第300話:セルアシェルの意表を突く攻撃

 セルアシェルは先ほどから微動だにせず、深い呼吸を繰り返している。


 一時的とはいえ、師として修業をつけてくれたルブルコスの言葉が思い出される。


「お前は様々な魔術を行使できる反面、図抜けたものが一つもない。かえって、それがさいわいしたな」


 指摘以前の問題として、セルアシェル自身もとうに気づいている。器用貧乏とよく言われたものだ。


 修業期間中、ルブルコスの指導は首尾一貫しゅびいっかんしていた。徹底して持てる長所を最大限に伸ばす。


 忙しい最中さなか、面倒を見た十二将四人のうち、トゥウェルテナとセルアシェルにく時間は膨大だった。


 その甲斐あってだろう。トゥウェルテナは魔霊人ペレヴィリディスたるカイラジェーネとの戦いで期待どおりの進化をげて見せた。


 一方でセルアシェルはカイラジェーネとの戦いのり、魔術のみにこだわった。こだわりすぎたがゆえ、裏目に出てしまったことはいなめない。


(トゥウェルテナに負けていられないものね。先ほどとは違う私を見せてあげるわ)


 十二将で最も仲のよいトゥウェルテナに先を越されてしまっている。


 二人して十二将の落ちこぼれ、と揶揄やゆされたことなど一度や二度では済まない。正直なところ、十二将が落ち零れであるわけがない。


 あくまで上位三人と比較して、さらに筆頭ザガルドアことイプセミッシュを除けば、ごく限られた条件下においてやや力がおとる、といった程度だ。


 一向に気にしていない、と言ってしまえば、やはりうそになるだろう。十二将と言えど、感情を持った人であることに変わりはない。皆が皆、様々な課題を抱えながら思い悩みしているのだ。それは現在進行形でもある。


 言葉の暴力、とりわけ陰口かげぐちは予想以上に心を傷つけてくる。口にするのは、常に外野の連中だ。


 心ない言葉にセルアシェルが人知れず泣いている時、決まって彼女のそばにいるのがトゥウェルテナだった。不思議だった。どこにいようとも、トゥウェルテナは必ず見つけ出す。そして、隣に座って、ただ黙ってなぐさめてくれる。いつしか、二人は親友になっていた。


 セルアシェルはこおりつきそうなほどに冷たい空気を肺いっぱいに取り込み、隅々すみずみにまでとどこおりなく行き渡らせていく。繰り返すこと三度だ。セルアシェルの準備は、ここに整った。


「行きます」


 合図が来た。


 ノイロイドとエヴェネローグが魔弓まきゅうを構え、魔術が付与された弓をつがえる。


 二人は第八騎兵団の団長と副団長、第六騎兵団同様、弓を主な武器とする。二団の差は弓の特性だ。


 第六騎兵団団長ケイランガが有するプルフィケルメンに代表されるように、彼らは全長二メルクを超える長弓ちょうきゅうを用いる。対して、第八騎兵団は全長一メルク程度の短弓たんきゅうを扱う。


 二人が同時につるを引きしぼる。


「セルアシェル殿、どうか安心して詠唱を」


 そこでノイロイドの言葉は途切れる。あまりに予期しない出来事が起こったからだ。


「な、何を」


 驚愕きょうがくの声を上げたのはエヴェネローグだ。


 セルアシェルの武器は言うまでもなく魔術であり、行使には詠唱が絶対不可欠、もはや常識でもある。二人は詠唱をさまたげる攻撃を全て排除する。その想いで魔弓を構えている。


 突拍子とっっぴょうしもないセルアシェルの行動を見ていたのは、何もノイロイドとエヴェネローグだけではない。


 まさに戦いの渦中かちゅうのブリュムンドも意識の一部だけを飛ばし、彼女を見守っている。彼はまさに両刃戦斧もろはせんぷを直上より中位シャウラダーブの核めがけてち下ろす瞬間だった。


 笑みを浮かべている。


(ええ、私も予想外でしたよ)


 そして、もう一人だ。


 隠密兵団団長ディリニッツは、こちらも多分にれず大声を上げていた。部下をまもるのは団長たるおのが責務だ。


 ディリニッツにとって、セルアシェルは頼れる副団長かつ可愛かわいい部下でもある。絶対に死なせるわけにはいかない。


「馬鹿な。どういうつもりだ。せ、セルアシェル」


 ゼーランディアによる魔術結界はなおも有効だ。操影術そうえいじゅつをもってしても、結界外に移動はできない。ディリニッツがたまらず振り返る。


「今すぐに結界を解除しろ。私だけでよい。向こうに行かせてくれ。頼む」


 懇願こんがんにも近い言葉を前にしても、ゼーランディアに結界を解除する意思は毛頭もうとうない。黙って首を横に振り、静かに右手を上げて指差す。


(殻毅術かくきじゅつの応用ですね。あの少女、いったいどこで)


 わずかな驚きをもってガドルヴロワが心の中でつぶやく。姉同様、手助けなど不要だと確信しているようでもある。


 ディリニッツはそれどころではない。あせりと怒りのあまり、完全に冷静さを欠いている。ても立っても居られないのか、ゼーランディアに対して操影術を発動しかけている。


 操影術も広義こうぎの意味で魔術の一つだ。従って、ゼーランディアの魔術結界内では全く役に立たない。それを知らないディリニッツではない。


「魔術師たる者、常に冷静であれ。ディリニッツ、今の貴男は滑稽こっけいよ」


 辛辣しんらつな言葉と共に、すんでのところで彼を制したのはヴェレージャだ。


「一人で馬鹿みたいね。何をやっているのよ」


 容赦ようしゃない言葉を続けざまに投げつける。


「分かっていないのね。貴男はセルアシェルの何を見てきたの」


 今の状態のディリニッツには、矢継やつばやに、そして冷酷に響くヴェレージャの言葉が全く理解できない。逆に怒りがいや増すばかりだ。なぜ止めるんだとばかりにヴェレージャをにらみつける。


 もう一人、対照的なソミュエラはため息をつきつつ、やれやれ、この男は、といった表情で静観を決め込んでいる。


「私のどこが馬鹿だと言うのだ。セルアシェルは俺の可愛い部下だ。団長として護ることは無論、無茶を止めるのも当然だろう」


 ディリニッツはヴェレージャの揺るぎない、それでいて悲しみとあわれみを含んだ瞳を見て、喉元のどもとまで出かけていたさらなる言葉をみ込む。


 ヴェレージャは視線をらさず、真っ向からディリニッツのそれを受け止めている。


「いつまで見つめ合っているつもりかしら」


 援護は意外なところから飛んでくる。言葉を発したのはゼーランディアだった。


 まるで痴話ちわげんかを見ているようで、げんなりとした彼女は、指差したままの姿勢を崩していない。いつまでもつまらないことをしている場合ではない。彼女をよく見ろ、とでも言いたげだ。


 ゼーランディアは、敵だからという理由で魔術結界をかなかったわけではない。必要がなかったからだ。


「あの娘、強いわよ。あれしきの中位シャウラダーブごとき、ものの数ではないわ」


 多方面から注目を集めるセルアシェル、彼女はいったい何をしたのか。合図をもって、魔術詠唱に入る。皆が等しく、疑う余地なく思っていた。


 一呼吸目で、セルアシェルの体表面が純白に染まっていく。


 二呼吸目で、純白の中に特定の色が溶け込んでいく。


 そして、三呼吸目だ。色が両腕を伝って、ひじから先のみを美しくいろどっていく。


 ここにセルアシェルの準備は整った。


 ここまではよい。詠唱のための準備だと誰もが思うだろう。


 結果は大きく異なる。


 セルアシェルは放たれた矢のごとく、中位シャウラダーブめがけて弾け飛んでいったのだ。


 純白に染まった全身からきらめきが散開している。体表面が空より差し込む月光と触れ合い、乱反射を起こしているのだ。


 いまだ天頂で淡く輝く三連月は隠されていない。月光は魔力のみなもとおのずと高めてくれる。


 肺いっぱいに冷気を取り込んだ目的は、体内の魔力と馴染なじませ、循環させるためだ。


 活性化した魔力は体内の冷気を二層構造の氷膜ひょうまくへと変えていく。創り出された魔力氷膜は、まずはセルアシェルの体表面を強固に凍結させ、さらに皮膚上層部を保護膜的に覆っていった。これこそが純白の正体だ。


 中位シャウラダーブもセルアシェルの異変に気づいている。中位シャウラダーブともなれば殺戮さつりく本能だけではない。当然、対照的な生存本能も有している。


 生きるために殺す。その意思をもって、中位シャウラダーブは粘性液体をむち状に変成させ、上下左右からすさまじい攻撃を放つ。


「それをさせる我らではない」


 意表を突かれたものの、ノイロイドもエヴェネローグもすきを見せてはいない。油断なく、つるを限界まで引き絞る。


 ノイロイドの魔弓はジョナディアレ、エヴェネローグのそれはゴルディダウネ、いずれも固有魔術が付与された業物わざものだ。


 ハクゼブルフトたちの魔槍まそうと異なり、魔弓には大きな制約がある。弓はそれだけでは何の役にも立たない。弓で殴打するという非常識な攻撃は度外視するとして、矢があってこそだ。


 二人の魔弓は魔術付与された矢と組み合わすことで真の威力を発揮する。だからこその業物なのだ。


 二人の狙いは定まっている。セルアシェルを排除せんと迫る粘性液体の鞭だ。一本ではない。無数に伸びてくる。


「数など問題になりません」

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