第078話:エンチェンツォの頭脳戦

 ソリュダリアが再び道場に足を踏み入れると同時、レスティーの姿がカランダイオと共に消えた。


 一人、座礼したままのヨセミナだけが残されていた。ソリュダリアは、何かの見間違い、錯覚かとも思ったが、状況は変わらない。不安げに近づいてみたものの、どのように言葉を発すればよいか分からなかった。


 しばしの後、ようやくにして座礼を解いたヨセミナが顔を上げる。その顔を、ソリュダリアは幾分の驚きをもって見つめた。この場にあまりそぐわないほど、晴れやかだったからだ。


「待たせたな、ソリュダリア」


 反応のないソリュダリアを、いぶかしげに見上げる。何かを聞きたそうにしているものの、躊躇ためらいも見られる。


 ヨセミナから先に問うた。


「先ほどまで、こちらにおられた御仁ごじんについて聞きたいのか。あるいは、私の晴れやかな顔を見て、その理由を聞きたいのか。どちらだ」

「できましたら、どちらもお願いいたしたく」


 これ幸いとばかりに飛びつくソリュダリアに、ヨセミナは軽いため息をつく。


「欲張りな奴め。まあよい。まずは先ほどの御仁からだ。お前には、あのお姫様のこともあり、紹介しておきたかったのだが。間に合わなかった。許せ。あの御仁こそ、レスティー・アールジュ様、我らが偉大なる大師父様だ」

「はっ」


 間の抜けた声がれる。


至極しごく妥当な反応だ」


 ヨセミナが面白がっている。


 三大流派の継承者を除けば、大師父という存在は知っていたとしても、対面できる確率は皆無だ。恐らく、その名前さえ聞いたことがないだろう。


 実のところ、大師父伝説だけが独り歩きしすぎて、本当は実在しない人物なのではないか。そういった噂のたぐい流布るふしている。


「あの御仁が、大師父様、実在の人物だったのですね」


 何げない一言だった。ヨセミナは、烈火のごとく怒りを発散させた。


「愚か者が。当然であろう。大師父様がおられたからこそ、三大流派が生まれたのだぞ」


 ソリュダリアも話だけは知っている。大師父なる者が、始まりの三剣士と呼ばれる三人に剣術指南を行い、彼らが各流派の開祖になったということだ。


「その三人とて、大師父様に出会わなければ、そして導かれなければ、いずれ塵芥じんかいの存在に過ぎなかったであろう」


 三大流派ならびにその派生流派に生きる者は、あまねく大師父に、尊敬と感謝の念を持たなければならない。それこそが現ヴォルトゥーノ継承者たるヨセミナの確固たる信念なのだ。


「我が弟子たる者が、大師父様の存在を疑問視するなど言語道断だ」


 あまりに熱く語るヨセミナに、ソリュダリアは圧倒されるばかりだ。圧倒という言葉は生温なまぬるい。それほどまでに魂のこもった、まさに言霊ことだまと呼ぶに相応ふさわしい思いだった。


「ヨセミナ様、申し訳ございません。思慮しりょが足りず、愚かでございました」


 すぐさまその場で平身低頭、深謝するソリュダリアを前にして、ようやくヨセミナの怒りもやわらいだか。


「もうよい。私も熱くなりすぎた。ソリュダリア、これだけは肝に銘じておけ。私は、大師父様を侮辱する者は誰であろうと決して許さぬ。お前とて例外ではないぞ」


 ヨセミナは知っている。レスティーが抱えている深い悲しみは、常人が理解できる範疇はんちゅうをはるかに超えていることを。それを他者に言うつもりはない。自らの心の内に秘めているだけでよいのだ。


 もはや話を続ける気はなかった。ヨセミナが切り替える。


「近々、三大流派の次期後継者に関する話し合いが行われる。私は、その場でお前を次期ヴォルトゥーノ流継承者候補の一人に推挙するつもりだ。ソリュダリア、私をがっかりさせるな」


 ソリュダリアは完全に言葉を失っていた。頭の中が混乱しすぎて、何も考えられない。


 ヨセミナからのいましめを、心にとどめようとしたところに、この爆弾だ。


 派生流派筆頭とはいえ、序列四位でしかないソリュダリアが、次期ヴォルトゥーノ流の継承者候補に推挙される。あり得ない事態だった。


 もちろん候補者のうちの一人でしかない。ヴォルトゥーノにあって、ヨセミナの直弟子じきでしは数名いるのだ。そこに交じって候補者争いをするなど、今のソリュダリアには全く考えられない。


「私の用事は終わった。あのお姫様のことは、お前に任せる。しっかり面倒を見てやれ」


 立ち上がったヨセミナが、道場正面に向かって拝礼、きびすを返す。その背に向けてソリュダリアが言葉をかけた。


「ヨセミナ様、門までお見送りを」

「無用だ。お姫様についていてやれ。いずれ折を見て顔を出す。ソリュダリア、精進しょうじんおこたるなよ」


 引き戸を引いて、外に出る。


 ヨセミナは降り注ぐ陽光のまぶししさに、思わず右手を上げて、目を覆った。


「生きて帰って、またこの陽光を感じたいものだな」


 ヨセミナのささやきを聞くものは、誰もいなかった。ただ、大気の静かな流れが、その言葉を空に運んでいった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 玉座に浅く座ったままのイプセミッシュが、苛立いらだまぎれに、エンチェンツォを怒鳴りつけている。


「フィリエルスからの連絡はまだか。あの女め、どれだけ時間をかければ、気が済むのだ」


 ラディック王国国王イオニア、魔術高等院ステルヴィア院長ビュルクヴィストとの三者会談を終えてからというもの、すこぶる機嫌が悪い。


 どういった話し合いが行われたのか。本来であれば、側近中の側近たる十二将に伝えるべきところだ。ここまで誰一人としてその内容を知らない。


 挙げ句、イプセミッシュは空騎兵団団長のフィリエルスを呼び出し、厳命した。


「アーケゲドーラ大渓谷がどういう場所なのか。その全貌を今すぐ調べてこい」


 フィリエルスは、いかにイプセミッシュの命令とはいえ、さすがに抵抗の意思を示した。アーケゲドーラ大渓谷はれっきとしたラディック王国の領土内に位置するのだ。


 最短距離で飛行した場合、まずはエランドゥリス王国に侵入、さらに気流によっては、永世中立都市シャイロンドにも侵入したうえで、ようやくアーケゲドーラ大渓谷に到達できる。


 東側の海路を迂回したとしても、メドゥレイオ王国の一部を間違いなくかすめてしまうだろう。南側の最長距離を飛行する覚悟なら、侵入はラディック王国のみで済むものの、最短距離の飛行に比べておよそ三倍の時間を要する。


 さすがに有翼獣といえど、数回、しかも数日の休息が必要になるに違いない。


 最大の問題は、イプセミッシュがこれらの各国に領空通行の許可を取らないまま、命令を下したことにある。いわゆる領空侵犯なのだ。


 ゼンディニア王国最強とうたわれる空騎兵団とはいえ、領空侵犯された各国が黙っているはずもない。間違いなく対空砲火を浴びるだろう。


 フィリエルスは、十二将にあって誰よりも勝手気ままながら、部下思いとしても知られている。それゆえ、部下からの信頼も絶大で、彼女もまた部下を守るためなら自らの負傷さえいとわない。


 彼女がこの無茶な命令に抵抗するのは、至極しごく当然だった。そんな膠着こうちゃく状態を救ったのが、文官のエンチェンツォだった。


「陛下、私がフィリエルス様と協議いたします。そのうえで陛下のご命令に従っていただくよう説得いたします。本件、お任せいただけないでしょうか」


 一歩も引かない硬骨こうこつなフィリエルスに辟易へきえきとしていたイプセミッシュは、一も二もなくエンチェンツォに許可を与えた。


 フィリエルスを伴って別室に下がったエンチェンツォは、くのごとく、提案したのだった。


「フィリエルス様、主要団員をともなって、今すぐに飛び立ってください。私も陛下から何一つ情報を頂戴しておりませんが、このままでは永遠にです。最悪、フィリエルス様を追放なさるかもしれません。それだけはけねばなりません」


 フィリエルスはエンチェンツォの言わんとしていることが理解できなかった。


 今すぐ飛び立てとは、どういうことだ。それなら、イプセミッシュが言っていることと同じではないか。それが彼女の思いだった。

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