第076話:メザディムとの対峙

 瞳を閉じたことで、他の感覚がぎ澄まされていく。


 視覚以外の四つの感覚に、わずかながら変化が生じている。セレネイアはまだ実感できる域には達していない。


(五感の一つを無にすることで、残った四感が鋭敏えいびんになっていく。まずは無意識下で五感を自在に使いこなせるようになれ。まだまだ、その上があるのだからな)


 手を重ねてくれている師匠ソリュダリアのぬくもりが伝わってくる。深い呼吸がもたらす気の体内循環と相まって、セレネイアが平常心を取り戻すきっかけになっていた。


「師匠、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。ここからは私一人で」

「そうか。見届けているぞ」


 一度だけ強く握り締め、ソリュダリアの手が離れていく。それに合わせるように、セレネイアはゆっくりと瞳を開いた。


≪瞳を閉じていなさい。今、貴女は気づきの最中さなかです。人なら誰もが持つ五感、その一つが失われることで他の四つがどのように変化するか。身をもって知りなさい≫


 直接語りかけてくるのが、誰かはすぐに分かった。常に見守ってくれている。それだけでセレネイアは力がみなぎってくる。


≪カランダイオ、言っている意味が分かりません。瞳を閉じたままでは、攻撃も防御もできないではありませんか≫


 セレネイアが思っていることは、至極しごく当然だ。生まれつきの盲目でもない限り、いきなり視覚を閉ざし、他の四感のみで過ごせと言われても無理な話だろう。


 しかも、今は自分を狙っている敵、低位メザディムと向き合っているところなのだ。


≪貴女はこの道場でいったい何を学んできたのですか。カヴィアーデの神髄しんずいとは、いかなるものですか≫


 言葉があまりに重い。頭をしたたかに殴られたような気分だ。道場に長らく通っていながら、剣術の何たるかも分かっていない。カランダイオの指摘は正鵠せいこくを射ていた。


≪貴女にとって、視覚に頼ることは、さも当たり前かもしれません。それがない人も存在するという事実を、努々ゆめゆめ忘れずに≫


 視覚をはじめとする五感は、生まれた時から与えられている。それを当然のものとして、これまで使ってきたのだ。もはや生活の一部であり、今さら切り離すことなどできるはずもない。


 一方で、生まれた時から、あるいは様々な理由から、それらの機能を一部または全部失ってしまった者もいる。彼らはどうやって生きているのか。しかも、五感を備えた者たちとほぼ同等にだ。


≪今の生活に慣れきってしまい、結果としてそれが甘えにつながっていたのですね。カランダイオ、お願いがあります。貴男の魔術をもって、私の両目を封じてください。そうでもしないと、我慢できずに開けてしまいそうです≫


 悲痛な思いは感じられない。むしろ、よい意味で吹っ切れたようにも見える。何よりも、その微笑びしょうが全てを語っていた。


≪覚悟はできているようですね。よいでしょう。一時的に貴女から光を奪います。私の魔術がけるまで、貴女の目の前は漆黒の世界です≫


 それは即座に訪れた。視界に広がる全ての光が、闇に塗り替えられる。セレネイアが両目が開いたとしても、何も映らない。


「気をつけろ、セレネイア」


 背後からソリュダリアが声を張り上げた。


 低位メザディムの最後の足掻あがきが始まった。身体を維持するための粘性液体も底をつきつつある。それら全てを使ってでも、獲物を仕留めるための攻撃を止めようとはしない。


 あわれな魔霊鬼ペリノデュエズさがとも言えよう。


 最後まで守るべきは、己を構成する核以外にない。その周囲に粘性液体が集まっていく。


 視覚を失ったセレネイアが、まず頼るのは聴覚だ。人が発する声はもちろん、この道場内には数多あまたの音が、人の聴覚でとらえられるものから、そうでないものまで、至るところで発生している。


(ヨセミナ様や師匠の息遣いきづかい、私が床を踏む音、道場内に流れる風の音、魔霊鬼ペリノデュエズの体内でうごめく液体の流れの音、全てがいつも以上に明瞭に聞こえてきます)


 核の周囲、そこに極小の穴が生じている。低位メザディムはその穴から大気を急速に吸い込んでいく。


(これは風切り音、しかも高さが異なっています。全部で、六筋でしょうか)


「来るぞ」


 ヨセミナとソリュダリアの声が重なった。


 低位メザディムの攻撃が来る。吸い込んだ大気を、今度はその穴から鋭利な刃と変えて撃ち出すのだ。


 粘性液体をまとったやいばは、単純にセレネイアを斬りきざむだけではない。その傷口からセレネイアの体内に侵入、身体の自由を奪っていく。精神をもじわじわと浸食していくのだ。


 至近距離からの初撃が来た。豪速の風水刃ふうすいばが大気を切り裂き、セレネイアの顔に迫る。


 聴覚に頼るだけではけきれない。セレネイアは右ほおに違和感を覚え、咄嗟とっさに剣身を盾に防御した。


 構えると同時、風水刃が剣身に衝突、その勢いで身体が後方に吹き飛ばされる。視覚が閉ざされたままの状態では、足元が覚束おぼつかない。三歩、四歩と後退あとずさったところで、その背をヨセミナが受け止めてくれていた。


「今の防御はよかったぞ。間一髪だったがな。次は複数攻撃になる。しのげるか」


 ヨセミナは、言葉こそぶっきらぼうだが、セレネイアの心配はしているのだ。直接手出しはしないものの、助言は惜しまない。無論、彼女の性格から、助言といっても小出しになる。


「お姫様、二歩だけ前だ。それ以上は進むな。奴との距離を、常に一定に保つのだ」

「は、はい、有り難うございます、ヨセミナ様」


 言われたとおり、二歩前進、セレネイアはその位置で再び剣を構える。低位メザディムも既に攻撃の態勢に入っている。


 次の攻撃までに相当の時間を要している。本来なら、矢継ぎ早に攻撃を繰り出しているはずだ。ヨセミナによって散々に削られたことが影響しているのだ。


(奴も限界に近いな。一発目の射出穴が既にふさがってしまっている。もはや機能していない証拠だ)


 残りは五発だ。間違いなく、一気に勝負に来る。セレネイアに勝機があるかは、さすがのヨセミナにも分からない。一つだけ言えることがある。


(お姫様、どうするつもりだ。核を破壊する前に、奴の攻撃がわずかでもかすった時点で終わりだぞ)


 初撃は何とか耐えしのぐことができた。セレネイアは早々に限界を感じている。聴覚だけでは駄目なのだ。


 残る三感のうち、頼れるとしたら嗅覚だろうか。味覚はここでは役に立たない。触覚も何かに直接触れてこそだろう。魔霊鬼ペリノデュエズに触れるなど、全くもって願い下げだ。


(待っているだけでは何も始まりません。攻撃を凌ぎつつ、どうやったら核を破壊できるか。位置は分かっています。そこに私の剣を的確に届かせる。これしかなさそうです)


 セレネイアが初めてカヴィアーデの構えを取った。


(あれを、やるつもりなのか。この土壇場どたんばで。まだ一度も、成功したことがないというのに)


 ソリュダリアが心の中で悲鳴にも似た声を上げている。万が一の時を考えてしまう。模造剣から真剣に持ち替えている右手に、自然と力が入る。


 セレネイアは右脚を大きく引いた。前に出た左脚は、ひざのところで直角だ。随分と低い構えになっている。


 さらに、剣は片手持ち、最下段で切っ先を後方に引いている。左手は自然体、直角に曲げた膝の上で漂っている。


 ソリュダリアも、いつでも動けるように態勢を整えている。準備万端だ。


(ほう、あの技を使うつもりか。できるのか。いや、できねば終わりだ。お姫様の覚悟、見せてもらおう)


 大気を吸い込む音が響く。初撃時に比べ、セレネイアの耳を刺激するほどに大音量だ。体内で吸い込んだ風と粘性液体が絡み合う。


 耳障みみざわりな雑音を伴って、低位メザディムが獲物の名を発する。


「セ、レ、ネ、イ、ア」


 それが合図だった。五つの穴から、最高速の風水刃が射出された。実感するには難しいほどの時間差攻撃だった。


「恐怖心を克服するためにも、必ず倒します」


 構わず、セレネイアも行く。


 後方最下段の切っ先が、地をうように伸びてくる。剛性ごうせいの刃は、決して曲がらない。それが柔らかく、たゆんでいるようにも見えた。


 一発目の風水刃が、セレネイアの右肩の上、風に揺れる淡い青色の髪を切り裂いていった。美しい髪が大気に舞い散る。


 今、セレネイアの身体は自然と一体化しつつある。使える四感のうち、聴覚と嗅覚が大きくぎ澄まされ、残る二感も通常時以上の感覚になっているのだ。


 二発目の風水刃も同様、今度は左肩の上を高速で通過していく。セレネイアは首を右側にかしげ、間一髪のところで避けていた。またもや、長い髪が切断され、道場の床に雪のように降り積もるがごとく落ちていく。


 そこへ、三発目が来た。

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