第079話:フィリエルスの信念

 フィリエルスは、エンチェンツォの小賢こざかしさを忌々いまいましく思い、目を細めてにらみつけた。


「飛び立てるわけがないでしょう。明白な領空侵犯よ。陛下の命令とはいえ、私の部下たちを危険にさらすようなことは認められないわ。命令違反を盾に、私を追放したいなら勝手にすればいいわ。喜んで出て行くだけよ」


 一気にまくしたてたフィリエルスに対し、エンチェンツォは穏やかな口調で語りかける。


拙速せっそくな考えはいけません。私は、飛び立ってください、とは言いましたが、いつアーケゲドーラ大渓谷に行ってください、と言いましたか。今は、フィリエルス様が陛下の命に従い、空騎兵団を動かした。その事実だけがあればよいのです」


 察しのよいフィリエルスだ。エンチェンツォの考えが次第に読めてくる。


 それは偽りの行為、裏切りにも等しい行為だ。


「私に陛下をだませと言うのね。お前は、この私に裏切れと言うのね」


 感情を廃した冷たい瞳がエンチェンツォをとらえる。そのひと睨みで、心臓が止まりそうになるほどの感覚を覚える。


 説得することこそが、自分の仕事だ。力を振り絞って、フィリエルスの瞳から何とか脱すると、エンチェンツォは言葉を続けた。


「あの場を収めるには、これしかないのです。フィリエルス様たちは、ここから南、海上の孤島ベレネヴィナまで飛んで、待機してください。そこには私の知人がいます。至急連絡を取り、身をひそめられるように手を回します」

「できるの、お前に」


 フィリエルスの問いに、エンチェンツォは迷うことなく即答した。


「できるか、できないか、ではありません。やるしかないのです」


 フィリエルスの瞳から、冷たさが消えた瞬間だった。初めて見せるフィリエルスの美しい笑みを前に、エンチェンツォは胸が躍った。


「どうやら、私はお前をあなどっていたようね。許してほしい。このとおりよ」


 頭を下げてくるフィリエルスに、エンチェンツォはどう対応してよいか全く分からない。あせりながらも、取り急ぎは頭を上げてもらうことを最優先にする。


「フィリエルス様、頭を上げてください。そのようなことは無用です。私にはフィリエルス様のような優れた力はありません。この頭を使うことしかできないのですから」


 フィリエルスは思い出していた。この青年の夢は何だったか。確か、ゼンディニア初の軍事戦略家と言っていたか。


 陛下に呼び出され、初めて彼の戦略を聞かされた時には、何と浅はかで愚かなのだろうと一蹴したものだ。真正直で単純、とても戦略と呼べるような代物ではなかった。


 青二才にしか見えなかった彼から、短期間のうちにこのような狡猾こうかつな案が提示されるとは予想だにしなかった。


「その間に、私がアーケゲドーラ大渓谷に関する情報を収集しておきます」


 エンチェンツォがつけ加える。フィリエルスは、どうやって、とは聞かなさい。任せると決めた以上、余計な口出しなど無用だ。


「礼には礼をもって返す。それが私の流儀よ。借りができてしまったわね。困った時は、遠慮なく頼ってきなさい。必ず、この私が力になるわ」


 あれから丸二日が過ぎていた。二日もあれば、調査に多少の時間がかかろうとも、十分に帰って来られる距離だ。


 エンチェンツォはイプセミッシュの御前で控えつつ、自身もまたフィリエルスたち空騎兵団の状況が分からず、気をんでいるところだった。


 昨晩のうちに、フィリエルスにはアーケゲドーラ大渓谷に関する詳細情報を魔電信をもって伝えている。気流の様子を見つつ、明朝戻る、とだけ返信があったため、エンチェンツォも安心しきっていた。


 もちろん、このことはイプセミッシュに伝えていない。フィリエルスから、絶対に告げるな、と釘を刺されているからだ。


「遅い、遅すぎる。よもや、フィリエルスの奴、逃げ出したのではあるまいな」

「陛下、恐れながら、フィリエルス様に限ってそのようなことは決してございません。十二将序列二位にして空騎兵団団長たる方が、陛下を裏切るはずもありません」


 冷酷無比な目をエンチェンツォに向けたイプセミッシュが吐き捨てる。


「そのようなこと、なぜお前に分かるのだ。それとも、お前はあの女と通じているのか。よもや、れているとか言うのではあるまいな」


 表情一つ変えないが、内心では面白がっている。イプセミッシュは己も含めて、誰も信じない。それが幼少の頃よりの変わらない信念であり、死ぬまでそれを貫き通すだろう。


 彼にとって、友情や愛などは最も唾棄だきすべきものだ。信じていた友や、愛する者に裏切られ、殺害されていった者がいかほどまでに多いか。これまでの世がそれを証明している。


「十二将は、陛下の忠実なる臣であり、最強の剣と盾なる存在です。私なりに、あれから学びました。陛下と十二将とのつながりは、武という一点に集約されますが、少なからず陛下に心酔しているからこその主従関係かと愚考いたします」


 いつになく饒舌じょうぜつなエンチェンツォに、イプセミッシュはわずかに口角を上げ、おもむろに口を開く。


「いつの間にそのような減らず口が叩けるようになった。まあ、それはよい。先の問いにまだ答えていないぞ。お前とフィリエルスは、どういう関係だ」


 イプセミッシュがやけにこだわっている。エンチェンツォは悪い予感がしてならなかった。


「フィリエルス様と私では、あまりに不釣り合いです。惚れているなど、フィリエルス様に失礼かと存じます。私自身、いつか十二将の横に並び立ちたいという思いは日増しに強くなるばかりですが」


 エンチェンツォの至って真っ当な答えに、イプセミッシュは鼻白はなじろんだ。つまらなさそうに視線を横に転じる。


 そこは空騎兵団専用の巨大窓だ。フィリエルスたちがいつ戻ってきても問題ないように魔術施錠は解放されている。


 はるか遠くの空で何かが輝いた。それは陽光の反射、有翼獣のはためきで空に散るきらめきだった。


「陛下、フィリエルス様たちがお戻りになられたようです」

「見ればわかる」


 エンチェンツォはこの状況下で思案していた。


(陛下は、恐らく全てを見通されている。誰よりも人の嘘に敏感な御方です。フィリエルス様との関係は、下衆げす勘繰かんぐりに違いないでしょうが、鎌をかけられた可能性も捨てきれません)


 エンチェンツォは思案している。フィリエルスが戻ってからの対応に、万が一があってはならない。慎重にも慎重を期す必要がある。


 一直線に高速飛来するアコスフィングァの背に、フィリエルスの姿が見える。十分に視界にとらえられる距離にまで接近、そのまま解放された空騎兵団専用の巨大窓に突っ込んだ。


 アコスフィングァは床面すれすれで翼の動きを滑空かっくうに切り替えて飛行、その背からフィリエルスが飛び降りると同時、急上昇に転じた。天井まで駆け上がり、反転して急降下、無音のままフィリエルスの背後に着地する。


「陛下、ただいま戻りましたわ」

「遅いぞ、フィリエルス。今まで何をしていた」


 イプセミッシュの予想どおりの反応に、フィリエルスは思わず笑いそうになる。さすがに、表情には一切出さない。


「仕方ありませんわ。帰りの気流が非常に悪かったのですから。この子たちに無理強むりじいはできませんからね」

「もうよい。女のお前と話していても、男の俺が言い負かされるだけだ。それよりも、早く調査報告を聞かせろ」


 フィリエルスがたちまちみつく。十二将は男女同数、序列こそあるものの、あらゆる面において対等だ。国王たるイプセミッシュに対しても同様なのだ。武においてのみ主従であり、そこに性別の関係は一切存在しない。


 十二将唯一の貴族出身者フィリエルスは過去、色々な局面において、女だから、女だてらに、といったわれなき差別を受けてきた。貴族社会における婚姻などはその際たるものだ。


 彼女は自らの力をもって、それらを全て跳ね除け、今の自分を確立している。彼女を彼女たらしめる原動力は、女と男は対等だという理念であり、信念なのだ。それをゆがめる存在は、誰であろうと、何であろうと許すわけにはいかない。


「陛下、聞き捨てなりませんね。今の陛下の言い分ですと、女が一方的に話すばかりで、男の話に耳を傾けない、とおっしゃっているように聞こえます。女だろうと、男だろうと弁が立つ者もいればそうでない者もいる。そこに性別は関係ないはずです」


 一度ひとたび、こうなってしまったフィリエルスは誰にも止められない。イプセミッシュは早々に負けを認め、素直に謝罪した。こういう時、身分に関係なく、頭を下げられるのもイプセミッシュの特徴だった。


「許せ、フィリエルス。俺の言い方が悪かった。お前も知っているであろう。俺は女だからといって、差別するつもりは毛頭ない。それに見合う力を示しさえすればな。そして、お前はその力を既に幾度も示している」

「陛下、分かっていただけて何よりですわ。では、この件は水に流すとして、調査結果を報告いたしますわ」


 イプセミッシュが力強くうなずく。


 フィリエルスの説明が始まる。エンチェンツォは一言一句聞き逃さすことなく、黙したままじっと耳を傾けていた。

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