第006話:魔術高等院ステルヴィア

 その頃、魔術高等院ステルヴィアに、およそ百年ぶりの訪問者があった。存在しながらに存在しないもの、それが魔術高等院ステルヴィアだ。


 強力な多重結界に守護された空中を浮遊し続ける学院は、基準値以上の魔力を有する者しか位置を特定できない。


 特定できたとしても、唯一の出入口となっている審判の門をくぐるためには特定条件を満たす必要がある。


 特定条件は秘匿ひとくされており、時の院長にしか明かされていない。


 訪問者は審判の門を難なく潜り抜け、ステルヴィア中心部へと歩を進めている。


「様子は変わっていないように見えるな」


 端正たんせいな顔立ちだ。身長は百九十セルクといったところか。細身ながら、つくべきところにしっかり筋肉がついた身体をしている。


 短めの銀青の髪が光を受けて乱反射している。目はやや切れ長、深く濃い青をした瞳は全てを見通すような力強さがあった。


 一目で上質だと分かる生地で織られた衣類は、動きやすさを重視しているのか、一切の無駄を感じさせない。


 左の腰に意匠いしょうほどこした、見事なさやに収められた剣をたずさえている。鞘を固定するための腰帯や紐のようなものは見当たらない。まるで宙に浮いているかのようだ。


 遠巻きに、見習いを含めた数人の魔術師が、訪問者に控えめな視線を投げかけている。声をかけようとする者はいない。問題なく敷地内に入っている。それはつまり、ステルヴィアの基準を満たしているということに他ならないからだ。


 また、ステルヴィアの特徴でもあろう。ここにいる多くの魔術師が、他者と関わることを不得手ふえてにしている。魔術は突き詰めれば個で極めるもの、そこに他者が介在する余地はない。


 加えて、人には感情という非常に厄介やっかいなものがある。魔術師にとって、感情こそが最大の敵といっても過言ではない。


 大袈裟おおげさに言うなら、魔術を極めれば極めるほどに人らしさを失っていく。感情を削ぎ落としていくからだ。魔術師が世間一般から、あまりよい印象を持たれていない要因でもあった。


 スフィーリアの賢者のように、気さくに誰とでも接する例外的な存在もいるにはいるのだが。


 訪問者は目的の場所に向かって、迷いもなく進んでいる。


 九芒星の中に配置された建物は、それだけで結界に守護されているようなものだ。中心に立つ建物パラティムは、一際ひときわ強固な防御機能を備えている。パラティムは、院長と三賢者のみに立ち入りが許されたステルヴィアの最重要建造物だった。


 パラティムに辿たどり着いた訪問者は、そこで初めて立ち止まった。視線をやや上に動かす。


 ステルヴィアに足を踏み入れる時から分かっていたことだ。院長は不在、スフィーリアの賢者も不在だ。


 建物内にいるのは自分の知らない二人の賢者だけだ。その二人が、こちらを窺っていることも把握している。


(少し早すぎたか。先に戻るのはスフィーリアか)


 扉に手をかけるよりも早く、開放された。少し離れた位置に立つ二人が、用心深く探っている。


「レスティー・アールジュだ。敵意がないことは承知のことと思う。院長とスフィーリアの賢者に会いに来た。あいにく、早く着きすぎたようだ。中で待たせてもらいたい」


 返答を待たず、中へ入ろうとしたところへ男の声が飛んできた。


「待ちなさい。敵意がないことは分かりました。しかしながら、院長からも、スフィーリアの賢者からも、貴男のことは聞かされておりません」


(なるほど。代替わりしているのだったな。私を知らないのも無理からぬことか)


「それなら、致し方なしか。そなたたちが当代のレスカレオ、ルプレイユの賢者ということか」


 レスティーは、女に視線を動かしてレスカレオ、男に視線を動かしてルプレイユと告げた。二人は一瞬戸惑いの表情を浮かべたものの、すぐに消し去る。


 女が問いかけてくる。


「なぜ、分かったのでしょうか。貴男とは初対面のはずです。少なくとも、私には貴男とどこかで会ったという記憶はありません」


 同意の意味を込めて、男もうなづく。


「なぜ、分かったかと。不思議な問いだな」

「不思議、なのですか」


 怪訝な表情で問い返す。


「そうであろう。レスカレオは代々火炎系の魔術を、ルプレイユは地熱系の魔術を得意としている。そなたたちからは、それぞれの魔力の波動が強く感じ取れる。これ以上、簡単な理由はない」


 二人が言葉を失ったことは明らかだ。


「それよりも、先代の者たちは息災なのか。以前に会ってから、およそ百年近くつが」


 間の抜けた声が重なる。


「貴男は、いったい」

「少し冷静になったらどうだ。落ち着いて話をしたいものだ」


 目線を奥に転じて、無言のまま許可を求めるレスティーに二人は気圧けおされたか。あっさりと別室に案内するのだった。


 室内は質素ながらも、調度品はどれも一級品だ。九人掛けの円卓テーブルが中央に配置されている。部屋に入った人数に応じて、自動で椅子が用意されるのだろう。二人の賢者に続いてレスティーが入室すると同時、椅子が三脚、適切な位置に現れた。


「どうぞ、お掛けになってください」


 レスカレオの賢者が、まずレスティーに着座を促す。見届けてから、二人も着座した。


「レスティー殿とお呼びしてよろしいでしょうか」


 ルプレイユの賢者が切り出した。


「好きに呼んでくれて構わぬ」

「承知しました。貴男が名乗ってくれている以上、本来なら、こちらも名乗るべきところ、いまだ私たちには貴男がどういう方なのか理解できていません。従って、名乗るべきではないと判断しました。その非礼を先に謝罪しておきます」


 二人そろって頭を下げてくる。正直なところ、レスティーにとって名前などどうでもよいのだ。


「それも構わぬ。真名まなをもって支配するなど、私には一切興味がないこと」

「そうですか。では、私たちのことも好きにお呼びください」


 レスティーが了承の合図を返す。


「先ほどの話に戻りますが、先代賢者をご存知とのこと。それは先代レスカレオの賢者ことルシィーエット様、ルプレイユの賢者ことオントワーヌ様のことでしょうか」


 レスカレオの賢者の言葉に、レスティーは昔を思い出すかのようにわずかに遠くに視線を移す。


灼火重層獄炎ラガンデアハヴを得意とする真紅の長髪をなびかせた女、そして、灼岩爆熱燼サクムランディを得意とする全身筋肉の塊のような男だったな」


 ルプレイユの賢者に目を向けて、続ける。


「そなたとは、肉体面において全くの好対照だな」


 少しだけほおを動かし、軽く笑みを浮かべるレスティーを見て、レスカレオの賢者は困惑してしまう。


(はっ、今のは何ですか。胸がときめいた、この私が。いえいえ、そんなことはあり得ません。そう、絶対ない。ないのです。あるわけがありません)


 いつむき加減で、知らず知らず百面相になっているレスカレオの賢者を、ルプレイユの賢者が横から凝視している。それに気づいたのか、慌てて反応を返す。


「何でしょう。私の顔に何かついているでしょうか」


 平静を装うレスカレオの賢者だった。明らかに声の調子がいつもと違って、上擦うわずっている。それに気づかないルプレイユの賢者ではない。


「いえいえ、もちろん何もついていませんよ。そのような貴女を見るのは初めてなので、とても新鮮ですね」


 何か言葉を返さなければ、そう思っても、相応ふさわしい言葉は出てこない。いったん、この件は棚上げにしよう。そう結論づけて、レスカレオの賢者は早々に話題を変えた。


「その方なら間違いなくルシィーエット様です。私が賢者の座を譲り受けたのは、今から七年前のことです。ルシィーエット様は、今なお息災そくさいでいらっしゃいます」


 レスカレオの賢者に続いて、ルプレイユの賢者も同様の言葉を返す。


「貴男が語られた人物像、オントワーヌ様に相違そういありません。筋骨隆々、いささかも衰えておりません。時折、ステルヴィアにも顔をお出しになられます」


 二人の言葉を受けて、レスティーは安堵した。いくら賢者とはいえ、人族にとっての百年はかなり長い。


(そうか。二人ともに息災か。それは重畳だな)


「貴男は、先ほど百年近く経つ、とおっしゃいましたね。失礼ながら、貴男の外見を見る限り、そのような年齢には見えません。ルシィーエット様やオントワーヌ様と、どのようなご関係なのでしょうか」


 ルプレイユの賢者が尋ねてくる。俄然がぜん、興味がいたからだ。


「外見など、いかようにも変えられよう。二人とは、関係というほどのものもない。共に戦ったことがある、それだけだ。人族としては別格の強さだった」


 どこか引っかかるような物言いに、レスカレオの賢者が反応を示す。


「人族としては、ですか。それは、深い意味があるということでしょうか」

「理解が早くて何よりだ。そなたたちは、あの二人に認められ、その力を継ぐ者ということだ。ならば、私と手合わせをしてみないか。この地下に適した空間があったと記憶している」


 二人は困惑しつつも、目の前にいる人物に対して、さらなる興味と同時に反感も覚えていた。


 賢者の地位に就いて以来、手合わせを申し込まれたことなど一度もない。誰もがその力に恐れを抱いている。賢者の地位とはそういうものなのだ。


 目の前の人物は、平然と、しかも先代賢者の力を知ったうえで手合わせをしたいと言ってきている。


「気を悪くさせてしまったのなら済まない。そなたたちをあなどるつもりはないのだ。先代の後を継いだ、今の賢者の実力を知っておきたい。それだけだ」


 弁解ではない。レスティーは思うがままを口にしたにすぎない。


「そこまで仰るなら、私たちも退くことはできませんね。貴男との手合わせ、お受けいたします」

「念のために申し上げておきますが、貴男から申し出た手合わせです。たとえ大怪我を負われたとしても、こちらでは責任が取れません。よろしいでしょうか」


 相手への配慮か、あるいは賢者としての自負か。恐らくは、どちらの意味でもあるのだろう。


(強気なところは、先代譲りか)


「問題ない」


 言質げんちを取ったとばかりに二人の賢者は頷くと、そのまま静かに立ち上がる。


「では、地下の研究訓練室に参りましょう」


(待つ間の退屈しのぎには十分だな。どこまでのものか、見せてもらうとしよう)


 レスティーも立ち上がった。左腰の剣が何か言いたげに見えるが、気のせいだろう。二人の賢者も帯剣については何も触れてこなかった。

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