第029話:十二将序列三位ヴェレージャ

 パレデュカルはラナージットの回復具合を慎重に確かめていた。


 意識を取り戻して以来、この四日間でようやく半身を起こせるぐらいにまで回復していた。それでも、寝たきり状態から何とか脱したという段階に過ぎない。


 いまだに自力で起き上がって、立つことはできないのだ。


 あと数日の辛抱だろう。パレデュカルはそう判断していた。


 心臓の真上の傷以外は平癒している。見かけだけなら健常者と何ら変わりはない。


 心に負った傷は簡単なものではなかった。もしかしたら、一生えない傷となって残るかもしれない。それを考えると、パレデュカルはひどく胸が痛んだ。


「無理はするな、ラナージット。ゆっくり時間をかければいい」


 パレデュカルの声に反応して、ラナージットはわずかな笑みを見せる。まだ一度も口を開いていない。


 これでも進歩したのだ。最初の二日間は、パレデュカルの声にさえ反応しなかったのだ。


 彼がる限り、喉はもちろん、声帯にも異常はない。声を出そうと思えば、出せる状態になっている。考えられるのは心的要因しかなかった。当然と言えば当然だろう。


 パレデュカルは、カルネディオを壊滅させたことにいささかの後悔もいだいていない。もっと早くラナージットを見つけ出し、救出できていれば、少しは今の状況も変わっていたかもしれない。それは結果論だ。


 さすがに、パレデュカルの力をもってしても、堅牢けんろうな城を根こそぎ消滅させるなど不可能だ。だからこそ念入りな準備が必要だった。


 予想以上に時間がかかってしまった。ラナージットを見つけた時には、彼女の心は壊れてしまっていたのだ。


 ラナージットに拷問を与え続けた男は、この世の地獄以上の苦しみを与えて業火の中に葬った。生きたまま捕らえ、ラディック王国の法のもとに裁くなどという考えは、もとよりなかった。


 彼女以外の七人の女奴隷たちも、犠牲にするには忍びなかった。だからこそ、残った魔力の全てを使って、最も近い教会の前に魔術転移させた。


 救出だけして放置は無責任とは思った。彼女たち七人の面倒までは見切れない。教会ならば、最低限何とかしてくれるだろう。その思いからだった。


(済まない、トゥルデューロ。お前の娘を連れ帰るのは、まだ少し先になりそうだ)


 思案しているところに、扉を叩く音が聞こえてきた。朗報があるとイプセミッシュから呼ばれていたのだ。恐らくは迎えの者がやって来たのだろう。


 パレデュカルは外の様子を慎重にうかがった。


(二人だな。一人は十二将か。もう一人はいつもの治癒師、いや、違う。何だ、このいびつな魔力は)


「女だけ入れ。もう一人のお前は駄目だ」


 扉の外で何やらやり取りをしている。しばらくして、パレデュカルの言に従って、女が一人だけ扉を静かに開けて入ってきた。


「お初にお目にかかります。私は十二将序列三位ヴェレージャ、水騎兵団団長を務めております。以後、お見知りおきを」


 見惚みとれるほどに、均整の取れた美しい女性だ。腰まで伸びた紺青こんじょう色の髪はつややかで、同色のやや切れ長の瞳が冷淡さを感じさせる。


 丁寧ていねいな挨拶の後、ヴェレージャが一歩踏み出した。それは何もないところで突然起こった。


 いきなりつまづいたのだ。


 躓くような要素が何一つない平面の床だ。ヴェレージャはなかば腰砕け状態になっている。しまった、という表情をひた隠しにしつつ、まるで何事もなかったかのように体勢を立て直そうとしている。


 彼女の美しさを前に、見惚れていたパレデュカルはその動作を見て思いを改めた。


(ふむ、何とも勿体もったいない。美人台無しとは、この女のことを言うのだろうな)


 さも、何も起きなかった、という態度を前面に押し出しつつ振る舞っているヴェレージャの顔は、もちろん赤面状態だ。美しさの中の愛らしさとても言うべきか。それが何とも可愛らしく見えた。


「今、心の中で笑いましたね。ええ、間違いありません。笑いましたよね」


 表情を一切変えず、至って冷静な口調が、思いのほか笑いを誘ってくる。悪いとは思いつつ、パレデュカルは耐え切れずに笑ってしまった。


「済まない。笑うつもりはなかったのだ。あまりに見かけの印象とかけ離れていたものでな。気を悪くしたなら謝る。このとおりだ」


 素直に頭を下げてくるパレデュカルに対して、ヴェレージャは慌ててしまった。


「いえ、こちらこそ申し訳ございません。謝罪を求めるつもりはなかったのです。どうぞ、頭を上げてください」

「そうか。では遠慮なくそうさせてもらおう」


 こちらを凝視してくるヴェレージャに戸惑いを覚えつつ、パレデュカルが続ける。


「俺の顔に何かついているか」

「失礼いたしました。初対面で、ここまで私と言葉を交わせる方がいるとは思いもよりませんでした。貴男がおっしゃったように、私の見かけが悪いからなのでしょう。多くの者が私をけるのです」


 明らかにヴェレージャの発言はおかしい。見かけが悪いはずなど全くないのだから。


「ちょっと待て。今の言葉はおかしいぞ。俺は見かけが悪いなど、一言も口にしていない。正しくは、見かけの印象とかけ離れている、だ」

「何が違うのでしょう。同じことではありませんか」


 真顔で聞いてくるヴェレージャにあきれてしまうパレデュカルだった。


(どういう劣等感の持ち主なんだ。同族として、これは看過できないな)


 ヴェレージャはエルフ、それも純エルフなのだ。


 パレデュカルのかつての故郷シュリシェヒリの者ではない。紺青の瞳と髪を持つエルフはいないし、彼女に見覚えもない。そうなると残るは二つ、フィヌソワロかタトゥイオド、いずれかの出身になる。


「念のために聞いておきたい。見かけが悪いと思っているようだが、それはどういう意味合いなのだ」


 まさかとは思う。だからこそ念のために聞いてみたのだ。


「文字どおりです。私の容姿などフィリエルス、ソミュエラ、エランセージュ、トゥウェルテナ、セルアシェルに比べれば、まさに下の下です。容姿の悪い女を相手に、殿方はどのような酔狂すいきょうで積極的に話をしたいと思うでしょうか」


 ヴェレージャは五人の名前を列挙した。


 パレデュカルはソミュエラしか知らない。イプセミッシュからは十二将の構成は男女同数と聞かされている。恐らく他の四人も十二将に違いない。


 ソミュエラとは一度しか会っていない。思い出す限り、確かにかなりの美形だ。ヴェレージャとは全く印象が異なるものの、匹敵するぐらいの美しさだと迷わず断言できる。


「俺はソミュエラしか知らない。そのうえで、贔屓目ひいきめなしに見て、二人に遜色そんしょくはない。好みの問題はさておき、お前は文句なしに美しい。可愛らしい面もあるしな。容姿などで劣等感をいだく必要など全くない。俺はそう思うがな」


 なぜか、ヴェレージャが固まっている。両手でほおを押さえながら、何やらつぶやいている。


「私が世界一美しいとか、世界一可愛いとか。そんなはずはありません。きっと冗談ですね。私をなぐさめるための冗談に違いないのです。ええ、そうです、きっとそうに決まっています。だって、私が世界一美しいとか、世界一可愛いとか」


(いや、誰も世界一とは言っていないんだが。そして、二回もそれを言うのか)


 身体をくねらせながら、ますます駄目だめな女になりつつある。


「おい、ヴェレージャ」

「駄目です。私が世界一美しいとか、世界一可愛いとか、そんな甘い言葉で誘惑しようとしても。私にはれっきとした許嫁いいなずけがいるのです。貴男からの求愛を受けるわけにはいきません」


 勝手に暴走を始めているヴェレージャを慌てて引き戻す。


「ちょっと待て。誰が求愛だ。そして世界一、もう三回目だぞ。それよりもお前、俺に何か用事があって来たのではないのか」


 パレデュカルはどっと疲れた。この短時間のうちに、ラナージットの看病以上に疲れた。


 まさか、ここまでとは。ヴェレージャ、恐るべしだ。様々な意味で、この女には容易に近づいてはならないなと素直に思うパレデュカルだった。


 突然、真顔に戻ったヴェレージャが即座に頭を下げてくる。


「私としたことが、大変申し訳ございません。陛下からの言伝を届けに来たのでした」


 パレデュカルも真顔に戻る。


「今宵、月明かりが消えた頃、玉座の間までご足労いただきたい、とのことです」

「承知した、とイプセミッシュに伝えておいてくれ」

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