第025話:風を纏う不可視の剣

「ほうほう、ほうほう。やるではないか。これがラ=ファンデアの本当の力というわけか」


 ばらばらになった中位シャウラダーブは、既に再生を始めていた。


 切断された部位からこぼれ出した粘性液体が一ヶ所に、頭部を持つ胴体へと向かって収束しようとしている。


(再生速度が。ラ=ファンデアは魔剣アヴルムーティオ、これだけの傷を負ったのだ。簡単には治らぬか)


「実に素晴らしい。ラ=ファンデア、是が非でも手に入れたくなった」


 細い線状だった液体も次第に粘度を高めながら、液量を増やしつつある。結合が始まり、一つの身体へと戻っていく。


雑魚ざこの分際で寝言ねごとなら寝てから言うのね。それに気持ち悪すぎるわ。ねえ、私の愛しのレスティー、あれ、再生できないぐらいに細切こまぎれにしちゃいましょうよ」


 再び姿を見せたフィアが、恐ろしいことを平然と言ってのける。レスティーはフィアの毒舌に苦笑しつつ、すぐさま応じる。


「もとより、そのつもりだ」


 レスティーはラ=ファンデアを右手一本で、やや左斜め正眼せいがんに構える。またもフィアの姿が消えていく。


「どうして。やいばがないのに、あれほどまでに切断できるのでしょう」


 セレネイアと同時、スフィーリアの賢者も独り言のようにつぶやいていた。


「これからがレスティーとラ=ファンデアの真骨頂しんこっちょうですね」


 真のラ=ファンデアに、はがねの刃など存在しない。あるのは、ただ風だけだ。


 風をまとう不可視の剣、それが魔剣アヴルムーティオたるラ=ファンデアなのだ。


 レスティーの魔力に呼応して、フィアが優雅に舞い、剣が踊る。風は調べを呼び、その威力をたくわえていく。


 セレネイアに見えるはずもないラ=ファンデアの刃が、レスティーの合図を待っている。


 刃はまさになぎの状態だ。爆発の時を待ち構えている。


 レスティーがわずかだけ意識をセレネイアとスフィーリアの賢者に向けた。二人のつぶやきはレスティーにも聞こえていた。聞こえない距離、何より戦闘の最中さなかだ。レスティーには何ら問題ない。


 スフィーリアの賢者は、変わらず冷静さを失っていない。セレネイアは、その感情を目まぐるしく変化させている。彼女のレスティーを、ラ=ファンデアを見つめる瞳は、先ほどまでの意気消沈から高揚の色に変わっていた。


「面白い娘だ。ラ=ファンデアの刃を見たいのか」


 明瞭な声がセレネイアの耳に入ってくる。どうしてと疑問に思う前に、口をついて出ていた。


「は、はい、ぜひとも。見せて、いただけるのでしょうか」


 突然、姿を現したフィアが実に嫌そうな表情で威嚇いかくに近い視線をセレネイアに投げる。思わず身を硬くするセレネイアだった。


 レスティーはフィアをなだめるように魔力を注ぐ。


≪フィア、あの娘の視覚でもとらえられるように具現化してくれないか≫

≪嫌よと言いたいけど、私の愛しいレスティーの頼みなら断ることなどできないわね。少しぐらいなら具現化してあげる≫


 フィアはこのような姿ながら、喜怒哀楽がはっきりしている。その心は人そのものと言っても過言ではない。


≪いい子だ、フィア≫

≪もう、子供扱いしないで。まさか、私の愛しいレスティー、あの小娘に興味を持ったとかないでしょうね≫


 フィアがややねたような口調で問いかける。


 互いに今の状況を忘れているわけではない。それだけ余裕だという現れでもある。


≪あるわけがない。私が興味があるのは、なぜあの娘がティルフォネラを所持しているのか。その一点に尽きる≫

≪そうよね、私の愛しいレスティーがあんな小娘に。でも、確かにおかしいわ。なぜ、ティルフォネラを持っているのかしら。だって、あれは≫


 言葉を打ち切るため、レスティーは魔力をいっそう強くラ=ファンデアに流し込む。


≪あん、もういきなり。何て心地よいのかしら≫


 恍惚こうこつの表情を見せたフィアの姿が、風となって大気と一体化していった。


 レスティーの魔力を媒介ばいかいにして、ラ=ファンデアの刃が具現化していく。


 不可視から可視へ、風が無色から、淡く透き通るほどの薄碧はくへきへ、セレネイアの目にも見える色をともなって、静かに刃が形成されていく。


「何て綺麗なの」

「貴女がいてくれて幸運でした。実は、私もこの目で見るのは初めてなのですよ。それにしても美しいですね」


 スフィーリアの賢者の言葉にうなづく。セレネイアの瞳は輝いている。


 刃ははがねが作り出す形状とは全く異なっていた。それと思しき形はあるものの、風は自由の象徴でもある。


 剣身らしき部分は、微風びふうとなって安定している。その周囲は自在に変化しながら、軽風けいふう軟風なんぷうとなり、外に行くほどに強さを増している。


 レスティーの身体を包み込む風は、疾風しっぷうだ。速度が増せば増すほど、無色に近づくのも特徴的だった。


「フィア、千切ちぎるぞ」


 既に再生を終えて立ち上がった中位シャウラダーブが、左右の腕と脚を同時に剣化、空中高く飛び上がっていた。


 四肢を大きく広げ、そこから爆発的な膂力りょりょくをもって両腕両脚の剣が放たれる。もはや、鋭利な巨大杭といった方が相応ふさわしい。


「今度こそ、存分に食らうがよい」


 両腕両脚が再生している。即座に同様の攻撃が繰り返される。


 放出、再生、放出、再生、放出、再生、果てがない。


「千切ると言った」


 刹那せつな、空間に断裂が走った。


 先ほどと同じく、風の刃で対抗してもよかった。ラ=ファンデアなら造作もない。巨大杭であろうと、変幻自在の風の刃の前では粉々にくだかれるだけだ。


 レスティーはあえて一段上の力を見せつけることにした。


 中位シャウラダーブの際限のない、苛烈かれつ極まる攻撃も届かなければ意味がない。


 強さの異なる風層を微細なまでに重ね、空間そのものを裂く能力は、攻防一体の陣として非常に優れている。何しろ、断裂した空間に触れたが最後、あらゆるものが寸断されてしまうからだ。


「これだけやっても届かぬとは。化け物か、貴様」

「お前に言われたくはないな」


 ラ=ファンデアが有するごく一面に過ぎない能力で、この結果なのだ。中位シャウラダーブの言葉にもうなづける。


「まさか、ここまでとは。正直、貴様をなめていた。素直にびよう。ここからは中位シャウラダーブの誇りにかけて、全力で貴様をほふる」


 地に降り立った中位シャウラダーブは、さらなる力の解放のため、自らをどす黒いもやで覆い始めた。身体がゆっくりと薄れ、靄と同化していく。


「この攻撃から逃れられた者は一人としていない。貴様も同じ末路を辿たどるのだ」


 中位シャウラダーブの身体が完全に消え失せた。どす黒い靄も色を失い、灰白色に近い状態になって、空中を浮遊している。


晩餐ばんさんの始まりだ」


 灰白色の靄は明確な意思のもと、生命を持つ者のみにまとわりついていく。


 ディランダイン砦内では、多くの者がレスティーたちの背後でこの戦いを見守っている。第一騎兵団は少数だ。ルドゥリダス側の国境警備兵は、ウーリッヒに斬られて倒れた者も含め、パラック隊長以下、十名以上が砦内に残っている。


 まずは弱い者から狙われるのが世の常だ。靄が隊員たちをまたたく間に飲み込んでいった。


 直後、断末魔にも似た叫び声が方々ほうぼうから上がった。


 苦悶くもんに顔を大きくゆがめているのはパラックだ。靄に包まれてしまったため、はっきりと姿は見えないものの、その声で彼だと分かる。全身が耐え難い激痛にさいなまれていた。


 鎧や衣服からは激しく白煙が噴き上がっている。露出した肌がみるみるうちにくさり落ち、すさまじい異臭を放っている。


 顔や腕、足といった部位に穴が開き、骨までもが溶け出していく。他の隊員たちも同じ有様だった。さながら阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図と化していた。


「ああ、みんな」


 セレネイアは眼前の惨劇さんげきに悲鳴を上げるだけだ。何もできない。無力な自分をただただ呪った。


「いいぞ。もっと、もっと苦痛の叫びを上げろ。それが私の養分となるのだ。絶望の声を存分に聞かせるのだ」


 実体のない中位シャウラダーブの声が、空間の至るところから聞こえてくる。


 スフィーリアの賢者の結界で守られているセレネイアを絶望感が襲う。彼らを助けたい。自分にはそのすべもない。希望はどこにもなかった。


 スフィーリアの賢者には、彼女の気持ちが痛いほど伝わってきている。


 今は同情の気持ちを寄せている場合ではない。結界の外に出て、一度ひとたびこの灰白色の靄にわずかでも触れてしまえば、たちどころに腐食の脅威にさらされるのだ。


「まさか、気に入らなかったとは言うまいな。弱者をいたぶって何が悪いのだ。貴様も同じことをするであろう。弱者はただただしいたげられる存在にすぎないのだからな」

「愚かなことを。わざわざ友の逆鱗げきりんに触れにいきますか」


 スフィーリアの賢者もフィアも、ある意味、レスティー以上に憤激ふんげきしているのだ。


 レスティーは、フィアに怒りの感情は失ったと答えた。実はそうではない。心の奥底、深い部分に封じているだけなのだ。


 二人は、レスティーのその部分に触れにいった中位シャウラダーブを断じて許せなかった。


「その口を今すぐ閉じなさい。さもなくば、最大級の冷酷な滅びを速やかに与えるわよ」


 スフィーリアの賢者、フィアが言葉をつむぎ、そしてレスティーが答える。


中位シャウラダーブのお前なら、そう考えるのも不思議ではない。だが、お前の身勝手な論理を押しつけるな」


 戦いの決着の刻が迫っていた。

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