第080話:封じられた記憶の謎
フィリエルスから詳細な調査報告を受けたイプセミッシュが即断した。
「エンチェンツォ、十二将を
立ち上がったイプセミッシュが足早に玉座を後にする。明らかに、いつもと様子が違う。
フィリエルスにもエンチェンツォにも、イプセミッシュの表情に
互いに顔を見合わせると、どちらからともなく、ほぼ同時に言葉を発していた。
「あの三者会談以降、陛下の様子がずっとおかしいわね」
「ここ数日、いつもの陛下ではないように思われます」
意味するところは同じだ。様子が変わったのは、あの三者会談後すぐ、イプセミッシュが何かを隠していることも確実だった。
「私は遠方に出ている十二将を拾いに行くわ。エンチェンツォ、お前はここに残っている者を集めなさい。任せたわよ」
言うだけ言って、背を向けて立ち去ろうとするフィリエルスに、エンチェンツォは思わず驚きの声を上げていた。
「えっ」
間の抜けた声を受けて、フィリエルスが肩越しに振り返る。相変わらずの冷たい瞳だ。少しだけ親しみが込められているようにも思えた。エンチェンツォの思い過ごしかもしれない。
「あ、いえ、失礼いたしました。フィリエルス様が私の名前を呼ばれるとは思いもよりませんでしたので」
アコスフィングァの首筋を
「名前を呼ぶに
フィリエルスは右手を軽く上げると、アコスフィングァの背に飛び乗った。すぐさま、
「エンチェンツォ、その頭脳にさらに
羽ばたきをもって離陸、フィリエルスを背にしたアコスフィングァが静かに上昇していく。天井近く、最高点まで達したところで、再度
あっという間にフィリエルスの姿が小さくなっていく。エンチェンツォはその姿を追い続けていた。
イプセミッシュは私室に戻るや、即座に人払いを行い、一切の立ち入りを禁じた。
エンチェンツォが十二将招集完了を知らせに来るまで、相当の時間があるだろう。即断即決を重んじるイプセミッシュにとって、三者会談で伝え聞いた内容は、容易に判断できるようなものではなかったのだ。
常日頃より
ビュルクヴィストの機先を制する言葉を聞いた途端、その思いはいとも簡単に吹き飛んでしまった。受けた衝撃は比較さえ無意味だった。
「暗黒エルフめ、よくもこの俺を
勢い任せに両手を振り上げ、執務机に思いきり叩きつける。その衝撃で机上のあらゆるものが飛び跳ね、床に落ちていく。
「この俺に、非情な命令が下せるのか。十二将をはじめ、この国の者は俺の手駒にすぎぬ。だが、同時に奴らは俺と同じ時を生きているのだ。そんな奴らを、みすみす死地に送り込むのか」
心情的には、ビュルクヴィストの言葉など信じたくもない。一方で、魔術高等院ステルヴィアの院長たる彼の言葉だ。疑う余地など皆無だ。
「敵は、イオニア、ラディック王国などではない。俺たちがどう
今一度、執務机に両手を振り下ろす。イプセミッシュは、こうでもしないと冷静でいられない。
「
男の声だった。明瞭に聞こえてくる。私室内には誰もいないはずだ。全員追い出し、己の目で確認した。それ以降は誰も入ってきていない。
イプセミッシュは、声を上げるような愚かな真似はしない。左手を腰に回し、長さおよそ二十セルクの
声の方向に向けて、鋭く
「的確な判断だ。あれから随分と成長したようだ」
両刃短剣が、空中で停止している。
ちょうど大人一人分だ。
まずは両刃短剣を受け止めている二本の指が現れる。そこから手首、
イプセミッシュは、両刃短剣が無効化されることも読んでいたか、右手の長剣を頭上より斬り下ろした。大気の揺れごと断つ。
「しかし、甘い」
剣と剣が噛み合う。
背中から執務机に叩きつけられる。衝撃で執務机が真っ二つに砕ける。
口にたまった血を吐き捨て、イプセミッシュは、己を弾き飛ばした男を
右手の指で両刃短剣を
剣身はおよそ一メルクの片刃、切っ先に大きな反りがある。手首付近を覆う、通常の剣ならば
「何だ、その
「命の恩人にようやく会ったというのに、一言目がそれか。国王なぞになって変わってしまったか」
イプセミッシュは目を細め、油断なく男を観察する。
男は、命の恩人と言ったが、イプセミッシュには全く心当たりがない。ましてや、一度も会ったことがない男だ。
「お前になど会ったこともないぞ。何よりも、どうやってここに入ってきたのだ」
男の目的が皆目分からなかった。暗殺者ではない。もし、そうならば先ほどの一撃で、確実に命を絶たれていた。
イプセミッシュの手に負える力量ではない。相手は十分に手加減したうえで、自分を
「何者だ。目的は何だ」
イプセミッシュの問いかけに、男は
「
何とか立ち上がったイプセミッシュに向かって、男がゆっくりと近づいていく。
「ふむ、おかしいと思ったら、そういうことだったか。小僧、ある特定の記憶のみを封じられているな」
イプセミッシュの顔つきが
「なぜ、お前がそのことを」
イプセミッシュの言葉を
「囀るな、と言ったはずだ。小僧、その記憶、取り戻したいか」
男がイプセミッシュの目を
(全てを憎み、拒絶するこの目だ。あの頃と、いささかも変わっておらぬ。心から信頼できる者は、見つかっておらぬか)
「取り戻せるものなら、既にやっておるわ。お前がどれほどの力を有するかは知らぬが、人の記憶を簡単に操作できるとは思うなよ」
「そうよな。記憶は、精神領域にあって、最も不可解なものだ。だがな、小僧、封印が可能ならば、その逆もまた
切っ先が
男は一歩も動くことなく、イプセミッシュに向けていた剣を
「今すぐ陛下から離れろ。次は手加減せぬぞ」
十二将筆頭ザガルドアだった。剣を手に、
実のところ、先の一撃は、雑に力任せに薙いだとはいえ、ほとんど手加減していないのだ。それを片手一本で受け切ったうえ、弾き返している。
男の力は
「ほう、お前、あの時の。随分と見た目が変わっているな。本質は変わっておらぬか。実に面白い。よもや、このようなことになっていようとはな。わざわざ、出向いた甲斐があるというものだ」
男は二人を交互に眺めつつ、さも楽しげに笑っている。
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