第301話:三術を使いこなすには

 指が静かに離れ、つがえた矢が放たれる。高速でける矢は、中位シャウラダーブり出す無数のむちに対して、互いに一本のみだ。


 弾け飛んだセルアシェルは、既に中位シャウラダーブまで五メルクを切っている。次のまばたききで確実に眼前まで迫っているはずだ。


 左右の攻撃のみを、と頼まれている。真正面からの攻撃を回避するすべが彼女にはあるのだろう。迷う必要はない。


「アグ・ニディ・レーヴェ」


 ノイロイドが先行する。


 矢に付与された魔術を解放するための言霊ことだまを唱える。


 即時起動、さらに速度を増した矢がたちどころに分裂、その全てが豪炎ごうえんまとっている。セルアシェルを背にして右側面だ。魔術が創り出す炎は対象物以外を決して傷つけない。


 中位シャウラダーブの鞭一本に対して、ノイロイドの炎の矢はおよそ三倍以上、速度でも上回っている。勝負は見えたも同然だ。


 かたや、エヴェネローグも言霊を解放する。


 ノイロイドの矢とは全く異なる特性を有する。ゆえわずかに遅らせたところで問題はない。


「ディ・ヴィエ・パネゼ」


 中位シャウラダーブが繰り出す鞭が一本の矢と激突、そこからだ。やじりが鞭と接触した瞬間、爆発的に分裂を引き起こす。


 粘性液体表面を容赦ようしゃなくけずり取り、さらに内部へと突き進んでいく。赤炎せきえんに包まれた極めて細く短い無数の矢は侵入するなり、縦横無尽じゅうおうむじんに粘性液体内をけ巡る。


此度こたびの戦いに備えて、特別に仕上げていただいた魔術矢です」


 エヴェネローグの自信たっぷりの言葉にノイロイドもうなづく。


(あの魔力波長、なるほど、そういうことですか。これはこれは、面白いことになっていますね。三姉妹、いえ、親子孫といったところでしょうか)


 声には出さないものの、自然と表情に現れている。


「ビュルクヴィスト様、またよからぬことを考えていらっしゃいますね」


 横顔を凝視ぎょうししていたエランセージュがため息じりに言葉を発する。


 ビュルクヴィストは他者に自身の思考、感情をさとられないよう完璧に制御している。誤魔化ごまかすのも得意だ。それがなぜかエランセージュには全く通用しない。


 彼女の極めてまれな特性とでもいうのか。可愛い顔に似合わず、なかなか辛辣しんらつな言葉も投げかけてくる。


「な、何を言っているのですか、全くエランセージュ嬢は。よからぬことを考えているなど、あり得ませんよ」


(エランセージュ嬢は不思議な魅力を持っていますね。人の機微きびに触れ、多くを学んできたのでしょう。彼女なら、きっと)


 その考えは振り払う。今ここですることではないし、すべきことでもない。


「二人の矢に付与された魔術でしょうか。懸念けねんがおありでしたら、私にも教えていただけないでしょうか」


 ビュルクヴィストは感嘆かんたんの目をエランセージュに向け、横顔を見ていた彼女の視線に合わせる。


「よく分かりましたね。では、エランセージュ嬢に問いますよ。二人の矢に魔術を付与した者は何人ですか」


 ビュルクヴィストはあえて聞いている。今のエランセージュなら見分けられると確信したうえでだ。


「付与者は一人です。矢の効能は異なりますが、いずれからも同じ魔力波長を感じます」


 ビュルクヴィストは微笑ほほえんだまま首を縦に振る。求めるべき完璧な答えだったからだ。


「エランセージュ嬢、立派に成長しましたね。それに、あの彼女が体表面にまとう魔術氷膜ひょうまくです。貴女が教えたのですね」


 セルアシェルの方を見やりながら、これもまた確信をもってたずねる。


 ビュルクヴィストからすれば一目瞭然いちもくりょうぜん、セルアシェルの全身を纏う氷幕の魔力、その流れがエランセージュのものとうり二つだからだ。


「はい。この戦いの直前です。ふいに訪ねてきた彼女が言ったのです。動きを一切阻害そがいせず、なおかつくだけない氷を全身に纏う魔術はあるか、と」


 その時のやりとりを思い出したのだろう。エランセージュは苦笑を浮かべつつ、言葉を続ける。


「私の知識の中で双方をかなえる魔術はありませんでした」


 黙したまま、目だけで先をうながす。


「一方のみなら、という条件で二種の魔術を教えました。ただ、私が扱えるのは前者のみです。後者は知識として持っていますが、恐ろしくて行使したいとは思いません」


 エランセージュの指摘どおりだ。


 氷結の魔術を極めていけば、やがてそこに行き着く。絶対に砕けない氷を全身に纏う。すなわち、ビュルクヴィストがフィヌソワロの里でクヌエリューゾと対峙した際、オペキュリナの託宣から身を護るために行使した魔術こそだった。


 凍結界とうけっかい、まさしく全身を氷で覆い尽くす高度かつ危険な防御術だ。


 ビュルクヴィストはエランセージュの言葉に納得しつつ、独り言のように呟く。


「彼女、セルアシェル嬢でしたか。貴女から教わった二種の魔術を組み合わせ、さらには足りない分を補うために」


 不思議に感じていた。セルアシェルは間違いなく体術を使っている。その内容が問題なのだ。


(粗削りではありますが、殻毅術かくきじゅつです。ガドルヴロワならともかく、どうして彼女が体得できたのでしょう)


 ビュルクヴィストの思考をよそに、セルアシェルの戦いはなおも継続している。


 ノイロイドとエヴェネローグ、二人の矢は想定どおり、いや上回るほどの効力を発揮し、粘性液体の鞭をことごとく無害化していく。


 無害化、すなわち焼き尽くすまで、矢にほどこされた炎は決して消えない。


 残念ながら、ラディック王国にはすぐれた高位魔術師がほとんどいない。


 カランダイオを団長とする宮廷魔術師団が、実は王国につかええる者たちではない。その事実が判明した際、大半の騎兵団が天をあおぐことになる。武具への魔術付与は全て彼らにたよっていたのだ。


 第六、第八騎兵団はとりわけ大きな問題をかかえることになる。矢には戦況に応じて様々な魔術付与が必要となる。あらゆる局面に対応する柔軟性が求められる魔弓隊にとって、魔術付与された矢こそが生命線なのだ。


 それが断たれるということは、残された手段、弓を殴打のための武器とするぐらいしかない。


「セルアシェル殿をさまたげようとするものは全て焼き尽くしてしまいなさい」


 疾走しっそう途中で分裂したノイロイドの矢、接触と同時に分裂したエヴェネローグの矢が最後まで抵抗を続けていた中位の鞭を完全に焼き尽くしていった。これにより、セルアシェルの左右は安全地帯と化す。


 セルアシェルは全身を凍結させた状態で凍土を疾駆しっくする。さながら氷塊ひょうかいが氷上を滑走かっそうしているかのようでもある。


 魔術でたとえるなら、氷刃矢フィシュラム、いや氷塊弾ジルビュレヴだ。


 おのが脚力のみで十メルクを詰めたブリュムンドと比較するまでもない。まさしく目にも止まらぬ豪速をもって中位シャウラダーブの眼前に出現、軽く手を伸ばせば触れられる距離で音もなく静止した。


「見守りなさい。セルアシェルも成長しているのよ。貴男の知らないところでね」


 ヴェレージャの一言で一気に熱がめる。あれほどまでにいだいていたあせりや怒りがうそのように引いていく。いささか恥ずかしさを感じつつ、ディリニッツは素直に頭を下げる。


「済まない。私としたことが、冷静さを欠いてしまった」


 セルアシェルの魔術は、単体ではヴェレージャやディリニッツに遠く及ばない。だからこそ、たゆまぬ努力を積み重ねてきた。


 一つの魔術を複数に分解する。実に稀有けうな能力だ。さらに様々な別の効果を付与することで効力を高めるなど、一般的な魔術師の思考を逸脱いつだつしているとも言えよう。柔軟な思考こそがセルアシェルの特徴を際立きわだたせている。


 ルブルコスが修業と称してセルアシェルを選んだ理由がそこにある。ツクミナーロ流継承者たる彼は魔剣士であり、剣術、魔術、体術の三術を自在に組み合わせることで最強の座をほしいままにしている。


 セルアシェルはどうか。魔術は高位の一歩手前か。剣術はディリニッツと同程度、つまり実戦ではほぼ役に立たない。体術は及第点きゅうだいてんをつけることさえ難しい。


 セルアシェルは修業中、ルブルコスにたずねる。


 この三術を組み合わせ、さらにそれぞれに異なる魔術を付与することで力を増大させられないかと。


 ルブルコスは笑いながらも、真剣に答える。


「面白いが途方もない考えだ。今のお前では無理だな。もし、それをおのがものとした時、お前は間違いなく最強の座を手にするだろう」


 この短期間で三術を同時に極めるなど到底不可能だ。セルアシェルも理解している。だからこそ、最も得意とする魔術を最優先に、剣術と体術は必要最低限、そこに上乗せするための魔術だけを突き詰める。方針が定まった以上、猛特訓あるのみだ。


 セルアシェルには初歩的な剣術、体術を学ばせるだけでも時間が足りない。そこでルブルコスが目をつけたのがグレアルーヴだった。具体的に言うなら、グレアルーヴが主な武器とする爪と脚力だ。


 グレアルーヴに比べて、あまりに華奢きゃしゃ非力ひりきなセルアシェルが彼と同様のことをすれば、負荷が大きすぎて壊れてしまう。


 一計を案じたルブルコスは、しぶりに渋るロージェグレダムをなだめ、き伏せ、殻毅術かくきじゅつのごく上辺のみを伝授した。そう、ビスディニア流継承者たる彼が得意とする体術の一つ、それが殻毅術かくきじゅつなのだ。


 ソミュエラがのどから手が出るほどに欲する殻毅術かくきじゅつ根幹こんかんは、二人の剣匠によって人知れずセルアシェルにさずけられていたことになる。


 セルアシェルと同じく、ルブルコスから修業をつけてもらっていたソミュエラにとってみれば、まさしく青天の霹靂へきれきというしかない。

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