第024話:虫蟲の脅威

 中位シャウラダーブの手のひらから無数の鋭利な矢が射出された。


 次々と間断なく襲い来る矢は、三種の色に染まっている。紫、緑、赤だ。それらが不規則な間隔で飛来する。攻撃そのものは単調で、一直線に向かってくるだけだった。


蟲毒矢こどくやか。過去に蟲術師こじゅつしを取り込んだか」


 レスティーがつぶやく。こたえたのはフィアだ。


「任せて」


 レスティーにしなだれかかったままのフィアが視線を正面に向け、軽く息を吹きかける。烈風と化したフィアの息吹いぶきは、彼女の意思によって自在に動きを変えていく。


「さすがに、この程度の攻撃なら易々やすやすさばくか」


 中位シャウラダーブの射出した蟲毒矢は、四方から風の直撃を受け、完全に制御を失っていた。結果として、ことごとくが地面に叩き落される羽目はめになった。


「これで終わりではないぞ」


 撃ち砕かれた蟲毒矢は、それで無害化されたわけではない。中位シャウラダーブが小手調べに繰り出した攻撃は、二段構えの凶悪なものなのだ。


 蟲毒矢に射られた者は、その傷口から猛毒が体内をけ巡り、数セクトもしないうちに絶命する。


 射られなかったとしても、地面に落ちるなどした蟲毒矢は、たちどころにやじり部分が破壊され、内部に閉じ込められていた蟲毒の元となる虫が姿を現す。


 虫蟲ちゅうこと呼ばれる。


 かつて、南方の大陸で猛威を振るった暗殺術の一つだ。今では、その使い手たる蟲術師は絶滅したと伝えられている。


 生き物なら何でも襲う虫蟲は、ある意味、蟲毒で命を落とす以上にたちが悪い。


 虫蟲は生き物の体内にもぐり込むと、すぐさま脳幹のうかんに移動して全身を支配する。文字どおり、生きた蟲毒兵器へと変えてしまうのだ。


 蟲毒兵器となったが最後、己の命が尽きるまで誰彼構わずに襲いかかり、猛毒をもってあやめていく。


 ただ、唯一の救いであろう、脳幹に住みついた虫蟲の寿命は短い。せいぜい三日程度だ。その間にいったいどれぐらいの者が殺められるのか。皆目見当もつかない。


 レスティーと中位シャウラダーブのちょうど中間辺り、無数の蟲毒矢が残骸となって落ちている。そこからいっせいに虫蟲が姿を見せ始めた。


 ありはち蜘蛛くもさそりへびの姿が確認できる。六種以外にいるかもしれない。今の状況を見れば、もはや何種いようがどうでもよいことだ。


 虫蟲の本能が刺激されたか、はたまた悲しい蟲毒のさがからか、互いに互いを食い合っている。


「うっ」


 セレネイアが、あまりのおぞましさにたまらず口元を押さえ、顔をそむけた。スフィーリアの賢者も思いは同様だ。それでも知識欲が上回ったか。眼前で繰り広げられている凄惨せいさんな光景を凝視し続けている。


 フィアが右手をもって虫蟲を一掃しようとした。その手をレスティーが握って制止する。


「私がやろう」


 虫蟲を取り囲むようにして、大地に正円が描かれた。その正円に向かって急速に大気が流れ込んでいく。


「蟲術師の悲しみが、お前たちを通して伝わってくる。そのようにはなりたくなかったろう。もはや苦痛はない。眠るがよい」


 正円のふちに沿ってすさまじい冷気が生じ、円錐えんすいを描きながら駆け上がっていく。


 大気より水を、水より氷を、頂点に達した冷気は氷瀑布ひょうばくふへとその姿を変え、円錐内へと還流、一気に降り注いだ。


「あれは氷棺瀑冷流葬キュイユラルモン


 氷結匠コンジェランディアたるスフィーリアの賢者も、好んでよく用いる氷系中級魔術の一つだ。円錐内の冷気を制御することで、短時間の足止めから、それこそ永久的なひつぎまで、幅広く応用がく魔術だ。


精緻せいちで、いつ見ても美しいですね。れします。私も、くのごとくありたいものです」

「精緻、なのですか」


 魔術を扱えないセレネイアには、スフィーリアの賢者の言う精緻の意味が分からなかった。乱暴な言い方をすれば、魔術なら何でも同じだろうといった感覚だ。


「ええ、とても精緻なのですよ」


 スフィーリアの賢者がセレネイアに説明する。


 冷気の制御は、魔術師だからと言って誰にでもできるものではない。得手不得手えてふえてはもちろんのこと、物質を高温にするより、低温にする方がはるかに難しい。低温になればなるほど、魔力操作にも緻密さが要求されるからだ。


 レスティーの氷棺瀑冷流葬キュイユラルモンは、虫蟲の体表を一切損壊そんかいすることなく、体内の液体のみを凝固させていた。さらに、二度と融解しないように魔術氷幕で覆い尽くしているのだ。


 一瞬にして極低温で凍結された結果、一切の苦痛を味わうことなく眠りに落ちていった。そう、永久の眠りに。


「私の愛しのレスティー、怒っているの」

「どうだろうな。その感情は失ったと思っていたのだがな」


 切なげに瞳が揺れる。フィアの髪をレスティーが優しくでる。束の間の感傷か。


 再び、戦いが始まる。


「続きといこうか。このようになりたくなければ、お前の真の力を見せてみろ」


 レスティーは胸元から双三角錐そうさんかくすいの物体を取り出す。それを中位シャウラダーブに向けて放り投げた。


「今度は頼めるか、フィア」

「もちろんよ、私の愛しのレスティー」


 フィアの左手がしなやかな曲線を描いた。


 音もなく、五等分に切断された双三角錐の物体から黒いもやが幾筋もき立つ。断末魔にも似た怨声えんせいが響き渡る。


「うるさいわね。耳障みみざわりよ。さっさと消えなさい」


 打って変わって、感情を廃したフィアの声音は冷酷にも聞こえる。


 今度は右手が動く。


 円を描くように風が走り、全ての黒い靄を包み囲むと、旋風せんぷうとなって一気に上空へと飛散させた。風はなおもその勢いを失わず、渦を巻いた状態を維持している。


魔霊鬼ペリノデュエズの核、つまり心臓と言えるものだ。エレニディール、そなたがカルネディオで手に入れたものと同じだ」


 レスティーはスフィーリアの賢者の胸元を指した。魔術学院ステルヴィアでレスティーに出会って以来、共に旅をしてきたため、分析する時間もなく、ずっと持ち歩いていたのだ。


「そなたが持っているものは無色透明だな」

「ええ、そのとおりです」


 セレネイアは息をんだ。まさか、ここでカルネディオの話が出てくるとは思わなかったからだ。しかも、魔霊鬼ペリノデュエズが絡んでいたとは誰に想像できただろうか。


「そうですか。これが魔霊鬼ペリノデュエズの核なのですか。貴男に隠しごとはできませんね」


 悲痛な思いで手にした核を見つめている。


 中位シャウラダーブが再び攻撃の体制に入っていた。


「やはり貴様が。手駒を滅ぼしたことはめてやろう。だが、私は中位シャウラダーブ低位メザディムと同じようにはいかぬぞ」


 右腕が異様なまでに伸び、さらに鋭利に研ぎ澄まされていく。剣そのものだ。


 中位シャウラダーブは力任せにぎ払った。


 剣と化した腕の一部が分離、黒刃こくじんとなって向かってくる。先ほどの蟲毒矢とは比べようもないほどに速度が増している。触れるだけで、人の胴体など軽々と真っ二つにできるだろう。


「フィア」

「分かったわ、私の愛しのレスティー。こんな雑魚ざこ、さっさと片づけちゃいましょう」


 空間を埋め尽くす黒刃のすぐ背後にひそむかのように、中位シャウラダーブがすかさず間合いを詰めてくる。一瞬にして肉薄、予想外のなめらかな動きを見せる。


 クルシュヴィックの剣術を模倣もほうしている。セレネイアの小さな悲鳴が響く。


 レスティーは、刃のないラ=ファンデアのつかを少しばかり力を込めて握り直した。呼応して、フィアの姿が大気に溶け込んでいく。


 剣が一閃いっせんされた。


「考えてはいるが、それでも届かない」


 襲い来るはずの黒刃が、全て撃ち落とされていた。


 レスティーも同等、いやそれ以上の威力をもってやいばを放っていた。それは風の刃、不可視ふかしの刃だ。


 フィアの力を余すことなく自由自在に使いこなせる。レスティーだからこそ可能となる魔剣技だ。


 中位シャウラダーブは黒刃が無効化されようが、一向に構わなかった。あくまで、本命はこれからの攻撃だ。黒刃は攪乱こうらんにすぎない。


 腕そのものが長大な剣となって、レスティーの頭上から一直線に落ちてくる。


「もらった」

「無駄だ」


 ラ=ファンデアをぐ。それで十分だった。


 中位シャウラダーブの目では決してとらえられない。無数の風刃ふうじんが剣化した腕を破壊していく。さらに、四肢と胴体をも切断する。


 風は荒れ狂う嵐となって、中位シャウラダーブ容易たやすく吹き飛ばした。

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