第081話:ザガルドアの秘密

 先に仕かけたのはザガルドアだ。イプセミッシュから、この危険な男を遠ざける。それだけを考えていた。


 そのために、男とイプセミッシュの間にくさびを打ち込む。ザガルドアは男に向かって踏み込むなり、上段より大剣を振り下ろした。


 男は頭上から落ちてくる大剣に対して、自らの剣を直角に当てた。はがねが触れ合い、火花が生じる。今度ははじかない。軽くいなすだけだ。左腕をわずかに傾け、交差した剣の角度をずらす。


 結果として、剣軌けんきもずれる。ザガルドアの大剣はなめらかに受け流されていた。ザガルドアは地に落ちた自らの大剣を見つめた。


「この剣技、三大流派が一つ、ツクミナーロか。いや現継承者は長年にわたって行方知れずのはず。下位流派も存在せぬ。どういうことだ」

「随分と物知りのようだ。小僧、さすがに、うん、お前もなのか」


 一人合点がてんがいったのか、今度は盛大に笑い出した。イプセミッシュもザガルドアも、先ほどからの男の言動に戸惑うばかりだ。


「二人そろって記憶を封じられているとはな。それゆえの今の立ち位置ということか。あの後、お前たちに何が起こったのか、是が非でも知る必要が出てきた」


 その言葉に真っ先に反応したのはイプセミッシュだ。視線を男からザガルドアに切り替える。


「どういうことだ、ザガルドア」


 イプセミッシュの強烈な視線を受け止めるには難しすぎた。ザガルドアもまた記憶の一部を失ったままなのだ。


 イプセミッシュと決定的に違うのは、記憶を封じる要因を作ったのが己自身だということだ。その事実だけは決して誰にも悟られてはならない。この状況下で、男がさらなる追い打ちをかけてくる。


「お前たちの名、そして主従関係への違和感、ともに記憶を封印されていると考えれば納得がいく」

「やめろ。なおも首を突っ込むというなら、力づくで止めるまで」


 たちまちのうちに、男の周囲が凍気とうきで満たされていく。それは左腕に装着した剣から発せられていた。


「やめるつもりは毛頭ない。私も、さる御方の命を受けて来ているのだ。最初は、お前たちをるだけが目的だった。しかし、くも予想外の展開に驚きを禁じ得ぬ」

「お前ほどの男に命を下せる者、それは誰だ」


 イプセミッシュの問いに答える価値はない。即座に一蹴する。


「力づく、上等だ。小僧、止めたくば止めてみせよ。さもなくば、この凍気の中、お前の主とやらが凍死することになるぞ」


 既に部屋中が凍気に包まれている。床や壁、天井にまで霜がまとわりつき、あらゆるものが凍りつき始めていた。


 ザガルドアは大剣を握る両手に力を込める。この男を相手に小細工など無用だ。それが通用する相手でもない。一撃必殺の奥義にける。


 ザガルドアが初めて構えを見せた。右八相はっそう、左脚がやや前方、右ひじはほぼ直角だ。大剣は身体と垂直、片刃が正面を向いている。すなわち必殺確実の構えだ。


「ほう、見事な右八相だ。小僧、ビスディニアの剣術を学んだか」


 リンゼイア大陸最強の武人ともうたわれるザガルドアは、三大流派の一つ、ビスディニア流の剣術使いだ。


 ゆえあって、現継承者によって破門されるも、当時の序列は第五位、しかも本流での序列だ。行く行くは継承者候補にも選ばれるだろうと言われた逸材だった。同じビスディニア流の使い手でも、クルシュヴィックとは比べものにならない強さを誇る。


 強烈な右脚踏み込みをもって、ザガルドアの身体はその巨体に似合わない俊敏しゅんびんな動きを見せた。身体を一瞬にして小さく折り畳んで、飛び上がる。


 一気に四肢を解放する。右腕を最大限に伸ばしきる。天井に触れた切っ先が、氷をえぐってき散らした。


 ザガルドアの全体重をもって大剣に加速を与え、男の頭をくだくべく、容赦なく落ちてくる。


「奥義 終驟雨竜破閃虹ウ=ルズ・エクァンティオ


 驟雨しゅううのごとく一瞬だ。すさまじい速度をもって竜が駆け下り、敵を破る一撃だ。剣閃けんせんが消えた時には全てが終わっている。


 ザガルドアの最大最強奥義が炸裂さくれつする。男を確実にとらえた。


「やったか」


 イプセミッシュは戦場で幾度となくザガルドアの奥義を目にしてきた。いまだかつて、この剣技を破った者は皆無だ。ことごとくがザガルドアを前に散っていった。


 今回もそうなる。イプセミッシュは確信していた。ザガルドアもったと思ったほどだ。


「我が剣、氷霜降狼凍ダルカファダラの前ではあらゆるものがこおるのだ」


 大剣が頭を砕く寸前、再び剣軌がずれた。ずらされていた。


 男が氷霜降狼凍ダルカファダラをいつ振るったのか、ザガルドアには全く見えなかった。剣が触れ合ったという手応てごたえもない。気づいた時には、大剣がらされ、切っ先が床にり込んでいた。


「残念だったな、小僧。しむらくは未熟な使い手、ゆえに奥義本来の威力を発揮できておらぬ。彼奴あやつより伝授されたのではないのか」


 呆然ぼうぜんとするザガルドアをよそに、男は一人で続ける。


「なるほど。彼奴あやつから聞いたことがある。次期継承者に最も近い男を破門にしたとな。それがお前のことか」

「だったら、どうだというのだ」

 

 ザガルドアが初めて見せるにくしみのこもった目だ。イプセミッシュでさえ見たことがない。殺気に満ちあふれている。


「どうもせぬ。お前が破門になろうがなるまいが、私には一切関係のないことだ。さて、無駄に時間を使ってしまった。こう見えて、私も忙しい身でな。お前たちの記憶を取り戻すとしよう」


 室内の気温がさらに下がっていく。イプセミッシュもザガルドアも、吐く息が白く、それさえも凍りつきそうだ。


「今から封じられた精神のからを破壊する。案ずるな。命を奪うわけではない。記憶の奔流ほんりゅうによって発狂するかもしれぬがな。そこはお前たちの精神力次第だ」


 氷霜降狼凍ダルカファダラを宙で十字に切る。空間が割れた。室内に凄まじい氷雪が吹き荒れる。二人になすすべは、もちろんない。


「ル=フュシェ・ティ・リエジュ・アローソ

 リ=ヒジュ・デルト・ラヴェユ・イアリェク

 大いなる氷雪をまといて我がもとへ来たれ

 至高なる凍狼とうろうの牙もて

 あらゆるものを喰い裂きたまえ」


 顕現けんげんしたのは、銀の輝きを放つ凍狼だ。上顎うわあごから左右対称で突き出た白銀の牙、全身を覆う毛並みは氷で構成され、鋭い氷柱つらら状になっている。


凍裂氷白銀狼冥獄フュリティアレイジュ


 四本の氷の脚が宙を蹴ってけた。まずザガルドア、次いでイプセミッシュの心臓を易々やすやすと白銀の牙が穿うがつ。


 痛みを全く与えず、二人の心臓が刹那せつな、完全に停止した。凍狼はそれぞれの身体をただすり抜けていっただけだ。


 役目を終えた凍狼が、割れたままの空間内へとすぐさま戻っていく。あれほどに吹き荒れていた氷雪も収まり、部屋中に満ちていた凍気が次第に弱まっていく。


 男が氷霜降狼凍ダルカファダラを再び振るう。先ほど切った十字を逆からなぞる。


「気を失ったか」


 割れた空間は完全に閉じられている。


 二人は倒れたまま動かない。確かめるまでもない。男は二人の命の鼓動を感じ取っていた。


「次に目覚めた時、お前たちを待つのは生き地獄かそれとも。これで私の役目も終わったな」


 男の姿が現れた時と同様、大気を揺らしながらうすれていく。その姿が完全に見えなくなったと同時、室内を覆っていた霜も消え去り、常温に戻っていた。

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