第008話:ゼンディニア王国の脅威
要塞都市カルネディオ陥落の知らせは、またたくく間にリンゼイア大陸中を
シャイロンド公会議から十年、ラディック王国、ルドゥリダス王国、メドゥレイオ王国、ビスタバーゼ王国、ゼンディニア王国の五国は、全てにおいて対等であり、永世不可侵が約束されている。
それは、あくまで形式上のことだ。十年も
とりわけ、ラディック王国とゼンディニア王国は常に対立しており、先の戦乱以降、その傾向が顕著になっている。
ゼンディニア王国では、先代国王が六年前に崩御、現国王に代わってからというもの、ラディック王国を目の
さらに、ゼンディニア王国はリンゼイア大陸最大の軍事国家だということだ。武闘派が主流を占め、剣、槍、弓の三技を駆使した重騎兵は他国にとって圧倒的脅威になっている。
軍事国家たるゼンディニア王国を率いるのは、イプセミッシュ・フォル・テルンヒェンだ。
「よくぞ、あのカルネディオを落としてくれた」
喜色満面とはこのことだ。
冷酷無比な鉄仮面、側近でさえ
距離にして約十歩間だ。イプセミッシュが他人をここまで近づけるのは初めてだった。
この約十歩間は、達人ならば一撃のもとに首を狩ることができる距離だ。それ
「大したことではない。それに、おまえのためにやったわけでもない」
敏感に反応したのはイプセミッシュではない。居並ぶ近衛兵団だった。彼らにとって、王こそ絶対の存在であり、それ以外は
「無礼者が。我らが王に向かって、その口の聞き方は何だ。身のほどをわきまえよ」
「弱い犬ほどよく
「我らを
その応酬をきっかけに、近衛兵団の大半が抜剣した。剣だけでなく、槍や弓を構える者もいる。
一触即発の中、イプセミッシュは無論のこと、彼の
「控えよ。王の御前である」
低く厚みのある渋い声が、いきり立った十二人の動きを止めた。直後、武器を構えた全ての者が吹き飛び、壁に叩きつけられていた。
言葉を発したのがイプセミッシュのすぐ右に立つ男、十二人を吹き飛ばしたのが左に立つ女だ。
「お見苦しいところをお見せしました。大変申し訳ございません」
鈴を転がすような声だ。女がイプセミッシュではなく、男に対して謝罪の言葉を口にし、頭を下げた。
「謝罪の相手が違うのではないか」
「我らが王にとっては、想定済みのことです。
用意周到なことだと思いながら、男は女からイプセミッシュに視線を移す。
「そういうことだ。俺に貴様と敵対する意思はない。この馬鹿どもの非礼を許せ。ましてや、貴様を野良の魔術師呼ばわりとはな。無知にもほどがある」
男は
「ザガルドア、ソミュエラ、おまえたちは下がれ。この男と二人で話をする」
二人は黙礼後、
「起きろ。王のご命令だ。退出するぞ」
近衛兵団団長にしてゼンディニア王国が誇る十二将筆頭ザガルドア、その右腕として彼を支える副団長にして十二将序列五位のソミュエラは、イプセミッシュからの信も厚い。
王を守護する十二将にとって、王の言葉は絶対だ。王が黒と言えば黒であり、白と言えば白になる。
ザガルドアもソミュエラも、王とこの男を二人だけにするのは気が進まない。その感情はおくびにも出さず、沈黙のうちに引き下がる。
(それに、我らがいても役に立たぬ。この男がその気になれば、王もろとも抹殺するなど
イプセミッシュが近衛兵団の退出を見届けてから、視線だけを男に向ける。先に
「イプセミッシュ、お前こそ言いたいことがあれば言え」
ひどく、つっけんどんな物言いだ。普段のイプセミッシュであれば、顔色一つ変えずに首を
「貴様のその眼、全てを拒絶するか。ますます面白い。どうだ。正式に俺の配下にならないか。貴様になら、十二将以上の地位をくれてやるぞ」
本気とも、冗談とも取れる口調で、イプセミッシュが探りを入れてくる。
「地位などもらって何になる。前にも言ったが、お前たちと
一蹴する。
「そう怖い顔で
イプセミッシュの手の動きを確認するまでもない。暗黒エルフの男は、最初からその場所に
「ずっと俺をつけている奴か。大人しくしているうちは見逃すが、邪魔をすれば問答無用で始末するぞ」
「安心しろ。あれには黙って見ているだけにしろと厳命している」
暗黒エルフの男の目が、
「見たことを報告させているだろう。お前は油断も隙もないからな」
「褒め言葉と受け取っておこう。よいだろう。決して邪魔はしないと誓おう。俺と貴様の利害は一致しているのだからな」
しばしの間があった。
「今のところはな」
(何を考えているのか、全く底が見えない男だ。だが、今はこの男の力を失うわけにはいかないからな)
「もう一度言っておく。俺の配下になることを考えておいてくれ。地位が要らぬと言うなら、貴様が望むものを言うがよい。俺はそれを差し出そう」
イプセミッシュの力をもってすれば、地位や富などを与えるのは
「その前に、まずはお前が義務を果たせ。カルネディオ破壊の対価は、いつになるのだ」
「そう慌てるな。まさに、仕込んでいる最中だ。相手が相手だ。慎重を期す必要がある。貴様にもそれぐらいは分かるだろう。安心しろ。約束は守る。俺の名にかけてな」
(俺の名にかけて、か。ならば、もう少しだけ待つとしよう)
「話は終わったな」
暗黒エルフの男が背を向けて出て行こうとする。イプセミッシュがすかさず声をかける。
「あの娘の容態はどうなのだ」
即答で返す。
「お前には関係のないことだ」
暗黒エルフの男が立ち止まる。
「治療と隠れ家の提供には感謝している。礼を言う」
それで終わりだった。
一人残ったイプセミッシュは玉座に深く座り込み、思案に入る。
(ふむ、奴にとって、今のところ、唯一の弱点と言えそうなのがあの娘だな。何かの時に役立つかも知れないな)
「あの娘に関するあらゆることを探り出せ。二日後の夜だ」
イプセミッシュが命令を下した。影の中から、くぐもった声が返ってくる。
「
影がさざなみのように
「控えているな」
「隠密兵団団長ディリニッツ、御前に」
イプセミッシュのすぐ
「あれは、信用できるのか」
イプセミッシュは誰も信じていない。信じれば、裏切られる。それが彼の中にある信念だ。問うたのは、あくまでディリニッツへの確認にすぎない。
「入団したばかりですが、有能です。万が一の措置も講じております
視線を窓の外に転じ、イプセミッシュが再び問いかける。
「そうか。ところでだ。あの暗黒エルフをどう見る」
ディリニッツもまた十二将の一人であり、序列は九位だ。しばしの熟考後、言葉を発する。
「恐ろしい男です。筆頭殿でも
嘲笑にも近い表情を浮かべ、視線を外に向けたままイプセミッシュが答える。
「ふん、そんなところか。だが、甘いわ。十二将総がかりでも奴には敵わん。あの力は別格だ。対抗できるとしたら、三賢者ぐらいだろうよ」
ディリニッツは反論せず、沈黙したままだ。
「言っておくが、お前らが弱いわけではない。あれが異常すぎるだけだ」
「
しばしの間の後、意外な言葉が返ってくる。
「同族のお前には、いささか含むところもあるだろう。だが、あれには絶対手を出すな。これは命令だ」
つい顔を上げてしまうディリニッツだった。彼もまた暗黒エルフなのだ。
「恐れながら申し上げます。同属といえど、あの者は三百年近くも前に我らの里から姿を消してしまいました。当時、私はまだ百を過ぎたばかりの
非常に優れた魔術師だとは聞いている。それだけだ。会ったこともない者の生き様など興味もない。
「
イプセミッシュがディリニッツに視線を戻す。まるで面白いものを見たような顔つきだ。
「二日後の夜だ。お前も同席しろ」
ディリニッツの姿が再び闇に溶け込んでいく。一切の気配が消えた。イプセミッシュも玉座を立つ。
「これから、ますます面白くなりそうだな。待っていろよ」
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