第026話:美しき調べは滅びへの誘い

 レスティーがラ=ファンデアで、空中に真円を描き出した。


 風がうなりを上げながら、真円内に幾種類もの複雑な紋様もんようを浮かび上がらせていく。


「特別に見せてやろう。お前の身体に、恐怖を刻み込むために」


 レスティーに呼応して、フィアがうたう。


“Ire mittvr dena dsverd ai nanemn,

Meodr boirdrr ahrmeddi.

Ire meder miva kras fi viidsbremn,

Meodr boirdrr ahrmeddi.

Dwen mjuuka meldyn aren klavrr vinsd,

Ftdyacis allsom piugaser ved skiydesi.

Dwen hftiwga meldyn aren zkafirr vinsd,

Hnzpiceli allsom piugaser ved disggdesi.”


「これは古代精霊語ですか。はるか昔に失われたはずです。まさか、耳にすることができようとは」


 このような状況下ではあるものの、感涙かんるいしそうになるほどにスフィーリアの賢者は一時の幸福をみしめていた。こういうところは、大衆から変わり者と呼ばれる魔術師らしい一面でもある。


「美しいです。美しすぎます。まるで幻想的な音楽をかなでているような、たえなる調べとでも言いましょうか。しかも、一節ごといんを踏み、精霊語としての威力を増幅させているのですね」


 古代精霊語は、必ず定められた節同士で韻を踏む必要がある言語だ。しかも、複雑極まりない法則に縛られ、あまりにも難解すぎるがゆえに滅んだとも言われている。もちろん、真実は誰も知らない。


 エルフ語の起原でもある。残念ながら、今ではその名残はほとんど見られないという。


 フィアが謳い上げた古代精霊語は、八節から成り立っている。この場合、第一と第三節が"-emn"、第二と第四節が"-eddi"、第五と第七節が"-insd"、第六と第八節が"-esi"という韻が踏まれているのだ。


 ちなみに、スフィーリアの賢者にせがまれ、渋々レスティーが訳したものが以下となる。もちろん、訳語でも韻を踏んでいるのは当然のことだ。


≪我が由緒正しき名をもって

 ここに母は命ずる

 汝ら愛しき我が風の子をもって

 ここに母は命ずる

 優しき調べは清らかなる風となりて

 護るべき者をことごとく癒したまえ

 猛りし調べは凄まじき風となりて

 仇なす者をことごとく滅ぼしたまえ≫


「あの、スフィーリアの賢者様」


 一人、己の世界にひたりきっているスフィーリアの賢者を唖然あぜんと見つめながら、セレネイアは質問の言葉を口にする。


「フィア様が、古代の精霊だということでしょうか」

「これは失礼を。フィア殿のことは私にも分かりません。あまりに謎が多すぎて、恐らく真実を知っているのは我が友のみでしょう」


 一方は柔らかく、一方はつよく、風のやいばが透明と薄碧はくへき、二種に分かたれていく。


「この者たちに希望を。お前に絶望を」


 レスティーとフィアの手が、そして声が重なった。


風清荒流冽雅塵ネティアセリニテ


 描いた真円内の紋様がまばゆいばかりの輝きをもって、空に解き放たれた。大気が揺さぶられる。


 ディランダイン砦全域空間を柔らかな清風が覆っていく。風は激痛に苦しむ隊員たちを優しくで、全身を包み込んでいく。


 あらゆる傷が、たちまちのうちに癒されていった。


 癒しの清風に重なるようにして、剛き烈風がけ抜けていく。灰白色のもやの一切を巻き上げながら吹き飛ばし、空間から一掃、またたく間に清浄化していった。


「そこか」


 これで終わりではない。


 レスティーは翔け抜けた烈風を、今一度ラ=ファンデアに収束させる。


 続けざま、灰白色の靄に変化した中位シャウラダーブめがけ、隙間すきまなく全方位から幾重にも空間を裂き斬った。あらゆる角度から縦横無尽に切断が走る。


 言葉にならない叫声きょうせいが断続的に聞こえてくる。レスティーは容赦なく仕上げにかかる。


「再生は許さぬ。核もろとも細切れに刻んで、滅ぼしてやろう」


 もはや、中位シャウラダーブは実体化することすらかなわない。靄状態のまま、烈風に刻み続けられるだけだ。


(核を失ったところで私は滅びぬ。なぜなら、私には奴に見つけられるはずもない)


 魔霊鬼ペリノデュエズは、核さえ無事なら、肉体が滅ぼうとも再生が可能だ。新たな養分を取り込む必要があるため、時間はかかるものの完全復活できる。


「私が気づかないとでも思ったか。巧妙に隠したつもりだったのだろう」


 レスティーは、左の手のひらを開いて見せた。


「もう一つの核の存在を。中位シャウラダーブは複数の核を持つ。お前は中位シャウラダーブでも、かなりの格下だ。ゆえに、二つしか核がない」


 そこには双三角錐の、まぎれもなく灰白色の靄と同じ色の核が載っていた。見る見るうちに、氷に覆われていく。


「馬鹿な。いったい、いつの間に」

「終わりだ」


 レスティーは永久凍結へと至った核を一息ひといきに握り潰すと、即座に空間を閉鎖する。中位シャウラダーブの逃げ道を完全に断ったのだ。


 再び烈風が疾駆する。先ほどよりも緻密ちみつかつ濃密な風層空間切断が、中位シャウラダーブの核を微細なまでに斬り刻んでいった。


「わ、たしは、滅ぶ、が、貴、様の、力、見せて、もら、った」


 途切れ途切れの言葉を残し、中位シャウラダーブは吹き荒れる風に連れ去られた。


 完全に消滅した。


 後には、クルシュヴィックの肉体だけが残されていた。


「あの美しき調べは、やはり滅びへのいざないとなりましたね」


スフィーリアの賢者が上空に目をやり、ひとりごちた。


「ああ、これはいったい。私は何を見ているのでしょう」


 セレネイアは、どんな言葉をもってしても、この奇跡を表現できるとは思えなかった。それほどまでに信じられない出来事の連続だったのだ。


 実際、何が起きたのかは目にした。全てが夢ではなかったか。そんな思いを抱くことしかできない。


「フィア、そなたのおかげだ。感謝する」


 レスティーの声にフィアが応える。フィアは具現化をき、現れた時と同じく、レスティーにしなだれかかる。


「いいの。いいのよ。感謝だなんて。私の愛しのレスティーの力になれたのならね。だって、それが私の一番の喜びだもの」

「フィア、わざわざ具現化してくれた礼もしたい。返答は今すぐでなくてもよい。考えておいてくれ」


 動き出そうとしたレスティーに、フィアが慌てて質問を投げる。


「それは、どういうことかしら。もしかして」


 レスティーは歩みを進めつつ、フィアの問いに答える。


「この旅にはラ=ファンデアが必要だ。だからこそ、先にラディック王国にエレニディールと共に立ち寄ったのだ。既に持ち出されていた後だったがな。結果的に、済ませるべき二つの用事が同時に片づいた」

「一緒に、一緒に行けるの」


 レスティーがゆっくりと首を縦に振った。


「フィアが、必要だ」

「嬉しいわ。もちろん、どこまでもついていくわ」


 フィアの表情が、これ以上ないというほどの歓喜に満ちあふれている。


「ねえ、私の愛しのレスティー、これからどうするの」

「もう一つだけ行っておきたい場所がある。その前に、ここの処理が必要だ」


 なかば放心状態のセレネイアを置き去りにして、スフィーリアの賢者が近寄ってくる。


「レスティー、有り難うございました。フィア殿、貴女にも心からの感謝を」


 二人の前で立ち止まり、スフィーリアの賢者が深々と頭を下げる。心のこもった謝意だった。


 自らが戦っていたら、間違いなく勝てなかった。


 低位メザディムならまだしも、中位シャウラダーブの苛烈な攻撃を全て防ぎ切る自信は、今のスフィーリアの賢者にはない。しかも、他者を守りながらとなると、確実に多くの命が犠牲になったことだろう。


「気にするな。魔霊鬼ペリノデュエズを滅ぼすことこそが私の使命だ。魔霊鬼ペリノデュエズを相手に戦うには、そなたたちではまだ荷が重すぎる」


 レスティーに続き、フィアも答える。


「エルフの者よ、礼は要らないわ。私の愛しのレスティーのためにやっただけだもの」


 照れ隠しが入っているのか、フィアは顔をやや横に向けて答える。


「エレニディール、そなたには中位シャウラダーブ程度は倒せるようになってもらいたいがな」

「私に、できるでしょうか」


 すかさず、フィアが遠慮ない返答を寄越よこす。


「今のままなら無理ね」


 スフィーリアの賢者に反論はなかった。レスティーの魔霊鬼ペリノデュエズとの戦いを見る限り、自分には無理だ。そう考えていたからだ。


「人族には、人族の戦い方があり、それが強みになる場合もあるでしょう。エルフの者よ、当たり前だけど、貴男は私の愛しのレスティーではないわ。貴男のできる限りで考えてみなさいな」


 フィアなりの優しさが伝わってきて、エレニディールは少しだけ気が軽くなった。


 もちろん理解している。レスティーは例外中の例外だ。彼の戦い方を真似ることなど、他の誰にもできない。それは百も承知のうえで、一歩でも近づきたい。願うのは自由だろう。


「エレニディール、ここを取り仕切っているのはあの娘か」


 少し離れたところで、一人立つセレネイアに目を向ける。まるで迷子の子供だ。どうしてよいのか分からず、おろおろしている。


 レスティーにも、スフィーリアの賢者にも、そう見えた。二人がため息交じりに頷き合う。


 これは困った状況だなと。

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