第077話:セレネイアの戦いの果て

 三発目から間髪を入れず、四発目、五発目が立て続けにち出された。


 それぞれが眉間みけん、心臓、そして右脚大腿動脈だいたいどうみゃく穿うがつための攻撃だ。当たれば、もちろん致命傷、さらに魔霊鬼ペリノデュエズに取り込まれる。


 セレネイアは絶対に防御しなければならなかった。


 既に地をいながら進む剣は、軌道を変える直前にある。あくまでも手首の稼働かどうは柔らかく、最小限の力をもって進む。


 ここで後方へと大きく引いていた右脚を踏み込み、さらに左脚で床を蹴る。防御よりも攻撃、セレネイアは核の破壊を最優先に全ての意識を集中した。


 直角に曲げていた左ひざが伸び、その勢いを乗せて、剣が上昇へと転じる。


(核の位置は、分かっています。ですが、斬り込むべき軌道が分かりません。このまま、斬り進んでも)


 思考の中に声がかぶさった。


≪考えるな。身を委ねろ。さすれば、正しき軌道がえる≫


 セレネイアの顔に、戦いの場にそぐわない柔らかな笑みが広がった。残った四感をいさぎく手放す。


 そこにあるのは完全な自然体だ。セレネイアの剣は、大気の流れに揺られつつ、正しき軌道へと導かれながら、低位メザディムの左腰に食い込んだ。


(視えました。このまま、導いてください)


 低位メザディムが放った三発の風水刃ふうすいはが急所を穿うがつ。


 セレネイアは剣の勢いを一切落とすことなく、三発のうちの最初の二発、眉間と心臓の攻撃に対して、右脚を軸に左脚を引きつつ、身体を後方に半回転、紙一重でけきっていた。


 剣が正しい軌道を描き、核に迫る。低位メザディムも危険を察知しているのか、核の周囲に残った粘性液体を集結させつつある。


(私が貸し与えた剣を、その辺のなまくらだと思うなよ。いくら核を守ろうとも、一瞬にして断ち斬るぞ。さあ行け、お姫様)


 セレネイアは、剣が指し示す正しい軌道に沿って、ただ手首をたくみに動かすだけだ。


 ヨセミナから与えられた剣が、低位メザディムの右肩口から抜けた。すなわち、逆袈裟ぎゃくけさをもって斬り上げたのだ。


(何という軽さでしょうか。確実に、断ち斬りました)


 核を裁断した手応てごたえが、剣を通して触覚に正しく伝わってきている。


 最上段まで振り抜いた後、手首をひねりながら剣身をひるがえす。身体をもとの位置に戻すために、すかさず左脚を右脚のやや後方へと移動させ、伸びきっていた態勢を整えた。


 深い呼吸をもって、最後の仕上げにかかる。


「これで、終わりです」


 右肩斜め上に抜けていた剣は、今や左肩上部にかかげられている。セレネイアは一呼吸置いて、大気の導くままに袈裟けさに振り下ろした。


 左肩から入った剣が、再び核を断ち斬り、そのまま右腰へ抜けきっていた。


 核を破壊された低位メザディムが、断末魔だんまつまを上げた。ついに身体の維持が不能となり、粘性液体が床にこぼれ落ちていく。


 ほぼ無意識下にあるセレネイアは、気づいていなかった。


 最後の五発目、風水刃が右脚の大腿動脈をわずかに傷つけていた。負傷が、核を破壊する前か、それとも後か。血管から血が噴き出す。赤の中に、少しだけ濃緑が混じっている。


(かわせませんでしたか。しくじりました)


「セレネイア」


 ソリュダリアが叫ぶ。セレネイアも負けじと大声を出していた。


「師匠、来ないでください」

「お姫様、剣を傷口に突き立てろ。完全に侵入されてからでは、どうにもできぬ。急げ」


 ヨセミナも内心では焦っていた。時間との勝負だ。


 既に核が破壊され、粘性液体の意思も失われている。核の破壊前に血管内に侵入していたなら、粘性液体は簡単には滅びない。


 ヨセミナの言葉だ。疑う余地はない。セレネイアは覚悟を決め、傷口めがけて切っ先をねじ込んだ。これまでに味わったことのない激痛が、傷口から全身にけ抜けていく。


 ややもすれば、絶叫を上げたくなる。セレネイアは左手で強く口を押え、声がれないように必死でこらえていた。


「頼む。そなたなら、そなたならば、えるのであろう」


 ヨセミナが宙に向かって声を張り上げる。その声に呼応する前に、一人の男がセレネイアの背後に姿を現していた。カランダイオだった。


「セレネイア殿を寝かせて、決して動かぬよう押さえつけてください。今から想像を絶する痛みが彼女を襲います。お二人は、くれぐれも力をゆるめぬように」


 カランダイオの左手周囲には、無数の氷礫ひょうれきが浮かんでいる。この状況を想定、あらかじめ展開していたのだ。もちろん詠唱は完了している。


「いきます」


 ヨセミナとソリュダリアの二人が、セレネイアの肩と腕を押さえつける。カランダイオはそれを確認、突き刺さったままの剣を一気に引き抜いた。同時に魔術を行使する。


氷粒抗魔流水癒ジェレラディオン


 発動とともに、氷礫がきらめきを残して、セレネイアの傷口にすみやかに浸透していく。


 途端、セレネイアは耐えきれず絶叫、すさまじい力を発揮して、ヨセミナとソリュダリアを弾き飛ばすほどの勢いで暴れ回った。


(既に腹部辺りまで。急がなければ、間に合わない)


「セレネイア、えろ、何とか耐えてくれ」


 ソリュダリアが、全力をもってセレネイアを押さえつけようと試みるも、火事場の馬鹿力とでもいうのか、セレネイアの激しさは増すばかりだ。ヨセミナも加わって、何とか動かないように両手で肩を、脚でひじ辺りを強引に押さえ込む。


 氷礫が凄まじい速度で、血管内を心臓に向かってさかのぼり、粘性液体をとらえにかかる。捕えたところで、終わりではない。粘性液体を凍結させたうえで無害化、体外に全て放出する必要があるのだ。


 カランダイオは、実はこの手の緻密ちみつな魔力制御が、それほど得意ではない。しかも、細い血管内を慎重に移動させなければならない。


 氷礫は小さくなれば小さくなるほど、効力が落ちていく。逆に、大きくすれば効力も高まるが、血管を破裂させる危険性もはらんでいるのだ。


 今は緊急中の緊急事態だ。迷っている時間はない。氷礫のぎりぎりの大きさを保ちつつ、最大限の速度をもって血管内を移動させていく。


「見つけました。これから捕えます。絶対に身体を動かさないように。くれぐれも頼みます」


 まさに氷礫が粘性液体を捕えようとした、その瞬間だ。最後の抵抗とばかりに、セレネイアの身体が大きく跳ね上がる。あまりの勢いに、ヨセミナもソリュダリアも後方に投げ出されてしまった。


「そのまま、制御を続けよ」


 宙から現れた男が、セレネイアのもとにしゃがみ込む。のどへそのちょうど中間、正中せいちゅう位置に指一本を軽く突き立てた。


 それだけだった。セレネイアの顔が、かすかに持ち上がり、そのまま意識を失った。


「捕えよ、カランダイオ」


 完全に動きを封じられた粘性液体に氷礫がまとわりつき、刹那せつなのうちに凍結させた。


「完全に凍結させました、我が主レスティー様」

「よくやった。後は、私がやろう」


 ねぎらいの声を受け、額に玉のような汗を浮かべたカランダイオが頭を下げる。


 レスティーはゆっくりと指を垂直に持ち上げ、立ち上がる。指先に導かれるようにして、完全凍結した粘性液体がセレネイアの身体に極小の穴を開けながら浮き出てきた。


「いったい、これは。夢でも見ているのだろうか」


 目の前で展開されている光景に圧倒されたか、ソリュダリアは呆然ぼうぜんとなっている。


 ヨセミナはカランダイオが抜いた剣を拾い上げ、その時を待ち構えている。


「ヨセミナ、始末を」


 セレネイアの体内から引き抜いた粘性液体は氷礫に覆われ、およそ二十セルクの長さで凝固、血管と同等の細さになっていた。レスティーが宙に放り上げる。


「お任せください」


 ヨセミナが目にも止まらぬ速度で剣を振るった。いったい何度、斬ったのか。凝固した粘性液体が粉々こなごなに砕かれ、一瞬にして気化していった。


「その娘の手当てを頼めるか」


 誰にともなく言葉を発したレスティーに対し、真っ先に反応したのがソリュダリアだった。


「私が。セレネイアは、大切な弟子でもありますゆえに」


 セレネイアのそばかがみ、何度となく頭をでた。


「よく耐えた。そして、よく頑張ったな。お前の顔に、傷がつかなくてよかった」


 ソリュダリアの本心だった。


 非力にも見えるソリュダリアが、セレネイアの肩を軽々とかつぎ上げ、道場奥の医務室へと連れていく。しばらく、目覚めることはないだろう。セレネイアには何よりも休息が必要だった。それ以外のことは、全て目覚めてからだ。


「ヨセミナ、よくやってくれた。礼を言う」


 頭を下げてくるレスティーに、ヨセミナは慌ててしまった。数歩飛び退くと、その場で平身低頭、座礼を送る。


「そのようなことはおめください、大師父様。弟子たる私の前で頭を下げるなど、あってはなりません。頭を下げるべきは、私の方こそです。あのお姫様、セレネイアを見て、私も学ばされました」


 ヨセミナはかしこまったまま、決して頭を上げることなく、大師父たるレスティーと相対している。


「ヨセミナ、私にそのような礼は無用だ。そなたがかしこまる必要もない。確かに、私は始まりの三人に剣術指南を行った。それだけのことだ。そなたから大師父などと呼ばれるほどのことは何一つしておらぬ」


 今の三大流派と呼ぶそれぞれは、始まりの三人、すなわち初代から脈々と継がれてきた先人たちによって昇華したものだ。


「ヴォルトゥーノは、ヨセミナあってこそなのだ。私への遠慮など、全くもって不要だ」


 ヨセミナはわずかに視線を上げ、苦笑するレスティーを見つめた。心は決まっている。言うべきことも決まっている。


「では、お言葉に甘えまして。ヴォルトゥーノ現継承者ヨセミナ・リズ・バリエンナとして、レスティー様にお願いの儀がございます。申し上げても、よろしいでしょうか」


 ヨセミナは心の思いを吐露するのだった。

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