第307話:モレイネーメの真意とは

 問われたエランセージュは言葉を失い、呆然ぼうぜんとしている。


「あ、貴女は、あの時の」


 かろうじて口をついて出た。それだけだ。


 一瞥いちべつしただけで視線を切っていたモレイネーメが、再び視線を向けてくる。今度はじっくりとエランセージュを見つめ直す。


(この娘、どこかで。まさか、あの時の娘、なの)


 エランセージュは自分の心臓に右手を置いて、言葉をつむぐ。


「『いいかい、エランセージュ。魔術はね、自分のここにある魔力を燃やして使うんだ』。貴女が私にかけてくれた言葉です」


 確信めいたものを持っていたビュルクヴィスト、意外な展開に戸惑とまどいを隠せないゼーランディアとガドルヴロワ、三人の目もまたエランセージュに注がれている。


「そう、君はやはり」


 確かに自分の言葉だ。モレイネーメは当時を思い出していた。


 死に場所を求めて彷徨さまよった挙げ句、ようやく辿たどり着いたのがエランセージュたちの住まう小さな村だった。


 魔術師さえ近寄らない極寒の地で、老若男女問わず、多くの者が病に倒れ、命を失っていた。誰がどう見ても、惨状さんじょう以外の何ものでもない。


 全てが不足している。食料は乏しく栄養が行き届いていない。暖を取るものも少ない。本来であれば、森林の樹木を伐採ばっさいまきにして大量に燃やせばそれなりの暖は取れるはずだ。それができないのは、極寒ゆえに火の活性化が望めないからだ。


 質素な小屋に案内されたモレイネーメは衝撃を受けるしかなかった。人々から生気せいきが一切感じられない。ひたすらえる生活、これでは生きているのか死んでいるのか分からないほどだ。


 モレイネーメにできることなど、たかが知れている。病に倒れた全ての者をいやすなど到底不可能だ。選別するしかない。生き残る可能性がより高い者、それは若い者、何より未来ある子供たちを優先する。


 伝説とも言われる究極の治癒魔術さえあれば。思ったところで、ないものねだりでしかない。


 モレイネーメはここが死に場所だとさとった。これはある種の罪滅つみほろぼしでもある。魔術師としての、そして人としての生を終えるため、持てる全ての力を出し尽くす。


 モレイネーメは生きる力を取り戻したかのごとく、精力的に村中を回って、苦しむ者たちに治癒魔術を施していった。何日もかけて、全ての者を癒していく。


 優先すべき者は回復のための、それ以外の者は苦痛を和らげるための魔術だ。モレイネーメにとっても、苦渋くじゅうの決断だった。


 村の者たちからすれば、まさしく奇跡でしかない。モレイネーメが手をかざし、聞いたこともない言霊ことだまとなえる。


 温かく柔らかな光が身体を包み、やがて苦しみがうそのように消えていく。それを奇跡と言わずして何と言うのか。


(あの時、ずっと私について回っていた子供たちが何人かいたわね。中でも、とりわけ目を引いた、瑠璃るりの髪と瞳を持つ可愛らしい少女、その面影おもかげが確かに)


「君の名前は覚えていなかったけど。その瑠璃の髪と瞳は忘れていないわ。君は魔術師になったのね」


 モレイネーメの言葉にはいつくしみがめられている。見つめてくる瞳も、先ほどに比べると随分と優しい。


「私は、私は貴女にあこがれて、魔術師を目指しました。その貴女がどうして」


 さびしげな表情を一瞬浮かべたモレイネーメが語り始める。


「どうして、こんな残酷なことを、かしら。君には理解できないわ」


 どうして断言してしまうのか。聞いてみないと分からないではないか。エランセージュには理解しがたい。エランセージュの顔には、到底納得できないと書いてある。モレイネーメがわずかな苦笑と共に言葉をかける。


「そうね、そこにいるビュルクヴィストにでも聞いてみたら」


 エランセージュの視線がビュルクヴィストに向けられる。ゼーランディアとガドルヴロワも同様だ。


 二人はビュルクヴィストがモレイネーメのかつての師だったことは知っている。ただそれだけだ。なぜ師弟関係が壊れたのか、その後にモレイネーメがあのような事件を起こしたのか、主要因を知らないのだ。


「私が語るのは一向に構いません。その前に、モレイネーメ、まず貴女が語るべきことがあるでしょう」


 かつての師弟だった二人の間では既に火花が散っている。エランセージュから見ても、この二人の力量差は歴然としている。にもかかわらず、モレイネーメからは得体えたいの知れない何かが感じられてならない。


(何でしょう、これは。いやな予感がします)


 エランセージュは右手首にはめた瑠璃涼氷麗満輪フロレジュリエを無意識のうちに左手で握っている。


 るべき者が視れば分かる。エランセージュの身体からは膨大な魔力があふれ出している。


(そう、あの時にほどこした扉の鍵をけたのね。一人で、いえ、違うわね)


「エランセージュだったわね。君はビュルクヴィストの弟子なのかしら」


 首を横に振る。否定の意味だ。


「弟子ではありません。一時的に魔術の手解てほどきをしていただきました」


 エランセージュへの興味が高まっている。自力でないとはいえ、自身が施した一種の封印をき、今やモレイネーメをも上回る魔力を保持している。少しだけ、いじりたくなってきた。


「ビュルクヴィストにも言われたけど、君には謝罪しておかないとね。君の心の中に鍵をかけたのは私よ」


 驚愕の事実だ。


 おさなかった頃、身体から溢れる魔力を制御できず、何度となく暴走状態におちいった。それを克服するため、エランセージュは村にあった小さな図書館にかよめ、魔術に関する書物を片っぱしから読みあさった。


 こんな辺境の村に、どうしてここまで魔術書が豊富にそろっているかなど、当時のエランセージュには関係のない話だった。


 エランセージュは夢中になり、暇さえあれば図書館に閉じこもって魔術書にかじりついた。何度も何度も精読せいどくするうちに全ての内容を記憶してしまうほどだった。


「君は私と出逢であったあの時、魔術制御を知っていたわね。そして、自らの魔力に封印を施しもしていた。でもね、十分ではなかったの」


 色白のエランセージュの顔がさらに蒼白そうはくになっていく。モレイネーメの言わんとすることが即座に理解できたからだ。


「だから、上乗せする形で強固な封印を施したの。あのまま放置していれば、君は一年以内に確実に命を落としていたでしょうから」


 散らすにはあまりにしい才能だ。エランセージュには、そこまでの秘められた力がある。彼女が正しい魔術の道に進んでくれれば、この先で苦しむ人が少なくなるに違いない。


 エランセージュはモレイネーメがかけてくれた核となる言葉を思い出していた。


「『魔力は誰にでもあるけど、魔術は誰にでも使えるものじゃない。強い想い、強い心を持つ正しき者だけが使えるんだ』。貴女の言葉は、今も私の心にみ渡っています」


(どうやら、この子は正しい道を真っすぐに進んでくれたようね。私の封印は無意味ではなかった。安心したわ)


えらそうなことを言ったのね。その私は、道をみ誤った。師でもあったビュルクヴィストに破門されたのはそのためよ」


 沈痛な面持おももちのビュルクヴィストにモレイネーメが視線を移す。ビュルクヴィストへの言葉はない。視線がゼーランディアとガドルヴロワ姉弟に向かう。


「ここに辿たどり着くまで、随分と時間がかかったわね。退屈たいくつで仕方がなかったわ」


 何故なにゆえに神経を逆撫さかなでるようなことをあえて言うのだろう。エランセージュにはモレイネーメが悪人には見えない。一方で、モレイネーメとこの姉弟との間に何があったのか知らないのも事実だ。


 迂闊な発言もできない。肝心のビュルクヴィストもだんまりを決め込んだままだ。もどかしさばかりがつのっていく。


「モレイネーメ、これだけは教えろ。なぜ私たち姉弟を裏切った。なぜ私たちを殺した」


 妖艶ようえんみの中に残忍さが浮かび上がる。モレイネーメはガドルヴロワの問いには答えず、逆に質問で返す。


「ガドルヴロワ、相変あいかわらず威勢だけはよいのね。私が答える前に、お前が答えなさい。お前たち姉弟はあの時、何をしていたのかしらね」


 モレイネーメと姉弟のにらみ合いが続く。答えたのはゼーランディアだ。


「モレイネーメ、貴女はご存じでしょう。私たち姉弟は領主の依頼を受け、とある貴族の護衛にいていました。極秘任務ということで私たちがやとわれたのです」


 小さくうなづく。ゼーランディアの言ったとおりだ。


「その護衛途上で襲撃を受けたのよね。極秘任務だったのでしょう。なぜかしら」


 なぜと問われても答えられるわけがない。その答えを求め続けているのだから。


「そもそも、領主から直接依頼がお前たちに来るなど、おかしいとは思わなかったの」


 二人ともにモレイネーメが何を言いたのか全く分からない。話についていけなくなりつつある。


「とある貴族、それは誰なのかしら。お前たちほどの実力者が護衛すべきほどの人物だったのかしら。それとも」


 ますます困惑する姉弟を放置気味に、モレイネーメがさらなる追い打ちをかけた。

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