第217話:茫然自失のセレネイア

 放つは、炎矢オラニスと決めている。


 マリエッタが持つ最も威力が弱く、射程の短い火炎系魔術だ。それでも、火力を最低限に抑え込まなければならない。


 セレネイアに、いやセレネイアがかかげた皇麗風塵雷迅セーディネスティアめがけてつのだ。加減を少しでも失敗すると、敬愛する姉を自らの手で火だるまにしてしまいかねない。


 この際、多少の火傷やけどは目をつぶってもらうとしても、できうるならそれもけたいところだ。


 ルシィーエットから魔術を学ぶマリエッタは、当然のごとく、その手の緻密ちみつな制御を不得手としている。


「私の短節詠唱で、どこまで加減できるか。今は考えている時間もありません」


 すぐさま、炎矢オラニスの構築にかかる。


「リーエ・ディ・ザローミ

 炎来たりて疾駆しっくせよ」


 マリエッタは精神を集中、即座に短節詠唱を成就させる。


 助言を与えてくれるであろうグレアルーヴは、爪を放つと同時、ジェンドメンダに向かってけ出している。頼りになる存在がこの場にいない以上、自ら判断しなければならない。


 迷っている暇もない。


 火力制御の具合を知るなら、シルヴィーヌこそが適任だろう。彼女ならば、魔力の流れを明瞭に視認できるからだ。余裕がない現状では、それも無理な相談だった。


「行くわよ」


 魔術を解き放つ寸前だ。シルヴィーヌが咄嗟に待ったをかける。


「駄目です。セレネイアお姉様を焼き殺すおつもりですか」


 思わず踏みとどまったマリエッタに、さらに追い打ちが来る。


「マリエッタお姉様、全然制御ができていません。もっと火力を絞ってください」


 黙っているつもりだった。


 魔剣アヴルムーティオに向けて魔術を放つのだ。その影響は計り知れない。多少の火傷程度ならと、シルヴィーヌでさえ思っていたぐらいだ。


 マリエッタの構築した炎矢オラニスを見た瞬間、その思いは吹き飛ぶ。さすがに火傷程度では済まないほどの威力だったからだ。


 こうなってしまえば、マリエッタはシルヴィーヌの言いなりになるしかない。もともと口では絶対に妹にかなわないのだから。


「や、やってるわよ。これで、精一杯なのよ」


 なかば切れ気味のマリエッタに、シルヴィーヌは至って冷静に突っ込みを入れていく。


「お姉様、時間がありません。問答無用で私の指示に従っていただきます。右手を三十セルク外へ」


 矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。右手に続き、左手をやや下に移動、マリエッタ自身を三歩後退させる。


「そこです。マリエッタお姉様、狙いはお分かりですね」


 言われるがまま、微妙な恰好かっこうで立ち尽くすマリエッタに、確認の意を込めてシルヴィーヌが尋ねる。


「もちろんよ。お姉様が握る皇麗風塵雷迅セーディネスティア、その剣身の中央部よ」


 上出来だと言わんばかりにうなづくシルヴィーヌに、マリエッタがあきまなこをもって見つめ返す。


 深いため息を一つ、マリエッタは魔術を解放するのだった。


「今度こそ、行くわよ。シルヴィーヌ、誘導でも何でもしなさいな」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアめがけて、一筋の炎矢オラニスける。


 マリエッタもシルヴィーヌも、放たれた炎矢オラニスに全神経を集中している。誘導魔術までは付与できていない。余裕がなかったからだ。


 なおさら、ここからはシルヴィーヌの力に頼ることになる。今、シルヴィーヌは炎矢オラニスそのものではない、炎矢オラニスを構築したマリエッタの魔力を観察している。


 セレネイアが、ジェンドメンダとトゥウェルテナをかついだディグレイオのちょうど中間辺りを狙い、右手に握った皇麗風塵雷迅セーディネスティアを上段から振り下ろす。


 大気の力が解放される。皇麗風塵雷迅セーディネスティアは風雷の魔剣アヴルムーティオだ。セレネイアの意図が伝わっているなら、魔剣アヴルムーティオは確実にそれに応える。


 マリエッタはセレネイアの美しい剣技に見惚みとれつつも、炎矢オラニスの軌道に間違いがないことを確信している。


「そこよ」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが真上から振り下ろされようとした、まさにその時、剣身の中央部に炎矢オラニスが激突した。セレネイアの右手首に重い衝撃が走る。


「えっ、どうして」


 皇麗風塵雷迅セーディネスティア炎矢オラニスの勢いを吸収できず、セレネイアの右手から弾け飛んでいた。


 本来ならば、炎矢オラニスの進行方向に沿って吹き飛ぶはずが、あろうことか炎矢オラニスを放った当の本人、マリエッタに向かって飛んでいくのだ。


 炎矢オラニスはその役目を終えた。効力を失い、大気に溶け込むようにして消えていく。


 セレネイアは茫然自失状態にある。自分に起きたことがいまだに信じられない。皇麗風塵雷迅セーディネスティアが自らの手を離れ、宙を舞い、そして飛んでいった方向に視線をゆっくりと動かす。


「マリエッタ、貴女」


 その後の言葉が続かない。


 立ち尽くすセレネイアに声をかけたのは、まさにセレネイアが皇麗風塵雷迅セーディネスティアをもってくさびを打ち込もうとしていた地点に立つ男だ。十二将序列四位にして獣騎兵団団長たるグレアルーヴだった。


「セレネイア第一王女殿、下がるがよい。ここにそなたの出番はない。そなたの妹が取った手段は、まさしく最善であった」


 セレネイアには、グレアルーヴの言葉の意味が理解できない。その思いを吐露とろする。


「妹が、マリエッタが、私に向けて魔術を放ったことが、最善だとおっしゃるのですか」


 グレアルーヴがセレネイアに視線を向けることはない。こうして会話していること事態、かなりの危険をはらんでいるのだ。


 今、ジェンドメンダと相対しているのは他ならぬグレアルーヴであり、血縛術サグィリギスを知る男なのだ。


 一目見れば、決して油断できない敵だと分かる。グレアルーヴがセレネイアのために短く言葉を継ぐ。


「妹二人には、しかとえていた。詳しくは、我が陛下より聞くがよい」


 セレネイアはわずかの思案の後、視線をザガルドアに転じる。ザガルドアが首を縦に振る。


「セレネイア第一王女、グレアルーヴの言ったとおりだ。まずはそこから下がれ。戦いに巻き込まれるぞ」


(弱々しいな。妹からの攻撃だ。まさか、というところか。だが、そんなことでは先が思いやられるぞ)


 さすがに、ザガルドアも言葉にはしない。それでなくとも、今のセレネイアは完全に戦力外と化している。立ち直らせるためには、自分では駄目だ。妹二人の力こそが必要だ。


 その前にやることがある。何を置いても、ジェンドメンダの始末だ。ディグレイオがついているとはいえ、トゥウェルテナの状態も気にかかる。


「陛下もお下がりを。この者は俺が仕留めます。獣人族の誇りにけて」


 ザガルドアは力をなくしたかのようなセレネイアをともなって、ディグレイオたちが避難している場所まで移動する。見届けたグレアルーヴが、ジェンドメンダに問いを投げかける。


「そのほう何故なにゆえに攻撃を仕かけなかった」


 ジェンドメンダの性質からいって、攻撃を仕かけてきても何ら不思議ではない。むしろ、弱者から徹底して排除していく男だ。そういう意味では、トゥウェルテナもセレネイアも絶好の標的だったはずなのだ。


雑魚ざこなど、どうでもよくなったのでな。今、我と相対している男が獣人族なのだ。これ以上の僥倖ぎょうこうがあろうか」


 これまでとは様相が違う。ジェンドメンダには、どこかふざけた、相手を馬鹿にした態度があからさまに浮き出ていた。それが一切なくなっている。真剣そのものだ。


「二度と、あの時のような無様な姿はさらさぬ。獣人族の男よ、その口からお前の名を聞いておこう」


 一切のすきがない。ジェンドメンダをまとうのは、濃密な殺気のみだ。確実に相手を殺すことに特化した気とでも言うのか、色濃くなっていく。


「俺はグレアルーヴ、ゼンディニア王国が誇る十二将序列四位にして獣騎兵団団長を務める」


 二人が、激突する。

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