第005話:第一王女セレネイア

「陛下、いかがいたしましょうか」


 宰相モルディーズが即座に問いかける。


 ラディック王国にとって、非常に危険な立場に追い込まれたことは間違いない。難攻不落のカルネディオ城を完全に破壊されたのだ。凶報は他諸国にあっという間に伝播でんぱする。


 王国領土内の各都市への影響はもちろんのこと、今後の対応を誤れば、ラディック王国に対して戦争を仕掛けてくる列強諸国の出現の可能性も捨て切れない。王国として早急に動く必要があるのだ。


 イオニアが国王に即位してから、まもなく二十年という節目を迎える。最初の十年は戦争に明け暮れる日々だった。


 当時のリンゼイア大陸は、八十年近くに及ぶ群雄割拠ぐんゆうかっきょの時代が続いていた。きっかけはラディック王国が作った。


 ルドゥリダス、メドゥレイオ、ビスタバーゼ、ゼンディニアを巻き込んだ五大王国による戦国時代は、後退の八十年とも言われている。


 凄惨せいさん極まる戦いの結果、大地は荒廃し、数え切れないほどの戦死者を出した。大陸に暮らす民たちは飢え、ありとあらゆるものが疲弊していった。


 もはや、どの国にも戦争を続ける余力はなくなっていた。これ以上の無益な消耗戦は、国の滅亡に繋がることを意味していた。

 

 そのような状況下で動いたのがイオニアだった。彼は他の四王国に停戦呼びかけを行う。十年前のことだ。


 戦乱のきっかけを作った側からの停戦呼びかけだ。これを渡りに船とばかりに、全てが応じた。ラディック王国内では、停戦呼びかけに対して賛成派と反対派が国を二分して意見を戦わせることになる。


 両派の言い分を理解したうえで、イオニアは言い放った。


「大陸の覇者になるかどうかなど、些末さまつな問題に過ぎぬ。戦乱のきっかけを作ったのはほかならぬ我が国なのだ。我が王国が率先して非を認め、停戦をし進めるのが筋というものであろう」


 貴族を中心にした反対派は、それでもなお強硬に戦争の継続を訴え続けた。


「気づくのに十年だ。余は何と愚かな国王であっただろうか。我が王国にとっての財産とは何だ。そこに暮らす民たちであろう。彼らは長らく続く戦乱で、生きるかてを失い、日に日にその死者数を増やしている。これ以上の犠牲は余の望むところではない」


 最後の思いを込めた力強い言葉が決め手となった。


「それでも、なお民たちに犠牲をいるべきと言い張る者がいるなら、今すぐ我が前に立つがよい。即座にって捨ててやろう」


 この演説をもって、両派の議論は完全終結する。


 賛成派はイオニアが賢王たることを承知していた。反対派は武に頼るだけの、知略に乏しい王と見下していたきらいもあった。これがきっかけで、その考えを改めていったと言われている。


 かくして、世に伝わるシャイロンド公会議はった。


 リンゼイア大陸唯一の中立都市シャイロンドで行われたことから名づけられた。公会議では、ラディック王国が他四国に対する公式謝罪と共に、巨額の賠償金支払い並びに領土一部割譲を大前提として講和が進められた。


 五王国による永世不可侵、賠償金を受け取った四王国一律の拠出金供出による民の救済、通商における関税の一部撤廃、国王一族の嫡子による交換留学、これは実質的な人質戦略ではあったが、大規模公共工事の相互協力など、和平に関する様々なことが取り決められた。


 公会議出席者は五王国の国王と宰相のみであり、公会議を取り仕切ったのは魔術高等院ステルヴィア院長のビュルクヴィストだ。


「この平和を乱す者は、誰であろうと許してはおけぬ。カルネディオを落とした者を即刻見つけ出し、始末する」


 イオニアの決意を込めた言葉に、誰しもが同じ思いを持って強くうなづく。


「早速だが、モルディーズ、第一王女をここに」


 イオニアには四人の嫡子がいる。上から長男、長女、次女、三女で、王位継承順位もこのとおりだ。


 長女で第一王女セレネイア・メーレ・フォン・エーディエムは十五歳、淡い青色の瞳は吸い込まれそうなほどに美しく、きめ細やかでなめらかな肌は弾力に富んでいる。


 身長はおよそ百六十セルク、これからさらに成長するであろう曲線美は、二人の妹のあこがれでもある。瞳と同色の髪を背中辺りまで流し、常に蝶をかたどった髪飾りをしている。


 まだ可愛らしさの方が目立つものの、その中にりんとした美しさを併せ持つ少女は、誰にでも平等に接し、民たちからの人気も非常に高い。


 セレネイアは王族や上級貴族にありがちな、貴族至上主義を極端に嫌っている。そのため、身分差撤廃を訴える改革派の旗頭はたがしらかつぎ上げられようとしていることだけが難点とも言えるだろう。


 第一王女が宰相モルディーズにともなわれ、玉座の間に入ってくる。居並ぶ者たちから感嘆の声が聞こえてくる。


 華美かびになりすぎず、それでいて優雅な橙色とうしょくの衣装は、首元が緩やかに開き、そでがなだらかな肩を通って手首まで延びている。


 つつましやかな丘陵部分には、銀糸で刺繍ししゅうされた花々が咲き誇り、細くくびれた腰回りは、それを強調するかのごとく布地が絞られている。


 腰下から足首に向かって広がる部分は、十数枚の布をたくみに折り重ね、ひだ状に構成されていた。全ての布が同系統の異なる彩色で染められている。


 セレネイアが歩みを進めるたびひるがえる布地は、見事な濃淡を描き、まるで光が散ったかのような幻想的な光景を演出している。そこだけが別世界のようでもあった。


「セレネイア様をお連れいたしました」


 宰相モルディーズの言葉を受けて、セレネイアが王族としての礼を送る。


「第一王女セレネイア、参りました」


 時候の挨拶は抜きにした。よからぬことが起こったのは明白だった。


 セレネイアは一月ひとつき前に、ルドゥリダス王国との交換留学を終えて、帰国したばかりだ。本来なら、しばらくは必要最低限の事務的政務を行う程度のはずだ。


 ところが、いきなり実父でもある国王から呼び出しがかかった。聡明な彼女のことだ。その考えに至るのは当然だった。


「うむ、セレネイア、よくぞ参った」

「陛下、何か問題が生じたのでしょうか」


 早速、せっかちな一面を見せる。回りくどいやり方が好きではない彼女だ。王族の一員として、本来であれば我慢しなければならない部分だろう。正直なところ、自分のしょうに全く合っていない。


 有り難いことに、長男で第一王子ヴィルフリオが皇太子に即位、次期国王に決まったばかりだ。


 当然のごとく、絶大な人気を誇るセレネイアを推す声も多かった。とんだ迷惑話だ。


 毎日のように持ち込まれる縁談話もその筆頭だ。セレネイアはすがすがしいばかりに興味がなかった。好きでもない、ましてや会ったこともない男との政略結婚など、もってのほかということだ。


 政略結婚をいられるぐらいなら王族離脱もさない、というのがセレネイアの本心だ。王族としては間違いなく失格だろう。頭では理解している。心が一向についてこない。


「うむ、セレネイアらしい。では、話を進めよう」


 これまでの顛末てんまつを、モルディーズに丸投げとばかりに説明させる。


 話を聞き終えたセレネイアが絶句している。当然の反応だ。イオニアでさえ、そうだったのだから。


「私の聞き間違いであったら、どれほどよかったでしょう。モルディーズの話を聞く限り、生存者は奴隷の方々も含めて一人もいないのですね。心が痛いです」


 心底悲しんでいるセレネイアに誰もが心を打たれている。


「そのとおりだ。奴隷売買が誠であったなら、許されない重罪だ。罪は罪として罰せねばならぬ。だが、このように問答無用で誰彼構わず抹殺してしまうなど、あってはならぬのだ」


 イオニアの言葉にうなづく。


「父上、いえ陛下、疑問があります。スフィーリアの賢者様に疑いをお持ちなのでしょうか」


 セレネイアが切り込んでくる。


「賢者殿が共犯などとは夢にも思わぬ。だが、首謀者と何かしらの縁があることだけは間違いなかろう。余は確信しておる」

「なぜ、スフィーリアの賢者様を問い詰めなかったのでしょう」


 深追いが続く。


「それができるなら、とうにしておる。スフィーリアの賢者殿なのだぞ。賢者殿が語らぬと決めた以上、くやしいが、我らにできることは何もないのだ」


 唇を噛み締めるセレネイアだった。父の言うとおりだ。冷静さを取り戻し、無礼な発言を謝罪する。


浅慮せんりょなセレネイアの言葉をどうかお許しください。申し訳ございません」

「気にするでない。セレネイアなら、そう言ってくれるだろうと思っていた」


 イオニアは国王であると同時に、一人の父親でもある。それぞれの立場を混同することはないものの、セレネイアが可愛いのだ。


(父としては反対すべきなのだが。これは娘にしか任せられぬ。済まぬ、セレネイア)


「第一騎兵団団長として精鋭を率い、首謀者を探し出すのだ。可能ならば、いや何としてもスフィーリアの賢者殿を出し抜け」


 内心の声を封じ込め、イオニアは国王として出陣を命じた。


 情報連携は宰相モルディーズ配下、王の耳グ=ゼンディになう。全ての情報は王国領土内に散らばった王の耳グ=ゼンディを通じて、モルディーズ自らがセレネイアに伝えることになった。


「ご期待にこたえてみせます。お任せください」


(よかったです。これでまた退屈な王宮から抜け出せます)


 本音はこちらだ。あからさまな表情を見て、イオニアは苦笑と共にため息をつくしかなかった。


「言うまでもないが、無理をするでないぞ」

「はい、もちろんです」


 第一王女セレネイアが持つもう一つの顔、それは十五歳という若さで第一騎兵団を率いる団長だということだ。


 なぜ自分が団長に任命されたのか、いまだに理解できないでいる。王族だから、という理由ではないと自分では思っている。娘に甘い父のことだ。ないとも言い切れない。


 しかも、団長だった人物が存命のうえ、彼を副団長に降格したうえでの任命だ。明らかに作為的に思える。不可解としか言いようがない。


 今の剣の師匠ソリュダリア・ギリエンヌにもほのめかされている。考えたところで答えは見えない。任命された以上、その責務を果たすだけだ。


 セレネイアは、ソリュダリアから直接剣の指導を受けている。王族だからではない。道場破りにも近い、とても第一王女とは思えない破天荒な行動の結果だった。


 この時代、剣は三十六流派を数え、頂点に君臨する三大流派と、そこから派生した三十三流派に分かたれている。


 平民出身のソリュダリアは三代流派の一つ、ヴォルトゥーノの下位流派筆頭カヴィアーデに身を置き、ラディック王国領土内を任された師範代の一人だ。彼女は奥伝おくでんかつ流派序列四位だった。


 ソリュダリアは、道場にやって来たセレネイアを第一王女と知ったうえで叩きのめした。


 一方で、この王族の娘をいたく気に入った。貴族としての傲慢さもなく、平民を見下すこともしない。特筆すべきは剣に対する真摯な態度だ。それは弟子にするに相応ふさわしいものだった。


 ラディック王国における剣の流派はビスディニア、これもまた三大流派の一つだ。ビスディニアが一撃必倒を主とする剛の剣術に対し、ヴォルトゥーノは多撃必倒を主とする柔の剣術だった。


 セレネイアは、この二流派を組み合わせた独自の剣術を武器としている。


 翌朝、第一王女セレネイア率いる第一騎兵団四十名が静かに出立しゅったつした。


 わずか四十名だ。数としては少なく思える。構成は全員が正騎兵、准騎兵じゅんきへいは含まれていない。やはり、正騎兵に比べて戦力面で劣るからだ。


 四十名が適正かと問われると、答えにきゅうする。それが正直なところだった。


 敵は強大な魔術を使う。強大な魔術になればなるほど、詠唱に時間が必要だ。そのすきを狙えば、少なくとも可能性はあるのではないか。セレネイアはそう考えていた。


 ラディック王国創建百年を祝して作られた建国門を抜け、セレネイアは騎兵隊を停止させた。


 皆には向かう先を話していない。秘密はどこから漏洩ろうえいするか分からない。それを恐れてのことだった。


(父上、行って参ります)


 一言、心の内で祈ってから号令をかけた。


「これより出立します。目的地は」

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