第224話:もう一人のセレネイア

 膨れ上がった魔力流幕りゅうまくに向かって、セレネイアがける。


 一人、宙に浮かんだまま取り残されているもう一人のセレネイアが、その後姿を呆然ぼうぜんと見送っている。


 どちらのセレネイアが本物なのだろうか。そもそも、なぜこのようなことが起こっているのか。考えたところで分かるはずもない。


 お互いの認識は一致しているのだ。マリエッタを助ける。その一点においては、どちらのセレネイアも、いささかもぶれがない。


 魔力流幕の内部では静寂が支配している。


 イェフィヤとカラロェリの中間点、はさみ込まれる形で皇麗風塵雷迅セーディネスティアが剣身を下にして浮かび上がっている。


 あれほどまでに吹き荒れていた皇麗風塵雷迅セーディネスティアの風は、完全にいでいる。そう、凪いでいるのだ。表現としては正しい。


 凪ぎは強制、イェフィヤとカラロェリによる皇麗風塵雷迅セーディネスティアの封じ込めによる。イェフィヤとカラロェリの魔力が完全上位、魔力法則に従って、下位の存在はその効力を一切発揮できなくなるがゆえだ。


 魔力の揺らぎが収まり、調和の取れた魔力流幕が完成すると同時、セレネイアはゆっくりと右手を持ち上げる。


 束の間、セレネイアは右手に自身の魔力を集め、触れないままに魔力流幕の状況をつぶさに観察していく。何のためか。


 魔力流幕は調和が取れた状態を維持している。そこへ、自身の異質な魔力を注ぎ込むことは、調和を乱す行為に他ならない。


 もう一人のセレネイアであれば、確かめることさえせず、慌てて魔力流幕に触れていただろう。今、魔力流幕の前に立つ、負の感情だけを持つこのセレネイアは違う。明らかに魔力をる目を有している。


「これなら、調和を崩すことなく、触れられそうね。弾かれる心配は、どうかしらね」


 独り言をつぶやき、セレネイアは静かに魔力流幕に自らの右手を重ねた。魔力流幕がわずかの拒絶反応を見せる。異質な魔力の存在を即座に認識したのだ。セレネイアも、それを悟っている。


「ここで危険を冒すわけにはいかないわ。皇麗風塵雷迅セーディネスティア、私のもとに来なさい」


 いつものセレネイアらしくない。口調はもちろん、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに対し、一方的に命令するなど初めてのことだ。


 魔力流幕内からの反応はない。それでも、セレネイアは一向に気にしていない。ただ待つだけだ。


 魔力流幕内では、イェフィヤとカラロェリが皇麗風塵雷迅セーディネスティア対峙たいじしている。そのやりとりは誰にも聞こえない。たとえ聞こえたとしても、全く分からないに違いない。


 状況としては、イェフィヤとカラロェリが一方的に皇麗風塵雷迅セーディネスティアを攻めている、といったところか。


 イェフィヤの声が、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに飛ぶ。


≪貴女の所有者が呼んでいるわね。いいでしょう。許可します。ただし、あれは片割れよ。くれぐれも、呑まれないようになさい≫


 この場から逃れるなら、片割れだろうが何でもよい、とでもいうのか。イェフィヤの許可を受けた皇麗風塵雷迅セーディネスティアが、文字どおり、救世主たるセレネイアのもとへ向かって宙を飛ぶ。


≪未成熟。感情複雑。悪影響。先行不安≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアには欠点がある。カラロェリは、それを心配しているのだ。


≪見守りましょう。いざとなれば、私たちで封殺ふうさつするしかないわね≫


 カラロェリの意をんだのか、イェフィヤが断言する。


「ようやく来たわね」


 セレネイアの知覚が、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの飛来を認識する。魔力流幕に衝突する寸前だ。セレネイアは右手を魔力流幕内に押し込み、すかさず皇麗風塵雷迅セーディネスティアつかを握り締める。


「そう、マリエッタの魔力を、こばんだのね」


 わずかに寂しそうな表情を浮かべる。セレネイアは即座にそれを消すと、自身の魔力を皇麗風塵雷迅セーディネスティアに注ぎ込む。セレネイアの魔力に、いささかの揺れも見られない。


 人族として、一般的な魔力量しか有していないセレネイアだ。考えられないほどの魔力が、慎重さもなく、丁寧さもなく、それでいて粗雑さもなく、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに注がれていった。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアも、セレネイアの魔力を何の抵抗もなく受け入れている。あれほどマリエッタの魔力を拒絶していたものを、何とも不思議な現象だ。


 十分な魔力がたくわえられたところで、セレネイアは剣を握る右手にさらに力をめる。


「まずは、この邪魔な魔力流幕ね。消えなさい」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを引き抜きざま、セレネイアは無造作に剣をり上げる。


 剣が創り出す魔力波が、一筋の光となって駆け上がっていく。頂点まで達したそれは、反対側へと駆け下りる。


 見事なまでの割断、魔力流幕が粒子となって消え失せる。


 セレネイアの目に映るのは、大地に突き立った二本の剣、トゥウェルテナ、そして倒れたまま動かないマリエッタだ。マリエッタの身体は、ちょうどこれらの中間の位置にある。


 セレネイアの表情がゆがむ。この状況下で、セレネイアがどのような判断を下したか。言うまでもないだろう。


「貴様、よくも私の大切なマリエッタを」


 セレネイアが叫ぶ。とてもセレネイアの声とは思えない。


 トゥウェルテナは驚きを隠せないまま、信じられない思いを抱いていた。まさに異変としか言いようがない。


 何よりも、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを手にして、まるで仇を討つがごとく一直線に突っ込んでくるのだ。


「セレネイア、何を」


 すかさずイェフィヤの声が飛び込んでくる。


ほうけている場合じゃないわ。私たちを手に取りなさい。急いで≫


「ああ、もう、どうなっているのよ。来て、イェフィヤ、カラロェリ」


 トゥウェルテナが両腕を広げ、指先に魔力を集中、一対の湾刀を呼び寄せる。剣身まで大地にめり込んでいたイェフィヤとカラロェリが姿を見せ、即座にトゥウェルテナの両手に収まった。


 セレネイアが再び声を上げる。それはシルヴィーヌに対するものだ。


「シルヴィーヌ、マリエッタのそばに行きなさい」


 視線は動かさない。トゥウェルテナに固定したまま突き進む。トゥウェルテナまで五歩間のところだ。セレネイアは勢いよく飛び上がる。


 トゥウェルテナが右手にイェフィヤ、左手にカラロェリ、一対の湾刀を手にしたところへセレネイアの皇麗風塵雷迅セーディネスティアすさまじい勢いで落ちてきた。


 落下速度が乗った皇麗風塵雷迅セーディネスティアが、咄嗟とっさに交差させたイェフィヤとカラロェリと激しくぶつかり合う。


 剣身をかたどる金属がきしみ、耳をふさぎたくなるような雑音を響かせる。それだけではない。


 魔剣アヴルムーティオ同士が衝突したのだ。膨大な魔力の嵐が吹き荒れる。所有者と一体となった魔剣アヴルムーティオは、魔力がよりいっそう活性化するのだ。


「セレネイア、その魔力はいったい」


 トゥウェルテナは既に気づいている。セレネイアの有する魔力が尋常ではないほどに増大している。しかも、魔力質が先ほどまでとは明らかに異なっている。


≪圧力増加。譲歩不可。忍耐。炎熱敢行≫


 カラロェリが励ましてくれている。なぜか、彼女の声を聞くと、力がみなぎってくるのだ。


 トゥウェルテナは笑みを見せ、迷いなく、一歩だけの後退を選ぶ。


「この、馬鹿王女が。いい加減に、しなさい」


 後退したことには、正しく意味がある。


 上からの皇麗風塵雷迅セーディネスティアの二つの力、物理的な圧と魔力の圧を減衰、拡散させるためだ。


 トゥウェルテナは、交差させているイェフィヤとカラロェリを軽々と跳ね上げ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアごとセレネイアを弾き飛ばしていた。膂力りょりょくなど必要ない。


 トゥウェルテナが手にする一対の湾刀は、魔剣アヴルムーティオなのだ。そして、イェフィヤとカラロェリ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの勝負づけは済んでいる。


「セレネイア、今からお仕置きの時間よ」


 トゥウェルテナはイェフィヤとカラロェリをセレネイアに突きつけ、高らかに宣言した。

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