第007話:レスティーと三賢者

「先代の方が発動時間、威力いずれも上回っているな。だが、この程度で終わりではないだろう」


 二人が全力で放った上級魔術は二度続けて、いとも簡単に打ち消されていた。何かしらの対抗魔術をぶつけて相殺したのではない。文字どおり、消し去られたのだ。


 何の冗談だろう。二人はそう思うしかなかった。動揺が止まらない。それほどまでの衝撃だ。


「なぜ、いったい、どうして。そんなことがあって、たまるものですか」


 なかば冷静さを失っているのは、レスカレオの賢者だ。ルプレイユの賢者も焦燥感にられている。何とか心を落ち着かせようと務めている。


(負けず嫌いなところも、そっくりだな)


 レスティーは内心で苦笑しつつ、二人から闘争心が消えていないことを認めた。ルプレイユの賢者が申し訳なさそうに言葉を発する。


「大変心苦しいのですが、少々二人で相談したいことがあり、お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」

「構わぬよ。相談のついでだ。魔力も回復させておくとよいだろう」


 ルプレイユの賢者がわずかに頭を下げる。手合わせに入る前は、明らかに自分たちの方が格上だろうと信じていた。


 上級魔術が立て続けに無効化された今、相手が自分たちよりもはるかに上だ。認識を改めざるを得ない。レスカレオの賢者も同じ思いだろう。


「どうですか。まだ、いけますか」


 ルプレイユの賢者が、レスカレオの賢者を心配して声をかける。


 火炎系魔術が得意だからということではあるまい。彼女は、一度火がついてしまうと冷静さを失うきらいがある。さんざんにスフィーリアの賢者から指摘を受けてきたことだ。頑固な性格ゆえか、彼女は聞く耳を持たなかった。


「何なのですか、あれは。どうして私の上級魔術があんなにあっさりと。夢でも見ているのですか」

「貴女だけではありません。私の魔術もですよ。そして、これは夢ではありません。まぎれもなく、現実なのです」


 ここまでの手合わせで、レスティーは最初の位置から一歩も動いていない。それもまた、二人には信じがたいことだった。


「ここは共闘といきませんか。実戦でもあるまいし、まさか手合わせで、と思うかもしれませんが。貴女に異存さえなければ」

「ありません」


 即答だった。


「あの御仁ごじんは、私たちが手に負える存在ではありません。一矢でも報いることができるのなら、共闘でも何でもしますよ」


 ルプレイユの賢者が方針を説明する。


「最上級魔術を完全詠唱で行使します。単発で行使するだけでは恐らく、いえ十中八九通用しないでしょう。工夫をしなければなりません」


 言葉にはルプレイユの賢者の強い意志が込められている。


「これはまだ、私も試したことがありません。失敗する可能性もあります。成功すれば、互いの魔術の威力を数倍に高められます。理論上の数字では、最大七倍です」


 瞳を輝かせながら、告げる。


「その方法は」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 スフィーリアの賢者が、ファルディム宮より魔術転移門を発動させ、ステルヴィアに戻ったと同時、異様なまでの魔力の高まりを感じ取っていた。


「研究訓練室からですね。魔力質からして、あの二人でしょう。これほどまでとは。いったい何をしているのでしょう」


 ため息を一つつく。スフィーリアの賢者はかぶりを振りつつ、パラティムの中に入って行く。その途上、あれだけ高まっていた魔力が、瞬時に消え失せてしまった。


 あり得ない状況だ。制御不能におちいって、想定外の事故でも起きたのか。スフィーリアの賢者は慌てて地下へ駆け降りていく。すぐさま、研究訓練室へ入ろうとするも、踏みとどまる。


 研究訓練室は文字どおり、研究や訓練に利用される場所だ。魔力の暴走などが起こったとしても、防止のための十全な機能が備わっている。ごく一部を除けば、最上級魔術でさえも防ぐことができる。


 この急激な魔力消失は、明らかな異常事態だ。魔術行使後の残滓ざんしさえ、一切感じられない。まるで空間ごとえぐり取られたかのような感覚を受ける。


 迂闊うかつに入るのは避けるべき、という本能が動作を止めたのだ。


「待っていた。スフィーリアの賢者」


 中から扉が開け放たれる。声と共に、その人物が姿を見せた。


「いや、二度目だな。エレニディール、久しいな」


 その声、その姿、誰が見間違えようか。スフィーリアの賢者ことエレニディールが最も会いたいと願っていた人物が、まさに目の前に立っている。あまりに突然のことで感情が高ぶって、言葉が出てこない。


「ああ、何ということでしょうか。今日は人生最良の日と言っても過言ではありません。本当に、本当に会いたかったですよ。我がふるき友レスティー」


 いつの間にか、涙がこぼれ出ていた。言葉に詰まる。


(私は自分で思っている以上に、この友にせられていたのですね)


「初めて私の真名まなを呼んでくれましたね。私は今、百年ぶりの感動を味わっています」


 大袈裟おおげさだと思うレスティーだった。それは口にすることではない。


 人族であるエレニディールの時間と、自分の時間は根本的に異なっている。たとえ、エレニディールが長命で知られるエルフ属の者であってもだ。


 それに野暮というものだろう。これほどまでに再会を喜んでくれている友の顔を見たならば。


「私もだ、エレニディール」

「それよりも、ここでいったい」


 言いかけて、口をつぐむ。エレニディールは、レスティーを見やって、なるほどと納得した。


「あの二人の実力を確かめていた、ということですね。それで、彼らは」


 レスティーは言葉ではなく、少し後退してみせた。その動きに合わせて、エレニディールが室内に足を踏み入れながら、のぞき込む。


 二人の姿はすぐに確認できた。予想どおりだ。


 しゃがみこんだまま、肩で大きく息をしている。立てそうにもない。こちらに目を向ける余裕すらないようだった。うつむいたままだ。体力も魔力も枯渇こかつ状態にあるのは間違いない。


「どこまで、たのですか」

「二種の上級、それに最上級だ。即興そっきょうだったのだろうが、最上級同士をかけ合わせた合成魔術は素晴らしいものだった」


(そして、その合成魔術を視てから、瞬時に打ち消した、というわけですね)


 エレニディールは心の内にとどめ、あえて口にしない。


「変わらないですね。損な役回りを、あえて務めているのですね」


 レスティーは一切表情を変えることなく、答える。


「あの二人のためになるなら、それでよい。まだまだ精進は必要だが、伸びしろは十分にある」


 頷くエレニディールが続ける。


「よい薬になったでしょう。賢者になって数年がち、天狗てんぐになっていた面も見受けられました。特に彼女の方は。上には上、それも圧倒的上位者がいるという事実を肌で感じたことでしょう」


 辛辣しんらつな言葉を発する。二人の将来をおもんばかっての思いからだ。説明せずとも、レスティーにはしっかり伝わっている。


 人族にあって、賢者は魔術師の最高峰とも言える。所詮しょせんは、人族という狭い世界の中でのことだ。


 賢者と言えど、魔術行使には詠唱も必要だ。さらに、魔力が尽きてしまえば、その時点で木偶でくぼうにすぎない。


 エレニディールは、それらを実体験として学んできた。経験のない二人に言葉で伝えるのは難しい。


「やはり、実戦に勝るものはありませんね」

「魔力だけでも回復させておくか」


 考えるまでもなく、即答で返す。


「それには及びません。そのうち、枯渇状態から復活するでしょう。そうすれば動けるぐらいにはなります。しばらくはこのままにしておきましょう」


 冷たいようだが、きゅうえるうえでは、これでよかったと思うエレニディールだった。


 それに、二人がいるとレスティーと立ち入った話もできない。世界広しといえど、レスティーの真の姿を知るのは、自分と院長をおいて他にはいないのだ。


「部屋を変えましょう」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「遮音結界を展開しました。ここには貴男と私しかいませんが、用心に越したことはないでしょう」


 エレニディールの自室に案内されたレスティーは、感慨深げに周囲を見回している。かつて、一度だけ招かれた部屋の様子は、当時と全く変わっていない。


 調度品は執務机に椅子、滅多にない来客用の椅子のみだ。それ以外にあるのは、部屋のほぼ半分を占める天井まで理路整然と並べられた書物だけだった。


「あれから研究は進んだのか」


 レスティーの問いに明確な返答はない。それで十分だった。


「それよりも、よく訪ねてくれましたね。旅の始まりに、まずステルヴィアを選んでくれたこと、大変喜ばしく思います」

「今回の目的を聞かないのだな」


 レスティーには少々意外だった。研究熱心で、疑問がわずかでもあれば、納得するまでひたすら質問し続ける。昔のエレニディールなら、必ずそうしていたはずだ。


「聞かずとも、貴男に同行するのです。貴男が断ったとしても、勝手についていきます。道すがら、おのずと見えてくるでしょう。それに、聞いてしまえば楽しみが減るではありませんか」

「そういったところも変わっていないな。そなたが同行してくれるなら、私としても心強い」


 エレニディールが嬉しそうな笑みを見せる。


「早速、と言いたいところですが、ビュルクヴィストに会ってからにしますか」


 思案することもなく、レスティーが答える。


「このまま立つ。ビュルクヴィストとは、いずれ会うことになるだろう」

「どこに向かいますか、と聞く必要はないですね」


 エレニディールが早速、魔術転移門を開く。二人は、エレニディールを先頭に、魔術転移門の中へと入っていった。


 それから数ハフブル後、レスカレオとルプレイユの賢者二人は、何とか立てるぐらいまでに回復していた。


「レスティー殿、いったい何者なのでしょう。あれでは、まるで」


 ルプレイユの賢者の言葉を引き継ぐように、レスカレオの賢者が続けた。


「まるで神、ですか。そんなこと、私には分かりませんよ。あながち、間違いではないのかもしれませんね」

「私もそう思いました。私たちが全力で放った魔術を微動だにせず、一瞬で消し去ってしまったのです。魔術を使った痕跡こんせきさえありませんでした。これが神の力でないと言うなら、いったい何だと言うのでしょうね」


 真の圧倒的強者がどういう存在なのか、二人は痛感させられていた。


 考えたところで答えが見つかるわけでもない。二人は心の思いを言葉に乗せて、吐露しているだけだ。


「次元が違いすぎます。あの御仁はもっと別の、超越した存在だと思います。私は賢者として矜持きょうじをもって生きてきたつもりですが、おごりがあったのでしょう。あの御仁は最初に会った瞬間、それを見透かしていたのです」


 今日、いったい何度目となるだろうか。彼女の変化に驚かされるばかりだ。


「驕りですか。あなたの口からそのような言葉が出てくるとは思いませんでしたよ」

「何ですか、失礼ですよ。私だって、落ち込むことぐらいあるのです」


(変わりましたね。彼女からこのような言葉が聞ける日が来るとは。レスティー殿に感謝しなければなりませんね)


「これは失礼を。私も同様です。スフィーリアの賢者にも、遠回しに言われてきたことです。私たちは彼の言葉に素直に耳を傾けてきませんでした。真摯しんしに反省しなければいけませんね」


 静まった部屋に、深いため息だけが響く。


 レスティーには、二人の鼻を折る意図など毛頭なく、単なる暇潰ひまつぶしでしかなかった。怪我の功名とでも言うべきか。結果的に良薬になったのは喜ぶべきことなのだろう。


 そして、一つだけ訂正しておこう。


 ルプレイユの賢者は、魔術は使われなかった、と言ったが、そうではない。レスティーは魔術を行使しているのだ。その発動が彼らには全く認識できなかった、ということなのだ。

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