第194話:終の舞い氷舞

 確実に認識できた。ディリニッツの言葉、ヴェレージャが解き放った魔術、いずれもだ。


 信頼できる仲間たちが、自分のために力をそそいでくれている。トゥウェルテナはたまらなく嬉しかった。その期待にこたえるだけだ。


 自然の流れに身を委ねる。トゥウェルテナは焔舞えんぶの中に跳躍ちょうやくを組み込む。無意識の動きだった。


操影術そうえいじゅつ奥義腕剛翔柔意リディデラトア


 ディリニッツの操影術奥義がここに発動した。本来、操影術は己自身が術の対象者だ。他者に対して行使するものではない。


 今回はまさしくけでもあった。これまで補助的な操影術は一度も試したことがないからだ。それをディリニッツはこの土壇場で実行した。


「トゥウェルテナ、足場は気にするな。地上にいるつもりで舞いを続けてくれ」


 突然、影から腕が伸びた。正確には腕に見えるような影だ。


 あたかも手のひらを上に向けたかのような形で、宙に飛び上がったトゥウェルテナを柔らかく受け止める。


 トゥウェルテナは操影術によって作り出された腕の上に着地、足場を確認した後、そのまま終の舞い焔舞を続行した。


 一対の湾刀が乱れ咲き、上空だろうと構わず攻撃を繰り出してくる黒きむちを寸断していく。全ての鞭を断ち斬るには至らない。黒き鞭は無尽蔵、斬っても斬っても、攻撃の手を緩めることはない。


 その都度、トゥウェルテナの肌が薄皮一枚ずつ裂けていく。エランセージュの支援魔術の助けがなければ、確実に死に至っているだろう。


(さすがに魔霊人ペレヴィリディスの力、みんなが助力してくれているとはいえ、どうにかカイラジェーネの攻撃を食い止めないと)


「それは私に任せなさい」


 ヴェレージャが行使した荒嵐氷滅縛流塵ファルネトゥヴィアが、カイラジェーネを的確に捕捉した。


 坑道を抜けていく微風が、たちどころに烈風へと変わる。大気にあふれる水分を飲み込んでいく。烈風は威力を増しながら、うずを巻き上げる。


 吸収し尽くした水分は渦内で急速に冷やされ、氷の微粒子びりゅうしと転じた。渦が極大化、竜巻へと変じ、内部に閉じ込めた氷の微粒子と一体化していく。


 ここに極低温の氷息吹をまとう竜巻が完成した。極大でありながら極小、ヴェレージャが緻密ちみつに計算し尽くした範囲内でのみ吹き荒れる複合魔術だ。


 カイラジェーネが容赦なく繰り出す黒き鞭は、瞬く間に氷を纏った竜巻にからめ取られていく。それだけでは終わらない。


 氷息吹の竜巻は、いささかも勢いを衰えさせることなく、カイラジェーネをも飲み干さんと襲いかかる。その軌道は不規則、竜巻は左右に揺れ動きながら、時にはねじれ、時には伸び上がり、氷息吹をき散らす。


 大気中の水分がたちどころに結晶化、幻想的なきらめきを坑道内に投げかける。ヴェレージャの高度な魔術制御のせるわざだった。


 黒き鞭がトゥウェルテナに届くことはなくなった。


(有り難う、みんな。本当に頼れる仲間たちよね。この機会を決して無駄にしないわよ)


 宙での焔舞が終わった。トゥウェルテナがいよいよ最後の舞いに入る。


「終の舞い氷舞ひょうぶ


 ついの舞いは二段構えの舞いなのだ。焔舞、氷舞の弐舞にぶに分かたれる。


 終の舞いの大半を占める焔舞に対して、氷舞はまさに終焉しゅうえんを決定づける、真の意味での最後の舞いとなる。


 トゥウェルテナの氷舞が始まった。舞いに合わせて、一対の湾刀が両翼を広げた氷鳥のごとく羽ばたく。焔舞の熱く激しい舞いとは対照的な、涼やかで穏やかな舞いだ。


「みんなが私のために与えてくれた力を結集するわ。これで終わりにする」


 死環白流葬雨舞ニエティリオも大詰めを迎える。標的を確実に仕留めるための終の舞い氷舞は、時間にしてわずか一メレビル、まもなくその時が来る。


 いよいよだ。トゥウェルテナの湾刀の刃が、カイラジェーネをとらえる。


「カイラジェーネ」


 地上から天井までは五メルクもない。カイラジェーネの頭上に位置するトゥウェルテナが氷舞の仕上げにかかる。


 身体を小さく折り畳む。視線はカイラジェーネから片時も外さない。彼女の瞳の中に意識を没入させていった。直後、脳裏に声が返ってくる。


≪お前に、いえ、トゥウェルテナと呼ばせて。感謝するわ。ようやく、私も解放されるのね≫


 魔霊人ペレヴィリディスとなったカイラジェーネを殺す方法は、ただ一つしかない。核の位置を正しく見極め、それを破壊する。


 トゥウェルテナに核はえずとも、正しく一対の湾刀が導いてくれる。


≪託すわ。貴女も砂漠の民、何よりもエトリティアの子孫だものね≫


 覚悟を決めたカイラジェーネの言葉だった。彼女が笑いかけてくるのがえる。戦いの場にそぐわない柔和な笑みだった。


≪カイラジェーネ、人としての意識を、正気を取り戻したのね。私、本当は貴女を殺したくはないの。でも、でも、それでも私は≫


 葛藤が消えることは決してない。トゥウェルテナは戦いの最中さなかで、カイラジェーネに対する情がいているからだ。


≪人としての意識をここまで閉じていたのよ。この機会が必ず来ることを願ってね≫


 それも限界を迎えつつある。


 恐らくトゥウェルテナの会話が終われれば、もはや人としての意識は完全に埋没してしまうだろう。そうなれば、人としての部分は根こそぎ失われることになる。


≪だからこそ、この意識が残っているうちに私を殺してほしいの。こくなお願いをしていることは承知のうえよ。貴女にしか頼めないのよ≫


 カイラジェーネの願いは、痛いほどに理解できる。人として死なせてあげたい。それが正しいことなのかは分からない。


 トゥウェルテナは心底思った。そうしなければならないと。


≪カイラジェーネ、貴女の悲しみの理由を知ってしまった私に、貴女を殺せと言うのね≫

≪そのとおりよ。エトリティアのところに私を送り届けて≫


 微笑んで見せるカイラジェーネがまぶしかった。トゥウェルテナの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。


「何、これは。トゥウェルテナの湾刀が」


 ヴェレージャの言葉が全てを代弁していた。


 トゥウェルテナの涙を受け止めた刃が呼応する。手にする一対の湾刀が眩いばかりの輝きを発した。強烈な光が四方へと散開する。


 一対の湾刀が左右に大きく伸び、広がる。それはまさしく翼だった。操影術の手のひらから、トゥウェルテナが氷鳥となって飛び立つ。


 カイラジェーネは両手を広げ、人としての最後の力をもって魔霊人ペレヴィリディスの力を封じた。


≪有り難う、トゥウェルテナ≫


 トゥウェルテナの瞳から溢れる涙が、尾を引いて後方へと流れ去る。あたかも夜空に煌めく流星のようでもあった。


「終の舞い終焉凍刻アウェレィゲ


 翼と化した湾刀が羽ばたきをもって、上空から振り下ろされる。それはまさしく冷たき氷の慈悲じひだった。


 刃が神々こうごうしいばかりの輝きを闇の中に散らす。やがて、散開した煌めきが収束、一条の光となって駆け抜けていった。


 音もなく、ただただ静謐せいひつのうちに、終の舞いは完遂した。


 そして、トゥウェルテナとカイラジェーネ、二人のたいは入れ替わっていた。

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