第256話:エランセージュの弱体化魔術
ヨルネジェアの瞳が悲しみに揺れている。
(こんな再会、私は望んでいないわよ。イプセミッシュ、今から戻してあげるわ。そのためには)
イプセミッシュを前にしてヨルネジェアと妖精王女が立ち並ぶ。背後にはエランセージュとビュルクヴィストがいる。
この任務の成功は、最高難度とも言える治癒魔術をエランセージュ一人で行使できるか
「エランセージュ嬢、鍵はあなたの心の奥底に眠っています。目覚めの
思わず振り返るエランセージュに、ビュルクヴィストは
(ど、どうしてビュルクヴィスト様がその言葉を。まさか、あの時の魔術師は)
今、それを考えても仕方がない。エランセージュは気持ちを落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。そして、静かに両の瞳を閉じた。
(イプセミッシュ様、必ず私が、私が助けてみせます)
無意識のうちに指を組む。まるで祈りを捧げるかのようだ。
(ここで戦線を離脱してもいい。だからお願いよ、イプセミッシュ様を助けるために私に力を与えて。心の想いを届けてみせるわ)
エランセージュを包む光が揺れ動いている。安定していない証拠だ。心の奥底、鍵に手が届いていない。
背中に手が触れた。何かがゆっくりと流れ込んでくる。
雄大な大河のごとく流れゆくビュルクヴィストの魔力はエランセージュの魔力と溶け合って、全身に行き渡り、そして心の奥底へと浸透していった。今、ようやくにして鍵を開くための道が
エランセージュは魔力の手を心の奥底まで伸ばしていく。確かにある。認識できる。まさに扉だ。そこには鍵がかかっている。
(触れても大丈夫かしら)
恐る恐る指で触れてみる。思わず手を引っ込める。身体が跳ねてしまうほどに熱いのだ。心の芯とでも言うのか、まるで燃え盛る
(どうすれば。私の一部なのに、まるで私のものじゃないみたい。それにいったいこの熱さは)
迷ったところで時は止まってくれない。イプセミッシュの前に立つヨルネジェアから
「何をしているのよ。
少し離れた位置から見守っているルブルコスが苦笑を浮かべている。その顔には、容赦ないな、とはっきり書いてある。
ヨルネジェアの言葉どおりなのだ。
こうしている間に効力が切れてしまえば、たちどころにイプセミッシュの命は失われてしまう。ヨルネジェアがもどかしく思うのは
「私、やります」
エランセージュも覚悟を決める。
無意識のうちに一度だけ振り返る。そこに立っている人物に向かって。師事していた時と全く同じだ。
優しげな笑みを浮かべ、貴女ならできますよ、と口には出さない言葉を常にかけてくれる。短期間ではあるものの、今のエランセージュにとって誰よりも信頼できる師、それがビュルクヴィストという存在だ。
エランセージュは力強く
(大丈夫です。貴女なら
エランセージュに
ビュルクヴィストには
(触れて、よく視るのです。今の貴女なら視えるはずですよ)
ザガルドアからエランセージュの話を聞き、いつものような調子で軽く引き受けた。ごく一時的な師弟関係のつもりだった。ゼンディニア王国で初めて彼女を見た時、ビュルクヴィストは即座に気持ちを切り替えざるを得なかった。
持て余すのも当然の帰結だったのだ。ビュルクヴィストでさえ、正直なところ、ここまでとは予想していなかった。無論、よい意味でだ。それほどまでに潜在的な力はエランセージュこそが最も秀でていた。
ヴェレージャやディリニッツなど、十二将の優れた魔術師に比べても引けを取らないどころか、頭一つ以上抜きん出ている。不幸だったのは、これまで彼女の秘めた潜在能力に気づける者がいなかったことだ。
(巡り巡って私のもとへ彼女がやって来た。これも天命とした言いようがありませんね)
ビュルクヴィストの視線の先、エランセージュを覆う光が定着しつつある。揺れは
エランセージュは胸前で両の手のひらを重ね合わせ、意識を心の扉に向けて集中していく。魔力の手を再びゆっくりと伸ばす。
魔力の指先が鍵に触れた。先ほど感じた熱さはない。伝わってくるのは心地よい
(これが、私の力、なの)
鼓動が次第に早まっていく。まるで
(駄目、こんなところで魔力酔いだなんて、私がしっかりしないと)
心の扉にかけられた鍵は強固な魔力によって封じられている。
施錠魔力は、一部はエランセージュのものだ。幼かったエランセージュにとって、心の奥底に眠る力があまりに過ぎたものだったため、暴走しないよう他者の力を借りて封印している。
結果として、この段階で魔力の完全一致はあり得ない。一致させるには、エランセージュが真なる解錠者だと認めさせなければならない。施錠時の魔力の完全上書きだ。
今、施錠魔力そのものはエランセージュが鍵に触れたことで体内に循環している。他者の魔力が上乗せされている分、循環速度が上昇するのは当然で、それが鼓動を早めている要因になっているのだ。
もう一つの別の魔力がエランセージュを助ける。先ほどからエランセージュの背に触れている手から注がれるビュルクヴィストの魔力こそだ。
≪落ち着いて深呼吸をしなさい。他者の魔力を拒む必要はありません。受け入れて、自身の魔力を上乗せしていくのです。ゆっくりと順応させていきなさい≫
ビュルクヴィストの声を聞くだけで自然と落ち着いてくる。そのうえ何と的確な助言なのだろうか。自分一人では到底
≪有り難うございます。私、ビュルクヴィスト様の教えを受けることができて、今ほど幸せに感じたことはありません≫
素直に感謝の気持ちを言葉にする。エランセージュの心からの想いだった。
直球の言葉を投げられたビュルクヴィストが
≪ええ、エランセージュ嬢、
儀礼的な礼なら嫌になるほどに受け取っているビュルクヴィストも、面と向かっての心からの賞賛には大いに照れるのだ。何しろ、彼の普段の言動は真逆、賞賛ではない言葉をかけられることの方が多い。
≪魔力の上乗せはできましたね。では解錠を試みなさい。一つだけ注意しておきますよ。解錠直後が最も危険です。言霊の
ビュルクヴィストの警告を有り難く頂戴する。ビュルクヴィストでさえ対応できない場合の保険もある。この状況をレスティーも注視しているのだ。レスティーがいる限り、万が一も起こり得ない。
ビュルクヴィストとの会話の間にエランセージュは完璧に冷静さを取り戻していた。
体内を巡る魔力は安定し、停滞のない流れを維持している。エランセージュは満を持して、魔力の手を伸ばし、静かに鍵に触れた。
三度目の正直だ。二度にわたって感じた熱は一切ない。触れた先から魔力が広がり、鍵全体を覆い尽くしていく。
解錠は成った。扉を開ける。
魔力を通じて得られる感触は
魔力の手が無の空間内に入った。
(大丈夫、落ち着いて。私ならやりきれる。ビュルクヴィスト様のお言葉どおりね。受け止める準備はできている)
言霊は荒れ狂う
今の時代、魔術の詠唱は主物質界において魔術を具現化する鍵を開くためのものだ。すなわち体系化された言霊、魔術言語を読み上げることで
エランセージュは既に鍵を開き、必要となる言霊を解き放った。次はその言霊を己の魔力に定着させ、完璧に自らのものにしなければならない。
(これほどの言霊、確かに幼い頃の私だったら間違いなく壊れているわね。でも今は違う。証拠を見せてあげる)
エランセージュが得意とする後方支援魔術、中でも広範囲にわたって相手戦力を大きく削り取る弱体化魔術が今こそ役立つ時だ。
(体内で暴れ回る言霊を
これまでに幾度となく弱体化魔術は行使してきている。完璧に定着している魔術だ。即時発動できる。詠唱のための言霊も体内にある。そこに鍵はない。ただ扉を開くだけで済む。
だから、魔力の手で触れ、即座に扉を開いた。
(
私ならできる。強い想いをもってエランセージュは自らの体内に弱体化魔術を解き放った。
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