第027話:セレネイアの心の思い

 仕方なくスフィーリアの賢者が声をかけようとした、その前にフィアが動いた。


「ちょっと、そこの小娘。おろおろしないの。さっさとこちらに来なさい」

「は、はい」


≪フィア、助かる≫

≪ああいうのを見ていると、ちょっと苛々いらいらするのよね。あ、私の愛しのレスティー、ごめんなさい。私ったら、つい≫


 先走りしたことを恥じたか、フィアが頭を下げようとするのをレスティーが制止する。


≪いや、謝罪は無論、頭を下げる必要は全くない。むしろ、私の方こそだからな。あのような娘を相手にするのは、やはり苦手だ≫


 フィアが柔らかな笑みをレスティーに向ける。


 セレネイアが小走りでやって来る。スフィーリアの賢者と同様、立ち止まると律儀りちぎにも深々とお辞儀を寄越よこしてくる。


「このたびは私たちの窮地きゅうちをお救いくださり、誠に有り難うございました。心より感謝申し上げます」


 さすがは第一王女だけはある。堂々たる振る舞いだ。肩が小刻みに震えているのが見て取れる。ここまでの出来事を思えば、当然のことだろう。


「そなたに尋ねたい。この砦の責任者はそなたか、それとも他の者か」

「はい、それでしたら」


 セレネイアがその男のいる方向を指し示した。


「あちらで陣頭指揮を執っているパラック隊長になります」


 スフィーリアの賢者に、ここに残っていてくれと目で合図を送り、レスティーはセレネイアが指した男に向かって歩を進めた。すれ違いざま、セレネイアの肩にそっと手を添える。


「無理をするな。その羽織はおりも、返す必要はない」

「は、はい、有り難うございます」


 セレネイアは極端な男嫌いではない。触れられることを嫌っているだけだ。


 ラディック王国では、四大貴族と呼ばれる大貴族が幅をかせている。現イオニア治世下において、相当に力をがれたものの、今なお彼らの権力は絶大だ。


 とりわけ、第一王女セレネイアへの四大貴族からの縁談話は枚挙まいきょにいとまがない。セレネイアといえども、彼らの意向は完全に無視できない。王族として、最低限の接し方はしているものの、時には限度を超える。


 過去、四大貴族の地位を笠に着た某家嫡子ちゃくしがセレネイアにつきまとい、しつこく迫った挙げ句、既成事実を作り上げようとしたことがあった。


 セレネイアは迷わず実力行使に出た。第一王女への無礼を盾に返り討ち、つまりは徹底的に叩きのめしたのだ。


 国王でもあり父でもあるイオニアが、ひどく慌てたことは言うまでもない。妹二人が当然のごとく、セレネイアの味方についたこと、さらに某家から直接びが入ったことで事なきを得た。


 セレネイアは、父から二度と同じような真似をしないようにと強く釘を刺されている。


(私だって、分かっています。分かってはいるのですが)


 触れられる距離にまで、ずかずかと入ってくる者も苦手だった。それは男であろうと女であろうと同じだ。


 今のレスティーの行動は、まさにその範疇はんちゅうだった。セレネイアは不思議と嫌な気持ちを抱かなかった。


(どうしてでしょう。あの御方に触れられて、私、嫌に思うどころか)


 いつしか、肩の震えは止まっていた。触れられたところから温かさが広がっていく。セレネイアは思わず振り返って、過ぎ去っていくレスティーの背に向けて自然と頭を下げていた。


 心がゆっくりと落ち着いていく。別の感情も、少しずつ萌芽ほうがし始めていた。それが何か、今の彼女には分からない。


「大丈夫そうですね。セレネイア、貴女は一度ラディック王国に戻りなさい。この状況下で任務を遂行するのは無理でしょう。それにファルディム宮は大変なことになっています」


 怪訝けげんな表情でセレネイアが問い返す。


「スフィーリアの賢者様、ファルディム宮で何があったのでしょう。やはり、私は戻るべきなのでしょうか」


 躊躇ためらいが見える。先に進むべきところだ。一方で置かれている状況がそれを許してくれないだろうことも理解している。


「貴女だけでも戻る必要があります。帰る道すがら詳しく話しますが、王国に魔霊鬼ペリノデュエズが入り込んでいました。低位メザディムでした。先ほど同様、我が友が倒してくれましたが大問題が生じています」


 皇太子ヴィルフリオについては、あえて触れなかった。セレネイアにさらなる心の動揺を与えたくないという配慮からだ。


「一度ならず、二度までもあの御方が。承知いたしました、スフィーリアの賢者様。それとクルシュヴィックのことですが」

「今は動かすべきではないでしょう。この砦の者に委ねます。万が一、精神が汚染されていたとしても、我が友が対処してくれます。心配は要りません」


 倒れたまま動かないクルシュヴィックを心配そうに見つめる。今回の騒動は、決して彼が望んで起こしたことではない。そう信じている。セレネイアはうなづいた。


「それでは少々お待ちいただけますでしょうか。残っている騎士団員、パラック隊長にも事情を説明しなければなりません」


 スフィーリアの賢者が了承の意を込めて軽く首を縦に振る。それを確認したセレネイアはきびすを返すと、まずパラック隊長のもとへ向かった。


 視線の先にはレスティーとパラック隊長の姿が確認できる。


 セレネイアは驚愕きょうがくした。レスティーがパラックに深々と頭を下げたからだ。


「えっ」


 思わず声が出てしまうセレネイアだった。パラックも同様だ。


「どうか、どうか頭を上げてください。ここにいる者たち皆が貴男様に救われたのです。頭を下げるのは、むしろ我々の方です。本当にどうか」


 パラックは大慌てでレスティーに頭を上げるよう懇願している。セレネイアも全くの同感だった。なぜ、この御方が頭を下げる必要があるのでしょう。そう思わずにいられない。


「そなたたちを傷つけてしまったのは、ひとえに私の責任だ。魔霊鬼ペリノデュエズが真っ先にそなたたちを標的とすることは分かっていた。だからこそ、時間をかけずに倒すべきだった。済まない、私の悪い癖なのだ。そのため、そなたたちに耐えがたい苦痛を与えてしまった」


 言葉をつむぐためにいったん頭を上げたものの、そう言い切るとレスティーは再び謝罪のため頭を下げた。セレネイアがけつけて来る。


「あ、あの、もう頭を上げていただけないでしょうか。貴男様がいらっしゃらなければ私たちはここで全滅していました。それは疑いようのない事実です。貴男様には感謝こそすれ、傷つけられたから恨むなど、そのような思いを持つ者は誰一人としておりません」


 セレネイアの真摯しんしな思いが伝わったのか、レスティーはようやく頭を上げて二人を見やった。


「そうか。済まない」

「ですから、もう謝らないでくださいね」


 あえて陽気な口調で答えるセレネイアだった。パラックも安堵したのか、同意の意を込めて大きく頷いた。

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