に専念してください。おびは、全てが終わった後に」


 パラックは安堵の表情を浮かべ、セレネイアに頭を下げた。セレネイアは首を横に振って、無用だと無言で告げた。


「ウーリッヒ、正気を失ったか。副団長の名において、お前をここで排除する」

「ひゃひゃ、クルシュヴィック、この俺に勝てると思っているのか」


 まさに茶番だ。


 クルシュヴィックの身体に巣食うのは魔霊鬼ペリノデュエズだ。ウーリッヒは操り人形と化し、魔霊鬼ペリノデュエズの意のままになっているにすぎない。


 この事実を知る者は、クルシュヴィックを除き、誰一人としていないのだ。


「いくぞ」


 クルシュヴィックが攻撃動作に入った。


「あれは。やはり、何かがおかしい」


 セレネイアは今朝の出立後から、違和感をいだいていた。


 クルシュヴィックは第一騎兵団にあって、影になり日向ひなたになり自分を支え続けてくれる寡黙かもくな男だ。ある意味では、父親のような存在でもある。


 王族に連なる者たちを除けば、最も親密な関係が築けている、信頼に足る人物だ。セレネイアの魔力量は人族の平均程度しかなく、他者の魔力を感知するほど敏感でもない。観察眼は実に優れている。


 今、セレネイアの目にはクルシュヴィックを包む黒いもやのようなものが見えている。初めて見るものだ。


 朝方は、っすらと消えてはまた浮かぶ程度だった。その靄がはっきりと視認できるほどに色濃くなっている。禍々まがまがしいものなのは間違いない。


「パラック隊長、動ける者だけでも連れて、すぐに砦外へ逃げてください。ここにいては危険です」


 事態は急を要する。セレネイアは決断した。ここにいる皆をすぐに逃さなければならない。


 時、既に遅し、クルシュヴィックの準備は整っていた。


「姫様、無駄ですよ」


 クルシュヴィックは馬を反転、ウーリッヒに背を向けて、セレネイアをめつける。まるで敵を見るような目つきだ。そこには別の感情も含まれている。


 セレネイアが気づくよしもない。初めて向けられる視線に、ただただ困惑と衝撃を受けていた。


「誰も、ここからは、逃さぬ」


 剣を頭上にかかげ、となえる。


隔絶せよエプティジェントス


 剣から黒い靄が勢いよくき上がり、見る見るうちに周囲を覆い隠していった。

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