第225話:魔剣による剣術

 弾き飛ばされたセレネイアは、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを手放すことなく、易々やすやすと着地していた。剣の持ち手を変える。


≪来るわよ。構えなさい≫


 イェフィヤの声を受け、再びトゥウェルテナは一対の湾刀を胸前で交差させる。


 自身からは仕かけない。セレネイアの攻撃を待ち構える。未だに彼女のそうとしている意図が分からないからだ。


 剣の力量は互角か。あるいは、セレネイアがやや上かもしれない。ならば、魔剣アヴルムーティオはどうか。圧倒的にイェフィヤとカラロェリが上だ。それは先ほどの魔力流幕で実証されている。


≪信じているわ、イェフィヤ、カラロェリ≫


 セレネイアも皇麗風塵雷迅セーディネスティアを構える。その姿に、トゥウェルテナは驚きを隠せない。


 初めて見せる左八相はっそうなのだ。この構えを見間違うはずもない。彼女にとっての筆頭たるイプセミッシュの構えと同じだからだ。


 イプセミッシュの場合は右八相だ。セレネイアは左脚を引いた半身で、両手でつかを握り、左手を上にしている。しかも、左腕は空へと一直線に伸びている。


「あれはビスディニア流の構えじゃないか。嬢ちゃん、セレネイアは使いこなせるのか」


 なかほうけ気味のシルヴィーヌに、ディグレイオが慌ただしく問いかける。


 セレネイアの言葉を受けたものの、シルヴィーヌは動くに動けないでいた。敬愛する姉の声を聞き間違えるはずもない。まぎれもなく、セレネイアの声だった。


「でも、お姉様ではないのです。それに、お姉様がまとうあの魔力は」


 答えになっていない答えに、ディグレイオは怪訝な表情を浮かべ、シルヴィーヌを見つめる。視線を感じたのか、シルヴィーヌは小さく首を横に振るだけだ。


 ディグレイオも確かに感じていた。セレネイアと初めて会った、まさにあの時に。


 ディグレイオに言わせれば、人は所詮しょせんうつわにすぎない。その中に様々なものが詰まって、人たるものが形成されている。感情もその一つだ。


「嬢ちゃん、セレネイアに欠落しているものがあることを知っていたか」


 唐突な問いに、シルヴィーヌは戸惑っている。姉に欠けているもの、咄嗟とっさに思いつくものはない。


 優しさに満ち、誰に対しても深い思いやりと愛をもって接する。調子に乗りすぎてしかられることもある。そのような時でも、決して怒鳴り散らしたり、ましてや暴力を振るうなど、いまだかつて一度もない。


「慈愛に満ちたセレネイアお姉様に限って欠落など。考えたことさえ、ありませんわ」


 シルヴィーヌの返答に、そうだろうな、といった表情を浮かべる。ディグレイオはため息を一つつき、行動に移る。


「嬢ちゃん、あの娘のところまで飛ぶぞ。俺が抱えるから安心しておけ」


 この際、シルヴィーヌの意思は無視する。


 告げるなり、ディグレイオはトゥウェルテナにしたのと同様、またたく間にシルヴィーヌを小脇に抱え上げ、マリエッタのもとに向かってけた。


 すさまじいまでの跳躍は、まさに飛んでいると呼ぶに相応ふさわしい。しかも、着地の際の衝撃は一切なく、速度も落ちない。ディグレイオのすぐれた体術のなせるわざだった。


 刹那せつなのうちに、マリエッタのそば辿たどり着いたディグレイオは、シルヴィーヌを下ろすと、二人を守るようにして前に立ちはだかる。


 それを察したトゥウェルテナの意識が、わずかに注がれる。ディグレイオはただ頷きをもって返した。二人の間に言葉は不要だ。


「嬢ちゃん、よく見ていろよ。見るべきは、分かるな。二つだ」


 答えは教えない。教えるつもりもない。自分で見つけ出すべきものだからだ。


 この三姉妹王女は、とりわけ優秀だと聞いている。特に、言葉を交わしたセレネイアとシルヴィーヌは傑物けつぶつだ。ディグレイオが見ても、そう言い切れる。二人にはさまれたマリエッタも、間違いないところだろう。


 セレネイアとシルヴィーヌ、この二人には決定的な差異がある。ディグレイオにしかえていない器の中身だ。シルヴィーヌは器の中に余剰がないほど詰まっている。対して、セレネイアはほぼ半分が空の状態なのだ。


 それが重要な感情の一部であることも、ディグレイオには認識できている。


(魔術による封印か、あるいは。セレネイア、お前に何があったんだ)


 見つめる先のセレネイアと視線が合う。彼女は不敵な笑みを浮かべ、まるでディグレイオの心を読んだかのごとく、言葉をつむぐ。


「まもなく分かるわ。そこで見ていなさい」


 セレネイアの全身が魔力で満たされていく。皇麗風塵雷迅セーディネスティアの剣身から風が吹き出し、渦を巻き上げる。


「行くわよ」


 右脚が僅かに大地を蹴る。反動が身体に跳ね返る。それに合わせて、セレネイアは上空へと翔ける疾風の渦に乗って、およそ十メルクの高さまで軽々と跳躍した。


 左八相の皇麗風塵雷迅セーディネスティアは最上段にある。跳躍最高点でいったん静止、疾風の風が今度はセレネイアの背を押す形で、急降下のための推進力となった。


 常人からすれば、信じられない光景だ。セレネイアは、まるで息をするかのように魔力を自在に使いこなしている。


 シルヴィーヌもまた同じ思いだった。セレネイアのいったいどこにこれほどの魔力が隠されていたのか。魔力をる目に自信を持っている彼女でさえ、全く分からなかった。見抜けなかった。愕然とした表情が、それを如実に物語っている。


 シルヴィーヌの震えている手に、力なく重なる手があった。


「マリエッタお姉様、意識が戻られたのですね」


 戻ったとはいえ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの発する強烈な魔力の波に呑まれていたのだ。半ば混濁こんだく状態にある。はっきりしない頭を振りつつ、シルヴィーヌに問いかける。


「な、何が、起こっているの」


 問われたところで、シルヴィーヌも分かっていない。


「私にも、分かりません。言えるのは、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを手にしたセレネイアお姉様が、トゥウェルテナ殿と戦っている。それだけです」


 言葉が出てこない。マリエッタも、あり得ない事態だと思っているのは明白だ。しかも、皇麗風塵雷迅セーディネスティアには魔力が注がれていない。何しろ、制御に失敗したうえ、注ぎ込んだ魔力は全て拒絶されてしまったからだ。


「ど、どうして、セレネイアお姉様が、それに、あれは」


 見上げるマリエッタの目にも、はっきりと映し出されている。上空にあるセレネイアの姿、そして皇麗風塵雷迅セーディネスティアから発せられている恐ろしいまでの風の渦だ。紛れもなく魔力によって構築されている。


 落下の速度に加え、推進力を乗せたセレネイアの身体がトゥウェルテナの頭上へと迫る。左八相、伸びきっていた左腕を解放、皇麗風塵雷迅セーディネスティアが全ての加速を得て、振り下ろされた。


≪別離。不許可。加圧。把持はじ


 カラロェリの声に従い、トゥウェルテナはイェフィヤとカラロェリを握る両手に最大の力をめる。絶対に離さない。確固かっこたる意思をもって、胸前から頭上へとかかげる。


 轟音ごうおんが響き渡り、同時に衝撃が爆散する。トゥウェルテナの足元を中心に、四方八方に亀裂がうなりを上げて走り抜けていく。


 トゥウェルテナの両脚が勢いよく大地にめり込む。それでも足りないとばかりに、セレネイアは皇麗風塵雷迅セーディネスティアに圧をかけ、湾刀を弾き飛ばそうと、さらなる魔力を注ぎ込んだ。


 セレネイアとトゥウェルテナの視線が絡み合う。


≪この娘の瞳、そういうことなのね≫


 トゥウェルテナは、この瞬間に悟っていた。見た目は強烈な光をたたえているようで、実はうつろなのだ。まるで、深い闇の底をのぞき込んだかのように、そこには何もない。


「なかなかやるわね。これならどうかしら」


 宙に浮いたままのセレネイアが妖艶な笑みを浮かべ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアになおも魔力を注ぎ込む。


≪分かったようね。私たちをしっかり握り締めて、絶対に動いては駄目よ≫


 イェフィヤの緊迫した声が響く。動きたくても動けない。トゥウェルテナは、セレネイアが加え続けている圧に耐え続けるだけで精一杯なのだ。


「受けてみなさい」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアの剣身がまばゆいばかりに輝き、光を盛大に散らす。


≪不動。避雷針。大地。拡散≫


 カラロェリの意図が伝わってくる。


≪私の身体を避雷針にするつもりなの≫


 トゥウェルテナはすさまじい恐怖を感じつつ、できることといえば、微動だにせず、相棒たるイェフィヤとカラロェリを信じることだけだ。それが自分の務めでもある。


「行くわよ。雷尖襲狼爆閃破ルネヴトゥシオン


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが歓喜に震え、剣身より耳をつんざく轟雷が翔け下りていった。

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