第030話:魔操人形
これで終わりだろうと思った。なぜかヴェレージャは動かない。
「他にもあるのか。その前に、外にいるもう一人、と言ってよいのか。あれは、いったい何だ」
ヴェレージャの態度に疑問を覚えつつ、パレデュカルはもう一つの疑問を先に口にした。
「私が水系魔術で創り上げた
パレデュカルの目の色が変わった。感謝の気持ちもあるが、それ以上に警戒心からだった。
「ご存じかもしれませんが、私はフィヌソワロの出身です。貴男とは異なる一属ですが、貴男のことは小さい頃から噂で聞いていました。エルフの里での貴男の名前も存じています」
ヴェレージャにしても不思議な感覚だった。パレデュカルが優れた魔術師だということに疑いの余地はない。それでいてどこか不安定な面がある。ヴェレージャは、彼の心の奥底に魔術師らしからぬ感情の揺れを感じ取っていた。
「貴男は本当に戦いに
ヴェレージャが言い終える前に、パレデュカルが
「これは俺自身が決めたことだ。誰にも口出しはさせないし、邪魔もさせない。戦えば、今は俺の方が強いだろう。とはいえ、勝敗は時の運だ」
「そうですか。出過ぎたことを申しました。謝罪いたします」
ヴェレージャは何か言いかけようとした。考えを変えたのか、そのまま口を
「気にするな。ところで、フィヌソワロには、お前のように里を出た後、異属との暮らしに溶け込んでいる者が多いのか」
パレデュカルも少し強く言い過ぎたと感じたのか、話題を変え、やや穏やかな口調に戻す。
「多いと思いますよ。フィヌソワロは積極的に異属との交流を推進しています。
一瞬、遠くを見る目つきになったパレデュカルだった。ヴェレージャにも伝わったのだろう。
「俺のいたシュリシェヒリとは正反対だったな。どちらにも良し悪しはあるだろう。外に出なければ、決して分からないこともある」
「後悔はしていないのですね」
即答だ。一切の迷いも感じられない。
「もちろんだ。二度と里に戻るつもりはない。俺の死に場所は、ここだと決めている」
パレデュカルの強い意志は、ヴェレージャにとって
「ヴェレージャ、お前のような者に出会えてよかった。あの娘を頼みたい」
ヴェレージャは、パレデュカルからラナージットへと視線を移す。両手で身体をかき
(これは恐怖心ですか。
視線を戻したヴェレージャが問いかける。
「私を信用してもよろしいのですか。貴男を裏切るかもしれませんよ。私は十二将の一人なのですから」
承知していると言わんばかりの表情でパレデュカルが答える。
「俺は誰も信用していない。だが、エルフの一人としてあの娘に
ここまで言われるとは思っていなかった。ヴェレージャが言葉に詰まる。
やって来た目的がもう一つあった。イプセミッシュから、言伝と共に別の命令も受けてきている。だからこそ
「身辺警護は貴男の結界で十分です。治癒魔術だけは
迷いながらも、ヴェレージャはパレデュカルに
イプセミッシュから、その命令が自分に下された時、非情になり切れるだろうか。自問しても答えは出ない。ヴェレージャの表情がそれを
「感謝する」
礼を述べるパレデュカルは、ヴェレージャの葛藤にもちろん気づいていた。
「独り言だと思って聞いてくれ。命令にただ従って生きるのは簡単だ。その生き方に満足しているならば、俺の話は終わりだ。だが、俺は
人は誰しもが、己の信念を持って生きているはずなのだ。その信念は様々なしがらみの中で、どのように変化していくかは誰にも分からない。その典型例がパレデュカルでもある。
「受けた命令と己の信念、それを天秤にかけなければならない時が必ず来る。信念を曲げてまで従うべきものなのか。後悔のない決断をくだすため、妥協せずに
ヴェレージャは沈黙のまま、真剣な眼差しでパレデュカルを見つめている。
「説教じみたことを言ってしまったな。あくまで独り言だ。気に入らなければ流してくれ」
パレデュカルは葛藤しているヴェレージャの瞳の奥を
(少しは役に立ったか。葛藤の色が薄くなっているな)
「私の用事は終わりました。戻ります」
ここに来た時と同様、至って冷静な表情に戻っている。
「イプセミッシュによろしく伝えておいてくれ」
「貴男とは、いずれまたこうして話がしたいものです。次はもっとゆっくりと」
「いつでも歓迎する」
ほんの一瞬、笑みを見せたヴェレージャだった。その表情はどこか悲しげにも見えた。
そして、やはり最後にやらかすのは、彼女の本質なのか。自分では開けたつもりだったのだろう。実際には開いていない扉に、そのまま突っ込むのだった。
「痛っ」
盛大に
目に涙をにじませたヴェレージャがひと
「ああ、済まない。本当に世話の焼ける娘のようだな。繰り返すが、美人が台無しだぞ」
パレデュカルは立ち上がると、おもむろにヴェレージャの額にそっと右手を添えた。ヴェレージャは抵抗することなく、されるがままだ。
「レーアーリ・フォルゼ・ラーミ」
短節詠唱による、ごく一般的な単純治癒魔術だ。もちろん、ヴェレージャにも扱えるだろう。ここはパレデュカルなりの気持ちといったところか。
「
魔術が即座に発動する。パレデュカルが右手を離した時には、ヴェレージャの額の
「笑ったことへの
「本当に、貴男という人は」
照れ臭かったのか、ヴェレージャは視線を外すと、今度こそ扉を開けて外に出ていった。待機させていた
「貴男の命に従うよう指示しておきました」
ヴェレージャの用事は全て終わった。
「今度こそ、戻ります」
続けるべき言葉はあった。言えなかった。きっとパレデュカルなら、言わずとも分かってくれているだろう。ヴェレージャはそう思うことにして、もと来た道を戻っていった。
ヴェレージャは、ここで言わなかったことを後々後悔することになる。それはまた別の話だ。
ヴェレージャを見送ったパレデュカルは、
まずは
さらに時間をかけて、念入りに視ていけば完全解析もできるだろう。そこまでの時間はなかった。
パレデュカルにはシュリシェヒリの者のみが持つ特殊能力がある。次はその能力をもって、
「当然だな。あの力は用いられていない。フィヌソワロ出身のヴェレージャでは視ることさえ
当然、遠隔操作もできると考えるべきだろう。となれば、その逆もまた可能だということだ。いつ正反対の指示に変わっても不思議ではない。
「ヴェレージャ、お前を信じたいと思う気持ちがある。一方で、お前は裏切るだろうと思う気持ちもある。だからこうしておく」
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