第305話:セルアシェルを想う二人の気持ち

 いったん言葉を切って、今度はディリニッツに問いかける。


「それで問題ないわよね。早い方がよいわ。発動して」


 完全にヴェレージャ主導で物事ものごとが進んでいる。いつしかミリーティエも巻き込まれてしまっている。


 ディリニッツは慣れているのか、それともあきらめているのか、セルアシェルを抱いたまま深いため息をついている。


「ミリーティエ殿、よろしいでしょうか」


 ディリニッツがいかにも申し訳なさそうな表情で承諾しょうだくを求めてくる。笑ってはいけない。そう思いつつ、ミリーティエはたまらずみをこぼしてしまう。


「ええ、構いませんよ」


(ゼンディニア王国が誇る十二将は女上位といったところでしょうか)


 初めてザガルドアたちとあいまみえた際にも感じたことだ。あの場にいたフィリエルスもヴェレージャ同様、異彩いさいを放っていた。彼女の内面からのじみ出す全てがミリーティエの心をとらえるには十分すぎた。


 ザガルドアとイプセミッシュ、二人の中に入っても違和感なく、むしろ気心の知れた友人のごとく振る舞う彼女を見ながら、強い、そしてうらやましいと感じたものだ。


「ミリーティエ殿、そこを動かないでください」


 ディリニッツの操影術そうえいじゅつが二度目の発動をむかえる。影にもぐるのではない。彼を中心にして、影が天幕てんまくのごとく、半球上にり上がり、おおい尽くしていく。


「これで外部からのぞき見られる心配はないわね。すぐに始めましょう。ミリーティエ殿もご協力を」


 セルアシェルを背にする形でヴェレージャがその場に座り込む。


「お、おい、本当にがせるのか」


 何を今さらといったあきられ顔でヴェレージャが念押ししてくる。


「当然でしょう。不都合でもあると言うの」


 さも面倒そうに言葉を返す。ディリニッツは明らかにしりごみ状態だ。


「い、いや、私は男だぞ。セルアシェルの肌を見るのは」


 途中で強引にさえぎる。


「ああ、もううるさいわね。だったら、こうしてあげるわ」


 ヴェレージャは右手を軽く真横に走らせる。いつのまに準備していたのか。指先に異様なまでの魔力を凝縮、ディリニッツに向けてすかさずき放つ。


「大気をあやつる精霊魔術ですか」


 興味深そうにミリーティエが問うてくる。彼女には、セルアシェルの服を脱がせること以上に、ヴェレージャの行使した魔術の方が圧倒的に気になっているのだ。これもまた高位魔術師としてのさがだろう。


「ええ、風の精霊です。ディリニッツが鬱陶うっとうしいので視界を封じました。ええ、完全に」


 風が渦状うずじょうとなってディリニッツの目を覆い隠している。直接触れているわけではない。風の渦はえず動き続けながら、ディリニッツの視線に応じて自在に動き回る。


 事もなげに言い放ったヴェレージャにミリーティエも追随ついずいする。


賢明けいめいです。どうも男という生き物は、肝心な時に限ってですね」


 いきなりミリーティエが語り始めたので、ヴェレージャはあっさり無視することに決めた。命の恩人たる賢者の扱いがこれでよいのかと思えるほどだ。


 散々さんざんな言われようのディリニッツはすっかりあきらめ模様で、先ほどからため息を連発している。


「ミリーティエ殿、早く手伝ってください。お話はまた後ほどということで」


 ヴェレージャは早速とばかりにセルアシェルの服を脱がしにかかっている。まずは上着からだ。


 よろいを着こんでいなくてさいわいだ。頑丈がんじょうな鎧ほど着脱が面倒になる。そのうえ、凍結などしようものなら、さらに難しくなる。


 胸元むなもとを締めている紐状ひもじょうになった布地ごと、風でり裂く。丁寧にやるだけ無駄ということもある。何しろ、布地の一部にいまだ氷が付着、結び目をくことが困難なのだ。


 楽しそうに見えて、実はそうではない。あせりの色が見え隠れしている。手間取れば手間取るほど、セルアシェルの回復が遅くなる。ミリーティエにもそれが伝わったのだろう。


(実の姉妹よりも姉妹らしく見えますね)


 二人がかりだと作業もはかどる。かくして、セルアシェルの上着は手際よく全て脱がされた。


(私は生殺なまごろしか。衣擦きぬずれの音が何とも。いや、ここは煩悩退散ぼんのうたいさんあるのみ)


 早くしてくれと切に願うディリニッツをよそに、ヴェレージャもミリーティエも思わず見惚みとれている。


「美しく、それでいて柔軟性に富んだ見事な肌ですね。セルアシェル殿は素晴らしい魅力をお持ちのようです」


 ミリーティエは無論のこと、下着姿のセルアシェルを見るのはヴェレージャも初めてだ。


「これはこれは。セルアシェルもすみに置けないわね」


 言いながら、セルアシェルの身体をディリニッツに押しつける。


「ちょっと、ディリニッツ、力がゆるんでいるわよ。しっかりと抱き締めなさいよ」


 視界をふさがれているディリニッツには、ヴェレージャがどのような表情をしているか全く分からない。


「ほら、ほら。もっとよ」


 完全に面白がっている。


 セルアシェルの気持ちを知っているヴェレージャは、余計なお世話だと思いながらも、放っておけないのだ。


「おい、ヴェレージャ、それは私に対するいやがらせか。そうだな。そうに違いない」


 押しつけられているせいか、セルアシェルの肌の密着度合いが半端はんぱない。確かにこれだとあたためる効果も高まるだろう。ディリニッツにとっては、それ以前の問題だった。


「嫌だわ。いったい何を言っているのかしら。人聞きが悪いわね」


 視覚を閉ざされたディリニッツの脳内には、まさに今、腰に手を当てて高笑いするヴェレージャの姿が映し出されている。


(まあ、よいか。今はお前にいじられておいてやる。可愛いセルアシェルのためにもな。だがな、この借りは必ず返すからな。覚えていろよ)


 決して声に出さないディリニッツだった。ミリーティエは完全に第三者の立場から、二人のやり取りを楽しげにながめている。


(これでセルアシェル殿も安心ですね。よかったですね、ディリニッツ殿。本来なら貴男も)


 さすがにそれこそ無理というものだ。ミリーティエは頭の片隅をよぎった考えを即座に打ち消す。それで終わらせないのがヴェレージャなのだ。最後の最後に特大の爆弾を落としていく。


「ディリニッツ、貴男も服を脱いだらどうかしら。それが最も効率的な温め方なのよ。どう、やってみる」


 ディリニッツの大絶叫が影の天幕内に響き渡ったのは言うまでもないだろう。


「私とミリーティエ殿は先に出ているわ。皆を待たせているしね」


 早々に厄介払やっかいばらいしたいのか、ディリニッツが面倒そうに、向こうに行けとばかりに手を振る。


「ああ、そうそう、セルアシェルに変なことしては駄目よ」


 去り際のヴェレージャが置き土産みやげだ。ミリーティエは悪いと思いつつ、笑いをかみ殺している。


「誰がするか。お前は私を何だと思っているんだ。もうよい。早く行け」


 天幕を出る寸前、ヴェレージャが立ち止まり、振り返る。


「ディリニッツ」


 まだいたのかといった表情のディリニッツが気配のする方向に半目を向ける。未だ視界は塞がれているものの、ヴェレージャの表情が一転して真剣そのものだということぐらい分かる。伊達に長いつき合いではないのだ。


「セルアシェルをお願いね。必ず元どおりに戻して。絶対によ」


 頭を下げてくるヴェレージャの真摯しんしな行動には、さすがのディリニッツも意表を突かれた。


(あれほど茶化してきたにもかかわらず、いきなりのこれか。全く女という生き物はよく分からないな)


 セルアシェルとヴェレージャが団を越えて仲がよいのは知っている。


 純血主義のエルフ属は、肌の色の違いや半エルフを差別しがちだ。高名な魔術師家系に生まれながらも、ヴェレージャにはそういったところが一切見受けられない。


(だからこそ、セルアシェルもあれほどになついているのだろう。不思議な女だ)


「当然だ。言われるまでもない。これは俺の責務だ」


 頭を上げたヴェレージャが小さなため息をついている。この男、本当に駄目だ、といった失望しきりの表情を浮かべながら、ディリニッツを見つめる。


「はあ、ディリニッツ、あとで説教決定ね。セルアシェルをよく見ること。言っている意味、分かるわね」


 遠回しな表現ではきっと通じない。そうは思うものの、これ以上は踏み込んではいけない。あまりに危険だ。


 今でも喉元のどもとまで言葉が出かかっている。決して他者の口から告げるようなことではない。ヴェレージャも重々じゅうじゅうに理解しているのだ。


「おい、なぜ説教なんだ」


 ヴェレージャは答えない。ミリーティエも黙って見守るだけだ。


 手を軽く振る。今度は左手だった。ディリニッツの視界をさえぎっていた風のうずが大気へとかえる。風の精霊が自身の住むべき界に還っていったのだ。


「全く何なんだ。私には理解できないことだらけだ」


 不満たっぷりになげくディリニッツに、二人は一切の反応を返さず、そのまま闇の天幕を出ていく。


 急に視界が戻ってきたディリニッツは大慌てで操影術そうえいじゅつを発動する。いくら密着状態とはいえ、セルアシェルのき通るような肌は直視できないほどに美しい。


 雑に創り上げた闇衣やみごろもをもって、き出しになったセルアシェルの肌を覆っていく。雑と言ったのは、本来の用途とは異なるからだ。


「無茶をしすぎだ、セルアシェル。本当によく頑張ったな」


 先ほどまでこおりついていた茶褐色の長い髪が、温められたことでつややかなれ髪になっている。髪色はエルフ属としては珍しい。もう一つの血、ヒューマン属の色が強く出ているのだろう。


 ディリニッツは指で優しくきながら、セルアシェルと初めて出会った時のことを思い出していた。


「お前と出会って百有余年ゆうよねんだ。私が思った以上に、しっかり成長しているのだな」


 セルアシェルの鼓動が肌を通して伝わってくる。脈打みゃくうちは正常だ。ディリニッツは安堵あんどしつつ、体温を外に逃がさないよう闇衣をあつくしていく。


「だ、団長」


 わずかばかり言葉を発せられる程度にまで回復したか。セルアシェルはかろうじて、それだけを口にした。


 瞳は閉じたままだ。ふるえる手をどうにか動かして、ディリニッツのそれに重ねてくる。


 闇衣をもって、冷たいままのセルアシェルの手の甲を包む。


「今は無理をするな。ゆっくり休め」


 セルアシェルの手の力が少しずつ強まっている。


「もう、少し、この、まま、で」


 髪を梳いていた手をいったん離し、そのままセルアシェルの手を握り締める。


「ああ、お前が回復するまでここにいる。そばにいる」


 まだ表情がうまく作れない。


 セルアシェルはぎこちなさの残るみを何とか浮かべ、ディリニッツのぬくもりに包まれる中、眠りの中にいざわれていった。


 その表情は穏やかで、幸せそうに見えたのは錯覚だっただろうか。

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