第306話:縁は過去を越えて繋がる

 ビュルクヴィストたちが魔術転移門の中に入っていく。見送るミリーティエにビュルクヴィストが振り返り、声をかける。


「ミリーティエ、貴女の成長、しかと見せてもらいました。この谷底は任せましたよ」


 思いがけない言葉にミリーティエは目を丸くしている。


 少しの笑みだけを残し、最後にビュルクヴィストの姿が完全に魔術転移門内に消えていった。


 空に響く硬質音、鈍色にびいろの輝きが次第に薄まり、やがて何事もなかったのごとく静寂が戻る。


「どこに行くのかしら。あの二人と、さらにエランセージュもまた連れていかれたわね」


 ヴェレージャの言葉にミリーティエは首を横に振るしかない。


 ビュルクヴィストのすことに気を回すほど、こちらも余裕があるわけではない。彼は魔術高等院ステルヴィア院長であり、最強とうたわれる先代賢者の一角でもある。


 万事任せておけばよい。それは理解するものの、一抹いちまつの不安が残るミリーティエだった。


「何か心配事でも」


 もくしたまま動こうとしないミリーティエを怪訝けげんに思ったか。ヴェレージャが問いかけてくる。


「いえ、何でもありません。ビュルクヴィスト院長のなさることです」


 ヴェレージャはそれ以上踏み込まない。ステルヴィアにはステルヴィアとしてのおきてや制約といったものがあるだろう。部外者が口をはさむ余地などない。


「それよりも、エランセージュ殿はよかったのですか」


 ビュルクヴィストが連れて行くと決め、エランセージュもそれを受け入れている。ヴェレージャにできることはない。ただ苦笑を浮かべるだけだ。


(遠目でも分かるほどです。彼女の魔力量は信じがたいぐらいに増大していました。何があったのでしょう)


 ビュルクヴィストがエランセージュをどうするつもりかは分からない。一つ言えるとすれば、ビュルクヴィストは彼女のことをかなり気に入っている。そうでなければ、あそこまで厳しい修業を課さないだろう。


 ミリーティエは魔術転移門が消え去った先を見つめている。


(この谷底を任されたのです。私は私のすべきことを成すまでです)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 圧巻の光景が広がっている。


 イエズヴェンド永久氷壁の最下層、広大な空間の全てが分厚ぶあい氷に覆い尽くされている。地上からおよそ一キルク、それでいて異様なほどに明るい。


 四方は地上まで伸びる永久氷壁に囲まれているうえ、どこまでも起伏きふくのない平坦な凍土が続く。


 その中心部に唯一の造形物、巨大な氷像が安置されていた。自然がり成したものではない。氷の台座に浮かぶ双六角錐そうろっかくすいの造形物は、まぎれもなく魔力によって生み出されている。


 き通るような氷でありながら、双六角錐の内部は一切視認できない。魔力も感じられない。


「ビュルクヴィスト様、あの者は間違いなく、この氷の中にいるのですね」


 問われたビュルクヴィストは視線を双六角錐の氷像にえたままうなづくだけだ。


 かたきを目の前にしたゼーランディアもガドルヴロワも気がはやって仕方がない。一刻も早く引きずり出して、とどめを刺したい。


 聞きたいことも山ほどある。それを軽々と上回るほどに殺意が高いのだ。これも魔霊人ペレヴィリディスになった弊害へいがいの一つと言えるだろう。


 ガドルヴロワがたまらず氷像に触れようと右手を伸ばす。近づければ近づけるほど、反発力が強まっていく。


 氷像までの距離が十セルクを切ってからは、どれほど力をめようとも先に進めない。ガドルヴロワは魔霊人ペレヴィリディスとして尋常じんじょうならざる力を有している。


 それでも駄目なのだ。無論、魔力も試してみた。結果は同様だ。氷像に触れる寸前で遮断しゃだんされてしまう。


「ガドルヴロワ、無駄です。この双六角錐の氷像はいわば魔力結晶です。何百年にもわたる魔力凝縮により、外部からの攻撃をほぼ無効化してしまうでしょう」


 絶望がガドルヴロワとゼーランディアを襲う。ここまで来ていながら、何もできないのか。魔霊人ペレヴィリディスになってまで生き長らえてきたのは、ひとえに復讐のためだ。


 二人の気持ちが痛いほどに分かるビュルクヴィストが言葉をつむぐ。


「ゼーランディア、ガドルヴロワ、ここに私がいるのを忘れているのですか」


 ビュルクヴィストの言葉とはいえ、にわかには信じられない。簡単にどうこうできるものではない。


 そもそも、外部からの攻撃を無効化すると言ったのは彼なのだ。いくら最強の魔術師の一人とはいえ、凝縮された魔力結晶をくだくのは不可能だろう。


「分かっていますよ。さすがの私でも、ここまで魔力結晶化された氷像は破壊できません」


 一呼吸置いたビュルクヴィストが不敵ふてきみを浮かべている。


 ゼーランディアとガドルヴロワ、さらにはエランセージュまでも加わって、また始まった、と言わんばかりに胡散臭うさんくさげな目を向けてくる。


 大きなため息をついて、ビュルクヴィストが続ける。


「全く、貴方たちは私を何だと思っているのでしょうね」


 三者三様で突っ込みたいところを我慢する。有無を言わさず、ビュルクヴィストが右手に持つ錫杖しゃくじょうかかげたからだ。


「秘宝時空の王笏ゼペテポーラスには神のごとき力が秘められています。今から用いる力は、その副次的なものにすぎません」


 時空の王笏ゼペテポーラスの先端、八つの立て爪に固定された宝玉が一際ひときわ強く輝き、根元色パラセヌエきらめきを周囲に散開させていく。


ときかえる。万物ばんぶつ、根元の姿を取り戻さんがために。るべきもの、在るべきところへ」


 朗々ろうろううたうビュルクヴィストにこたえ、根元色パラセヌエを構成する八つの色が魔力結晶と化した双六角錐の氷像を柔らかく包み込んでいく。


 ビュルクヴィスト自身が外部から破壊不可能だと断言した。その氷像がまたたく間に小さくなっていく。音もなく、ただただ氷が失せていく。氷を結晶化していた濃密な魔力もまた霧散むさんしていく。


 それぞれが在るべき場所へとかえるのだ。氷は水と水蒸気に状態を変え、魔力はそれをもたらした者へ還元かんげんされていく。


 根元色パラセヌエとは、完璧なる調和をもたらす象徴だ。その力に触れられたが最後、主物質界のありとあらゆる物質が本来の在るべき、最も自然な姿へと還る。いかなる手段をもってしても、これをさまたげることはできない。


(レスティー殿はゼーランディアとガドルヴロワだけでなく、目の前にいるこの者との邂逅かいこうまで見越しておられた。いえ、むしろ、そうさせたと言った方が正しいのかもしれませんね)


 根元色パラセヌエがゆっくりと八つの立て爪の中へと消えていく。


 苦笑するしかないビュルクヴィストの眼前には、双六角錐の純粋な魔力結晶が浮かび上がっている。分厚ぶあつく凝縮した魔力は全てぎ取られている。完璧なまでの無色透明、内部までみきっている。


「ようやくだ。ようやく、このときむかえた」


 ガドルヴロワが姉ゼーランディアの手を強く握る。彼女もまた弟の手を握り返す。二人の願いがここに成就じょうじゅされようとしている。


 根元色パラセヌエによって霧散した魔力は、魔力所有者に還る。すなわち、双六角錐の魔力結晶内に封じられた者の中へだ。


「ビュルクヴィスト様、ここから先は私たち姉弟に任せていただけるのでしょうね」


 ゼーランディアの問いに、ビュルクヴィストは魔力結晶内で瞳を閉じたままの者を見つめながら言葉を返す。


「もちろんです。もちろんですが、その前に少しだけこの者、モレイネーメと話をさせてください」


 双六角錐の魔力結晶に近づいていく。モレイネーメは固く瞳を閉じたまま、微動びどうだにしない。


 死んではいない。生きているとも言いがたい。確かに、魔力は体内を循環している。一方で血液は循環していない。それでいて当時の若さ、力をそのまま維持している。


(いったいどういうことです。鼓動が返ってこない。これは、まさか)


 ビュルクヴィストは急ぎ、時空の王笏ゼペテポーラスを持つ手とは逆の左手で魔力結晶に触れた。


 刹那せつな、魔力結晶がきらめきをき散らしながら粒子りゅうしへと還っていく。粒子はその全てが魔力のみなもと、必然的に所有者たるモレイネーメの身体に吸い込まれていく。


 膨大な魔力で羽毛のごとく包まれたモレイネーメは、なおも宙に浮かんだままだ。その瞳がゆっくりと開いていく。


 誰もが見守る中、モレイネーメの身体が静かに降下を始める。両の足が凍土に着く。わずかに身体がらぐ。


 揺らぎは魔力が不安定な証拠だ。前後に幾度か揺れるうちに、その幅も小さくなっていく。魔力という名のころもが安定しつつあるからだ。


 瞳が完全に開き、目の前に立つ者たちを不思議そうにながめている。焦点しょうてんがまだ合っていないのか、しきりにまばたきを繰り返している。


「あらあら、これは、これは、珍客ちんきゃく来訪ね」


 まずは、ゼーランディア、その横に立つガドルヴロワに目を向ける。


「死にぞこないが二人、さぞ私を殺したいでしょうね」


 ゼーランディアとガドルヴロワの全身が先ほど以上に殺気に満ちあふれている。殺気に当てられながらも、モレイネーメは平然と受け流している。


 視線が次なる者に移動する。


「かつての師ビュルクヴィスト様、お久しぶりです。いえ、もはや師弟でも何でもない。ビュルクヴィスト、お前も私を始末しにきた口かしらね」


 妖艶ようえんみを浮かべながらモレイネーメがくちびるめる。


 最後にその視線を向けるのはエランセージュだ。


「ところで、あれからどれぐらいったのかしら。教えてくれる。そこの可愛いお嬢さん」

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