第031話:イプセミッシュの決断

 夜がけていく。既に三連月の姿は見られない。


 玉座の間では、二人の男が相対していた。イプセミッシュとパレデュカルだ。周囲には誰一人としていない。イプセミッシュを影から守るディリニッツさえも玉座の間への立ち入りを禁じられていた。


 まず口火を切ったのはイプセミッシュだ。


しかるべき準備が整った。宣戦布告の後、ラディック王国に打って出る」


 パレデュカルに驚きはない。遅かれ早かれ、イプセミッシュが動くことは分かっていた。


「俺に対する責務を果たしてくれるなら、好きにするがいい。覚悟はできているのだろうな。シャイロンド公会議の盟約を破るのだ。お前、いや、ゼンディニアそのものが悪だと自ら公言するようなものだぞ」


 イプセミッシュは沈黙をもって答えとした。


 パレデュカルにとって、イプセミッシュがどうなろうと知ったことではない。一度ひとたび戦乱となれば、多くの無辜むこの者たちが苦しみ、命を落とすことになる。その責任を取るべきは国王たるイプセミッシュだ。


 パレデュカルがいつだと目で問う。


「夜が明けると同時に宣戦布告を行う。初手を何としても勝ち取るため、貴様にも出てもらう。それゆえ、開戦場所をどこにするかを貴様と決めたい」

「お前たちが始める勝手な戦争だ。なぜ、俺が戦わねばならない」


 威嚇いかくの意も含め、パレデュカルは右手に魔力を凝縮していく。イプセミッシュにも視認できるように、あえて具現化してみせる。


「以前にも言ったとおりだ。俺に貴様と敵対する意思は毛頭ない。それを引っ込めてくれ。詳しく説明する」


 イプセミッシュの頭の切れはパレデュカルも認めている。この程度の威嚇で恐れを抱くなどあり得ない。彼はもっとすさまじい修羅場を何度もくぐり抜けてきているからだ。


 パレデュカルは右手に集わせた魔力を閉じた。行き場を失って、大気にこぼれたごく少量の魔力が跳ねる。イプセミッシュには見えなかった。


 本来、これだけの魔力で相手を害することができる。無論、パレデュカルは愚かな真似はしない。


「いいだろう。この場にはひそんでいる者も、また魔術による仕掛けもほどこされていない。お前を信じて話を聞こう」


 イプセミッシュの説明を聞き終えたパレデュカルがすかさず問い詰める。あきれと怒りが半々といった感情だ。


「俺と奴の戦いにかこつけて、開戦の口火にするとはよい度胸だな。お前は奴の力をなめているのか」


 冷酷無比、笑わない男と言われるイプセミッシュだ。さすがに若干の後ろめたさがあるのか、苦笑を浮かべている。


「貴様には悪いと思ったが、奴を引きずり出すにはこれが最良だと判断した。シャイロンド公会議をないがしろにするのだ。当然、ステルヴィアの連中が出てくる。忌々いまいましい調停裁定者クアラメディタとしてな」


 思いついたように、イプセミッシュがつけ加える。


「そうだ。もう一つある。部下の報告によれば、短期間のうちにラディックであの男の姿が二度も見かけられているそうだ。イオニアと何を話しかまでは分からぬがな」


 パレデュカルは思考を加速させた。イプセミッシュの説明に穴はないように思える。彼の思惑どおりなら、間違いなくステルヴィアはラディック王国側につく。そして、ステルヴィアを代表して出てくるのはあの男だろう。


 偶然の賜物たまものではある。パレデュカルがこれまでひた隠しにしてきた、真の目的を果たすための絶対二大条件がここに揃うことになる。


 この千載一遇せんざいいちぐうの機会を逃すわけにはいかない。


「これで貴様との約束も果たせる。なぜ、そこまで奴に、スフィーリアの賢者にこだわっているのかは知らぬがな。貴様なら奴に勝てるのだろう」


(さすがのイプセミッシュも感づいていないようだな。ならば、このまま進めておくか)


「負けるつもりはない。ヴェレージャにも言ったが、勝敗はあくまで時の運だ。万が一、俺が負けた場合、お前はどうするつもりだ」


 負けた時のことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。一瞬、思案顔になったイプセミッシュだった。


「ヴェレージャにも同じことを言ったのか。で、あの女は、何と答えた」

「何も。ただ、そうですか、と答えただけだ」


 会話の端々はしばしまで説明する必要はない。イプセミッシュも承知のうえだろう。


「貴様が負けたなら、そうだな。俺と十二将総がかりで倒すまでだ。貴様と戦った直後だ。奴も無傷では済まないだろうよ」

「随分と楽観だな」


 イプセミッシュの目の色が変わった。真剣そのものだ。


「絶対に勝て。そうすれば俺の目的成就が楽になる。頼んだぞ」


 これで終わりだとばかりにイプセミッシュは背を見せる。そのまま去っていく勢いだった。立ち止まる。しばし動かない。


 いぶかしく思ったパレデュカルがその背に問う。


「まだ何かあるのか」


 答えはない。


「ないなら、俺も戻るぞ」


 イプセミッシュの様子がいつもと違う。パレデュカルはあえて問い詰めることもせず、退出しようと背を向けた。


 互いに背を見せ合う恰好かっこうだ。歩き出そうとしたところで、ようやくイプセミッシュが重そうに口を開く。


「暗黒エルフよ、俺は間違っているのか。貴様に問いたい」


 その先の言葉を待った。何も出てこない。背を向けていたパレデュカルがきびすを返す。


(イプセミッシュ、迷っているのか)


 初めて見る、イプセミッシュの自信をいささか失った姿だった。


「お前らしくないな。俺もお前も、己の力だけを頼りにここまで生きてきた。他者の力を頼りにすることで迷いが生じたのなら、やめておくことだ。信じれば裏切られる。いやというほどに経験してきただろう」


 似た者同士だ。パレデュカルにはイプセミッシュの思いが理解できる。だからこそ、あえて突き放す言い方をしたのだ。


「己の力のみを信じて生きる。それは強固でありながら、一方でむなしい生き方かもしれないがな」


 イプセミッシュに聞こえたかどうかは分からない。パレデュカルはつぶやきつつ、今度こそこの場を去るために歩を進めた。


 パレデュカルの気配が完全に消えた。イプセミッシュはなおも動かない。


「虚しい生き方か。それもまた一興いっきょうだろうよ」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 翌早朝、玉座の間には十二将全てがつどっていた。


 ほぼ表舞台に出ることのないディリニッツさえ姿を見せている。もう一人、文官を代表してエンチェンツォが同席している。


 玉座に座るイプセミッシュが一同を見渡し、おもむろに立ち上がった。


「聞け、お前たち。時は熟した。俺はリンゼイア大陸の覇者とならんがため打って出る。まず、滅ぼすべきはにくきラディック王国だ。これより宣戦布告を行う」


 季節柄、寒いぐらいの玉座の間が熱を帯びて暑く感じられる。なぜ、この場に招集されたのか分からないエンチェンツォは、十二将たちがどれだほどにこの言葉を待ち望んでいたかを肌で実感していた。


「お前たち十二将には存分に働いてもらう。それから、そこにいる文官のエンチェンツォだ。こいつも戦場に連れていく。軍事戦略家と呼ぶにはまだまだだが、見習いの見習いの、また見習いといった立場でな」


 本当に心臓に悪い。エンチェンツォは心底そう思った。


 イプセミッシュのこの突拍子のなさに驚かされるのは毎度のことだ。前回の十二将を前にした戦略披露時以上の衝撃だった。まさか、自分が戦場におもむけるとは夢にも思っていなかったからだ。


「陛下、発言を許可いただきたい」


 声を発したのは序列四位のグレアルーヴだ。エンチェンツォとは初対面、いわくつきでもある。彼が獣騎兵団団長でもあるからだ。副団長のディグレイオから報告を受けた際、彼もまた激怒したことは言うまでもない。


「何だ、グレアルーヴ」

「この小僧の話はディグレイオから聞いています。そのうえで、戦場に連れていくと言われるのですか。まさか俺たちに面倒を見ろと」


 イプセミッシュはにべもなく、即座に首を横に振る。


「エンチェンツォは戦場に行くが、お前たちのように直接戦うわけではない。それでも死ぬ時は死ぬ。こいつが生き残るかいなかは、己の才覚さいかく次第だ」


 イプセミッシュの言葉を受けて、グレアルーヴは即答した。


「承知しました。それなら俺に異論はありません」


 グレアルーヴは、十二将唯一の獣人族だ。戦闘においては、苛烈かつ容赦ないが、それ以外の面では竹を割ったような性格をしている。済んだことは済んだこととして、後腐あとくされない彼を好む十二将は多い。


「これで問題ないことが分かったな。エンチェンツォ、用意してきた宣戦布告をこいつらに読み聞かせろ」


 エンチェンツォは一呼吸の後、まずはゼンディニア王国内の臣民向けに発布する文章を読み上げる。もちろん、この重要な局面においても書きしるされた文章を見ることなくそらんじる。


 これにはさすがの十二将たちも目を丸くしている。その姿がどうにも滑稽こっけいに見えるのは仕方がないだろう。

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