第223話:セレネイアの秘密

(私、いったい、どうなってしまったのでしょう)


 摩訶まか不思議とはこのことか。セレネイアは、己自身を、その姿を客観的に見つめている。


 両ひざを落とし、完全に気が抜けたかのように、力なくしゃがみ込んでいる。何とも無様ぶざま恰好かっこうだ。それを、自らの視覚をもって外部から眺めているのだ。


 しゃがみ込んでいる自身の瞳が、一瞬輝いたように見えた。間違いない。瞳にだけ力が宿っている。その瞳が外から見ている自身に、すなわちセレネイアに注がれる。


 これが自分の瞳なのだろうか。違和感しかない。セレネイアは思わず身震いしてしまった。そこにあるのは、ありとあらゆる負の感情だ。正の感情は、一つも含まれていない。


≪どうかしら。己自身を見つめる、己自身というものは≫


 セレネイアは、たまらず声にならない声を上げていた。驚愕きょうがくの眼差しを、しゃがみ込んでいる己自身に向ける。


 笑みを浮かべている。それも悪意をたたえたゆがんだ笑みだ。


 直感的にセレネイアはのがれるように目をそむける。


≪背けても無駄よ。ここにいるのは、まぎれもなくセレネイア、貴女自身なのだから≫


 見たくない。あれは自分ではない。あり得ない。ここから、すぐさまいなくなりたい。セレネイアの心はき回され、千々ちぢに乱れている。


≪そうやって、また逃げるのね。ええ、そうすれば楽だものね≫


 一言、一言、区切りながら、心に刻み込むように言葉を投げつけてくる。


 意味が分からない。いったい何から逃げたというのか。セレネイアには全く身に覚えがない。


≪私が、また、逃げた。何を、言っているのですか≫


 自分と全く同じ声、口調だ。無意識下で引き込まれてしまう。逃げたいのに、どうしてももう一人の自分に、目が、意識が向いてしまう。半ば強制的に向けられてしまう。


≪怖いのかしら。負の感情はね、とても甘美なものなのよ。貴女は知るべきね≫


 負の感情にりつかれた者の顛末てんまつはセレネイアも知っている。自分は、あのようにはなりたくない。


 その思いはセレネイアの信念でもある。剣を握っても、決して人は殺さない。自分に課した誓約だ。


≪本当かしら。いつ、どこで、何をきっかけに。ぜひ、私に教えてくれるかしら≫


 歪んだ笑みは妖艶ようえんのそれに変わり、セレネイアを見つめてくる。とても自分が浮かべる笑みとは思えない。まるで別人だ。


 セレネイアは何度もかぶりを振りつつ、答える。


≪私は、人を守るために、剣を振るっています。人をり、殺すためではありません。初めて剣を手にした時からの変わらない思いです≫


 言葉に力強さがない。もう一人のセレネイアが追い詰めてくる。


≪クルシュヴィックに何度も言われなかったかしら。人を斬らなければ、殺さなければ、強くなれない。そうではなくて、セレネイア≫


 反論すべきだ。そんなことはないと。頭では分かっている。のどが詰まったかのように言葉が出てこない。


≪貴女、あの時、低位メザディムは斬ったわね。殺すつもりだったわよね。恐怖の克服のためなら許されるのね。あれも人を依代よりしろとしている。何が違うのかしら≫


 論理のすり替えだ。それが分かってなおセレネイアは反論できない。明らかに、迷いが生じている。思考がまとまらない。矢継ぎ早に繰り出される、もう一人の自分の言葉に心が追いつかないのだ。


潮時しおどきね。いいわ、実演をもって示してあげる。今の貴女の状態では、何もできない。黙って見ていなさい≫


 力なく崩れ落ちていた、もう一人のセレネイアが突然立ち上がる。


≪何を、するのです≫


 即答で返ってくる。軽蔑がめられている。


≪貴女、馬鹿なの。マリエッタを助けるに決まっているでしょう。私の可愛い妹なのよ≫


 息が詰まる。もう一人のセレネイアも、妹への愛はあるのだ。衝撃でもあり、驚愕でもある。負の感情の中に、唯一ある正の感情なのだろうか。


≪何も分かっていないのね。愛にはね、二通りの感情があるのよ。今の私は≫


 目にも止まらぬ早さとはこのことか。立ち上がっていたセレネイアが、勢いよくけ出していた。


 トゥウェルテナの舞い、寂凪無音祝光静ユピファルーイェは成就している。美しい正円を描き出し、その円周を赤紅色あかべにいろ深緋色こきあけいろいろどっている。


 きらめきを発しながら、暴走している皇麗風塵雷迅セーディネスティアを次第に内包していく。


 外から見れば、束の間の静寂だ。二色に染められた筒状にも近い魔力流幕りゅうまくが、トゥウェルテナの目に映し出されている。


 内から見れば、魔力の嵐だ。イェフィヤとカラロェリ、一対の湾刀を通じて、トゥウェルテナは心の目で内部の様子を把握できている。それをる限り、今の彼女に口を差し挟む余地は皆無だ。


(すさまじい魔力の奔流ほんりゅうね。炎と熱はイェフィヤとカラロェリの力、風はあの剣の力、拮抗きっこうしている。違うわ)


 内包した直後こそ、拮抗していたものの、刹那せつなのうちに状況は一変している。圧倒的に炎と熱が優勢なのだ。


 トゥウェルテナには、もう一つ気がかりな点がある。無論、マリエッタの安否だ。


 凄まじい魔力が吹きすさぶ内部は、人がどうこうできるような領域ではない。マリエッタは皇麗風塵雷迅セーディネスティアと一体化しているような状況だ。


 自身の魔力と魔剣アヴルムーティオの魔力、さらにトゥウェルテナの湾刀の魔力までもが加わっている。まさに、三つどもえの戦いとも言えよう。


 異質な魔力は、それだけで身体の負担を大きくする。マリエッタは炎への適性が高い。イェフィヤとカラロェリとの相性は比較的よさそうに思える。


 三つの異なる魔力が衝突、もし風の力が強ければ、恐らくマリエッタの身体は粉々になって後に何も残らない。そうなったとしても、この状況では何ら不思議ではない。


 その気持ちが伝わったのだろう。カラロェリから応答がある。


≪心配無用。姉妹無敵。末妹まつまい懲罰。即時実行≫


 相変わらず、カラロェリの言葉は単語だけの羅列られつだ。トゥウェルテナにはなぜか理解できている。意思疎通そつうに全く問題がないのだ。


≪末妹、末妹って言ったの。え、それは、どういうことかしら≫


 訳が分からないといった表情を浮かべているトゥウェルテナに、今度はイェフィヤが応じる。


≪おろおろしないの。どうして、こういうことになっているのか。分かっているわね≫


 トゥウェルテナは、十二将にあって序列十位、剣も魔術も決して抜きん出ているわけではない。その彼女が、此度こたびの戦いにおいて、誰よりも早く魔剣アヴルムーティオを手にすることができた。


 しかもやいばを正しく輝かせ、意思までも通わせている。それはひとえに彼女の感受性の高さに起因しているのだ。


 魔剣アヴルムーティオと所有者の関係は、所有者が魔剣アヴルムーティオを選ぶのではない。魔剣アヴルムーティオこそが、手にするに相応ふさわしい所有者を選ぶのだ。


 必要な要素は無数ある。中でも、魔力の相性は当然として、その者が有する容量、感受能力、耐性能力も重要になってくる。トゥウェルテナは、そのいずれもが実に優れているのだ。


 容量は高位魔術師に比べれば、ないにも等しい。それをおぎなうのが、双方向魔力循環能力だ。自身の魔力を魔剣アヴルムーティオに供給、力を引き出すと同時、魔剣アヴルムーティオが発する魔力を自身に取り込み、それを循環させる。


 こうして、少ないながらも魔力を次々と循環させながら、魔剣アヴルムーティオの力を切らさずに行使できるのだ。


 全身に気を巡らせて舞い踊る巫女の踊り手シャルハストウ巫女頭みこがしらたる彼女ならではの能力と言えるだろう。


 トゥウェルテナは乱れていた全身の気をしずめ、ゆっくりと循環させていく。


≪そう、それでいいわ。貴女も、そこでていなさい≫


 イェフィヤの言葉に引っかかりを感じたトゥウェルテナが尋ねる。


≪貴女も、って、他にも誰か≫


 途中で強引に意識を切られる。


≪ちょっと、イェフィヤ、カラロェリ≫


 応答はない。


 自身と彼女たちを結ぶ魔力が切れたわけではない。確かにつながっている。トゥウェルテナに意識を向けている状況ではないということだ。


 トゥウェルテナは、魔力をゆるみなく一定の容量でイェフィヤとカラロェリに注ぎ続ける。安定的な供給こそが、魔剣アヴルムーティオのためになる。


 トゥウェルテナは、ただそれだけに集中した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る