第028話:戦士の休息、そして新たな旅立ち

 気紛きまぐれかどうかは分からない。一時いっとき、姿を消していたフィアがレスティーの背後から現れた。


 セレネイアの瞳をじっとのぞき込む。


「そうなの、そうなんだ。なるほどね」


 唐突とうとつに、セレネイアに向かって意味深な言葉を投げる。


「あ、あの、フィア様も、本当に有り難うございました。その、私は、そ、そうです、他の団員たちの様子を見に行かなければ。で、では、ここで失礼いたします」


 真正面から見つめられたセレネイアは、大いにあせった。どんな些細ささいなことでも見透かれてしまいそうだ。


 視線を外そうと思ったものの、フィアの瞳にはあらがえなかった。


 どんどん早口になってしまって、まともに言葉にできたのか疑わしい。最後は、この場から逃げるようにして団員たちの方へと足早にけていくことになってしまった。


≪フィア、あの娘はどうしたのだ。やけに急いで、逃げるように離れていったが≫

≪何でもないわ、私の愛しのレスティー。ただ恥ずかしかったからじゃないかしら≫


 フィアが身を乗り出して顔を近づけてくる。レスティーは彼女のほおを優しくでながら尋ねる。


≪どうした、フィア≫


 フィアからの返答はない。答えたくないということなのだろう。レスティーは察して話題を変えた。


「私は倒れたあの男を見てくる。ここはそなたに託してもよいだろうか」


 改めてパラックに問いかける。


「はい、もちろんです。ここは私が責任をもって」

「よろしく頼む」


 パラックは一礼後、成り行きを見守っていた隊員たちに発破はっぱをかけた。速やかに事態の収拾しゅうしゅうり行っていく。


「お前たち、何をしている。早く持ち場に戻らないか。やることは山ほどあるんだぞ」


 パラックは部下たちに指示を出してから、自らも動こうとした矢先、何かに気を取られたのか一瞬立ちすくんだ。それも束の間のこと、すぐにシェリングだけを呼び寄せる。


「隊長、どうかしたのですか」

「いや、何でもない。シェリング、済まないが、お前に頼みたい。あの男の亡骸なきがらを丁重に葬ってほしい。恨むべき相手だろうが、彼とて」


 シェリングはパラックが言い終える前に言葉を差しはさむ。


「皆まで言わずとも分かっていますよ。彼もまた犠牲者だったのですね。あの怪物に操られていたと聞きました」


 大地にうつ伏せになったままのウーリッヒに視線を向ける。


「同じ国を守る立場の者として、哀惜あいせきの念にえません」

「ああ、私も同じ気持ちだ」


 レスティーとの戦いが激化していく中、中位シャウラダーブはウーリッヒへの精神干渉をあっさりと断ち切った。


 中位シャウラダーブにとって、所詮しょせんは使い捨ての駒にすぎない。その時点で彼の命は失われていたのだ。


 フィアのいやしの風は、身体に負った傷なら全て平癒できる。


 命だけはどうやっても取り戻せない。ウーリッヒは、この戦いにおける第一騎兵団唯一の死者だった。


 もう一人の犠牲者であろうクルシュヴィックも微動だにしない。呼吸だけは安定しているようだ。


 近寄ったレスティーが彼の全身をる。手を触れたりする必要はない。ただ視るだけだ。それで十分だった。


≪消耗が激しいものの、汚染はまぬかれたか。この状態なら、数週間もすれば後遺症もなく回復するだろう≫


 珍しくフィアが問いかけてくる。


≪ねえ、私の愛しのレスティー、この男に罰を与えたりはしないの。これだけのことをしでかして、しかもあの小娘にも≫


 レスティーは思案することもなく即答で返す。


≪この者が汚染されて、回復の見込みがないならまだしも、そうでないなら、あの娘か国のしかるべき者が相応の判断を下すだろう≫


 一瞬、考え込むようなしぐさを見せたものの、フィアは首を横に振りつつ答える。


≪そうね。ええ、そうね≫

≪フィア、思うところがあるようだな≫


 しばらく黙り込んだ後、フィアは静かに言葉を発する。


≪少し感傷的になっているのかしら。あの小娘も、この男も、偶然とはいえ、私を一時的に所有していたから。二人の感情が手に取るように分かってしまうの≫


 言葉の代わりに、レスティーはフィアの手を一度強く握り、力を緩める。いや、緩めようとするその前に、フィアが離すまいと握り返してきた。


≪しばらくこのままでいて、私の愛しのレスティー≫


 一刻いっこくの休息、そして互いの手がゆっくりと離れる。


≪有り難う、私の愛しのレスティー。もう大丈夫よ。それにね≫


 フィアが指差す。振り返る。


 パラック隊長の号令が響き渡った。


「我らが命の恩人に、最大級の感謝を込めて。総員、敬礼」


 国境警備隊員、さらにはセレネイアを除く第一騎兵団員が整然と並び、一糸いっし乱れぬ敬礼を送る姿は何とも圧巻だった。


 レスティーにとって、さすがにこればかりは予想外すぎたか。ほんのわずか、身体が硬直してしまった。


≪エレニディール、こういう時はどうしたらよいだろうか≫

≪そうですね。では、軽く手を上げて、頷くことで答礼としてはいかがでしょう≫


 スフィーリアの賢者の教えのまま、レスティーが答礼、それだけでも十分だった。なぜか彼らに声をかけたくなった。


「そなたたちの活躍を切に願う。正しく、強くあれ」


 もう一度頷き、強く輝く目を向ける男たちを見回した。


≪何と気持ちのよい者たちだろうか≫

≪彼らのような人族もいるのですよ。まだまだ、捨てたものではないでしょう≫


 スフィーリアの賢者はもちろんのこと、セレネイアまでもが、彼らの姿を目の当たりにして感動を覚えている。


「私は、皆を誇りに思います」


ちますか≫

≪先に行っている。そなたが来るまでに、あの者たちの目を覚まさせておく≫


 スフィーリアの賢者が苦笑で返す。


≪あまり手厳しくなさらずに≫

≪そうしたいところだ。あの者たち次第だな≫


 今度はレスティーが苦笑を浮かべている。


≪では、ここで。セレネイアを送り届けたら、ただちに貴男の後を追います≫


 フィアの姿は、いつしか見えなくなっている。


 レスティーはラ=ファンデアを右に帯剣、すぐさま転移魔術を発動した。その姿が瞬時に消え去る。


「ああ、行ってしまわれました。まともなお礼もできないままでしたのに」


 無意識のうちに、胸先の羽織はおりを両手で握り締めながらつぶやくくセレネイアに、スフィーリアの賢者が声をかける。


「私たちも戻りましょう」


 ディランダイン砦の戦いは、後にパラックをはじめ、国境警備隊員たちの話を通して世に広まっていく。


 様々な歴史研究者たちによって、幾冊もの書籍が発刊されることになる。尾ひれがついた眉唾まゆつばなものも多数混ざっていたりする。


 その中で、唯一不変の記述がある。


 神の使い人が降臨、その圧倒的力をもって魔霊鬼ペリノデュエズを滅ぼした。


 この話もいずれ語られる機会があるだろう。

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