第218話:互いの力量を確かめ合う

 先にしかけたのはグレアルーヴだ。目にも止まらぬ早さでジェンドメンダに迫る。


 グレアルーヴの武器は、膂力りょりょくや俊敏性は無論のこと、十本の爪にある。


 獣人族たる彼の出自は、ザガルドアも他の十二将も詳しくは知らない。知る必要もない。獣人族の秘儀たる血縛術サグィリギスは、過去の戦いにおいて一度も見せたことがない。


 その使い手たるジェンドメンダを相手にどのように戦うのか。全てはまさにこれからなのだ。


 ジェンドメンダは依然として動かない。先ほどまでの特殊な構えではない。基本中の基本、正眼の構えだ。正眼はすなわち臍眼せいがん、剣先がほぞの位置、中段の構えを取っている。


(確か、ツクミナーロ流の神髄はせんであったか。ならば)


 構わずに行く。


 後の先ならば、中段からの返し技を用意しているに違いない。あえて誘いに乗ってやろう。グレアルーヴは見極めるため、左手人差し指の爪を伸長させた。


 自らの突進力を爪に乗せ、瞬時にジェンドメンダの眼前に迫る。右腕が一直線に伸びきったことで、グレアルーヴにわずかなすきが生じる。そう、あえて作ったのだ。誘いのために。


 ジェンドメンダの態勢が遅滞なく変わる。


(やはり、後の先で来るか)


 ジェンドメンダに言葉はない。弱者をいたぶる際に見せていた嘲笑ちょうしょうもない。ただ静かに妖刀を構えるだけだ。


 切っ先が鋭く動く。グレアルーヴの伸長した爪に軽く触れる。伸びきったところをわずかにいなすだけだ。


 グレアルーヴの身体が簡単に揺さぶられる。達人同士ともなれば、かすかな揺れだけでもそれが致命傷に繋がる。常人の目では分からない。それほどの変化でグレアルーヴの態勢が崩れていた。


 中段に戻っていたジェンドメンダの妖刀が、それを見逃すはずもない。右脚を大きく踏み込む。中段から即座に下段に落ちる。瞬時に、音もなく一気に振り上がってくる。


 それでいて、剣軌けんきは一直線ではない。不規則に揺れ動いているのだ。


(魔剣アヴルムーティオ、いや魔術付与か。狙いは)


 グレアルーヴは、卓越した動体視力をもって剣軌を見定める。間違いない。ジェンドメンダの狙いは伸びた右腕のけん、もっと正確に言うならば右手の指を動かすための腱だ。


 ジェンドメンダの妖刀は両手持ちから左片手持ちに変わっている。迫る来る。寸分たがわず、グレアルーヴの右手の腱を断ちっていく。


 妖刀と爪が衝突、甲高い音を響かせる。


「後の先、見事である」


 腱に触れる直前だ。グレアルーヴの左手、その五本の爪が鋼以上の硬化をもって、剣身を受け止めていた。


「我をあえて誘ったか。さすがは獣人族、れするほどに美しい身のこなしだ」


 妖刀を引いたジェンドメンダがすかさず後退する。グレアルーヴも迷いなく応じる。二人は対峙した最初の位置に戻っていた。


 ここまでは、あくまで互いに様子見だ。グレアルーヴは後の先の剣技を、ジェンドメンダは自在に伸長する爪の威力を、確かめ合っていた。


 刹那せつなの攻防に、マリエッタもシルヴィーヌも息をすることさえ忘れて魅入っていた。二人が距離を取ったことで、ようやく息継ぎを行う。


 二人して声も出ない。目で追うだけが精一杯だ。グレアルーヴとジェンドメンダの動きの全てを把握できたとは到底思えない。局所、局所で繰り広げられる駆け引きは、今の二人に理解できるものではなかった。


 想像をはるかに上回る戦いは、二人の価値観を覆すには十分すぎる。思わず身震いするほどだ。


「これが命けの本物の戦いなのね。それに比べて、私の魔術なんて」


 マリエッタが独り言としてつぶやく。先ほどまでの光景が目に焼きついて、離れてくれない。シルヴィーヌも同様だ。


「衝撃的でした。お姉様たちの戦いを見てきたはずが、様相が全く異なっていますわ。セレネイアお姉様もいずれは」


 それは考えたくもなかった。一歩間違えるだけで、まさに死に向かって一直線だ。


 魔術を主にして戦うマリエッタは、中距離ないし遠距離からの攻撃も可能だろう。セレネイアは違う。たとえ魔剣アヴルムーティオを手にしようとも、敵と至近距離から相対するのだ。


 ジェンドメンダと戦っているのが、グレアルーヴではなく、敬愛する姉だったら。そう思うだけで、いたたまれなくなる。


「シルヴィーヌ、私たちももっと強くならないといけないわ。それがセレネイアお姉様のためにもなるのですから」


 異論など、あろうはずもない。


 シルヴィーヌは、セレネイアやマリエッタと違って、直接相対する立場にはない。あくまで補助的役割であり、立ち回りとしては参謀とでもいう立ち位置だろう。


 戦いが激化していく中で、もし自分の判断が間違っていたら、間違っていなくとも決断が遅かったら、たちまち姉たちを窮地きゅうちに立たせてしまう。最悪、死に追いやる可能性さえ捨てきれない。


(絶対に、ないとは言い切れません。その可能性をできる限りなくすのが私の役目です)


 マリエッタもシルヴィーヌも深いため息とともに、再び視線をグレアルーヴとジェンドメンダの戦いに向ける。


 その前に、マリエッタにはやるべきことがある。目の前、大地に突き刺さる皇麗風塵雷迅セーディネスティアだ。


「先に喧嘩を売ったのは、私ですものね。ええ、上等よ。屈服させてあげるわ。覚悟なさいな」


 ようやくだ。マリエッタが右手をつかにかける。そして、ルシィーエット譲りとでも言うのか、勢いよく皇麗風塵雷迅セーディネスティアを引き抜くのだった。


 途端に皇麗風塵雷迅セーディネスティアから疾風が巻き起こる。すぐさま強風に変わり、さらには暴風へと威力を増していく。


「シルヴィーヌ、離れていなさい」


 暴風は皇麗風塵雷迅セーディネスティアを中心にして、マリエッタを包むように渦を巻いて吹き荒れる。シルヴィーヌは慌ててマリエッタから距離を取った。


「向こうも始まったな。トゥウェルテナの容態ようだいはどうなんだ」


 トゥウェルテナを寝かせ、そばにしゃがみ込み、彼女の頭をひざに乗せたディグレイオが視線を上げる。その目を見れば、彼の言葉を聞かずとも分かる。かんばしくないのだ。


「グレアルーヴの爪は」


 最後まで言う必要はない。見れば分かる。ディグレイオは受け取った爪を、抜かりなくトゥウェルテナの身体に突き立てているのだ。


「陛下、獣人族の秘儀に血縛術サグィリギスというものがあります。トゥウェルテナをやったのは、間違いなくその秘術ですね」


 なぜ、獣人族でもないジェンドメンダに血縛術サグィリギスが使えるのか。無駄な質問をしている余裕はない。


 トゥウェルテナの身体は既に全身に硬直が広がり、指一本曲げられない。ザガルドアもディグレイオも、もちろんセレネイアも、焦燥しょうそうおさええられない。最悪が頭をよぎる。


「団長の爪が」


 ディグレイオが受け取った際、爪は淡青色たんせいしょくだった。それがトゥウェルテナの腹部に突き立てるや、見る見るうちに濃度を増し、今や濃青色のうせいしょくに変じている。


 ジェンドメンダの血縛術サグィリギスを吸収しているのか、あるいは逆に浸食されているのか、判断がつかない。


「奴の血縛術サグィリギスさえ封じられたら。くそ、何とかならないのか。団長は」


 ディグレイオは、獣騎兵団副団長ではあるものの獣人族ではない。血縛術サグィリギスも、グレアルーヴから聞かされているだけで知識は全くないのだ。


 視線がまさに次なる攻防に入ろうとしているグレアルーヴに向けられる。


 ザガルドアを中心とする十二将たちのきずなを前に、セレネイアは二人の妹のことを考えていた。


 マリエッタは間違いなく自分に向けて魔術を放った。よくよくの理由があってのことだろう。頭では理解できる。心は別だ。いまだにその衝撃から立ち直れない。眼前の光景が、それをさらに難しくしている。


(マリエッタ、シルヴィーヌ、どうして)


 その先の思いが、心に浮かばない。適切な言葉も思いつかない。葛藤するセレネイアを見かねて、ザガルドアが声をかける。


「思う存分、悩めばいい。答えは自分の中にしかないんだ。妹たちから直接聞け、と言いたいところだが、あいにくそれどころではないからな」


 ザガルドアの視線を追う。


「マリエッタ」


 展開されている光景を前に、セレネイアは硬直している。そして、ザガルドアに促されるまで気づかなかった己を呪うしかなかった。

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