第216話:十二将の敗北とザガルドアの命令

 ジェンドメンダの妖刀が来る。およそ九十セルクの剣身が、三メルク程度まで急激に伸びたのだ。


 ジェンドメンダは、その場から一歩も動いていない。踏み込みのための左脚さえ、もとの位置にとどめている。


 一瞬にして間合いを詰められたトゥウェルテナは、咄嗟とっさの反応を見せ、かろうじて身体を左にかたむける。


 やいばは避けようがなかった。切っ先が右ほおえぐっていく。血飛沫ちしぶきが散り、トゥウェルテナの口からわずかに苦悶くもんの声がれる。


「ちっ、女の顔に何しやがるんだ。トゥウェルテナ、今すぐ俺と代われ」


 ディグレイオが叫ぶ。


 トゥウェルテナは左手に持つ湾刀を突きつけ、問題ないことを示す。動くなという合図でもある。


 トゥウェルテナの強い意志を確認したディグレイオが、ザガルドアに視線を向ける。ザガルドアは黙したまま首を横に振るだけだ。


 これによってディグレイオの動向は決まった。すなわち、傍観者に徹しなければならないということだ。


 十二将にとって対人戦は一対一が鉄則、それを破ることは許されない。


 トゥウェルテナの身体に傷をつけたことで満足したか、剣身がもとの長さへと戻っていく。


「女、お前はもう終わりだ。ツクミナーロの剣技、存分に味わうがよい」


 勝利を確信した表情が何ともしゃくさわる。


 同様の構えを取ったジェンドメンダが再び攻撃を仕かけてくる。またも剣身が伸びる。先ほど以上の速度かつ伸長だ。自在に動く。まるで意思を持っているかのようでもある。


 トゥウェルテナも黙って見ているだけではない。当然、予測はできている。それでなくとも、トゥウェルテナの反応速度、俊敏性は群を抜いて優れている。


 一度見た剣技ならば、十分に対応可能だ。切っ先が、身体の正面に向かって伸びてきている。これなら余裕をもって対処できる。


 湾刀で弾き返すか、あるいは身体を移動させてかわすか。トゥウェルテナは前者を選んだ。左脚を引きつつ、一対の湾刀を交差させ、迫り来る切っ先を弾かんと構える。


「何が起きたのですか」


 誰にともなくつぶやいたのはシルヴィーヌだ。まぎれもなく、驚愕きょうがくの声だった。


 シルヴィーヌとマリエッタ、さらにはグレアルーヴの三人は、相対する二人の攻防を凝視していた。彼女たちからは、トゥウェルテナの姿を斜め前方から見る形だ。だからこそ、彼女の一挙手一投足が把握できていた。


 トゥウェルテナの動きそのものに遅滞は見られなかった。三人ともがジェンドメンダの妖刀を弾き飛ばす。そう確信していたのだ。


 トゥウェルテナの口から血がこぼれる。切っ先は弾き飛ばされることなく、あろうことかトゥウェルテナの身体を貫き通していた。


 ジェンドメンダの剣身は途中で不規則な動きを見せたわけでもない。愚直なまでの直線運動だ。


「急所は無論、臓器も外している。一撃で終わらせては、つまらなさすぎるからな」


 貫いた剣身が、ゆっくりと引き抜かれる。腹部と背部から鮮血が盛大に噴き出す。トゥウェルテナは態勢を崩し、思わずひざを落としそうになる。一対の湾刀で支えることで、辛うじてこらえた。


 口を開くたびに、血があふれ出す。何よりも身体の自由を奪われつつあることを、トゥウェルテナ自身が感じ取っている。


「これは、ちょっとまずいかもしれませんわ」


 シルヴィーヌのつぶやきにグレアルーヴが答える。


血縛術サグィリギスだ。だが、なぜだ。あの男は人族のはずだ」


「グレアルーヴ殿、それは人族では使えない術なのでしょうか」


 マリエッタが問いかける。血縛術サグィリギスという言葉も聞いたことがない。


「うむ、血縛術サグィリギスは獣人族にのみ伝わる秘儀なのだ。門外不出の術を、なぜあの男が使えるのか」


 首をかしげるグレアルーヴに、今度はシルヴィーヌが尋ねる。


「では、トゥウェルテナ殿は既にその血縛術サグィリギスの術中に」


「間違いない。トゥウェルテナは、十二将で最も俊敏にして軽やかな身のこなしを特徴とする。明らかに、湾刀の動きが異常であった」


 グレアルーヴの指摘どおりだった。


 トゥウェルテナの交差した湾刀が、伸びてきた切っ先と衝突する寸前だ。まるで、何かに引っ張られたかのように、トゥウェルテナの両腕が左右に開いた。開かされたのだった。


 当然、両手に握っている湾刀も同様だ。弾くはずの湾刀が、その位置に存在しなかった。結果として、ジェンドメンダの剣は易々やすやすとトゥウェルテナの身体を貫いていった。


「濃厚で美味な血だ。さらにほしくなったぞ」


 剣身をくまなく覆うトゥウェルテナの血を飲み干している。しかも、ジェンドメンダは剣身ごと自身の喉に押し込んでいるのだ。


 口から出ているのはつかの部分のみだ。常軌じょうきいっする光景に誰もが言葉を失っている。


魔霊人ペレヴィリディスだからこそよね。本当に気持ち悪いわね」


 血縛術サグィリギスの効力がさらに高まっている。トゥウェルテナは、自らの意思で身体を動かせなくなっている。言葉を発するのが精一杯といったところだ。


 ジェンドメンダが喉から妖刀を引き抜く。赤に染まっていた剣身が、再び白銀に戻っていく。


「では、お代わりといこうか。次は、どこに突き立てるべきか」


 ジェンドメンダが構えに入る。右手が切っ先に添えられている。トゥウェルテナは重い頭を何とか持ち上げ、視線を合わせる。


(そういうことね。初撃の際に気づかなかったのは、私の落ち度よね)


 添えた右手の指四本が二色の血で濡れている。赤と深い緑だ。


 血縛術サグィリギスは、文字どおり、自らの血を媒介にして敵を縛る術だ。相手に傷を与える必要はない。皮膚の一部にでも自身の血が付着すれば効力を発揮する。


 トゥウェルテナは右頬をえぐられた際、その傷口からジェンドメンダの血の侵入を許してしまったのだ。


「あのままではトゥウェルテナ殿が。どうすれば、血縛術サグィリギスから逃れられるのでしょう」


 不安げな表情のシルヴィーヌがなおも問いかける。


「二つある。時間との戦いだ。俺が、出る」


 ザガルドアの判断は早かった。まさに即断即決だ。


 ジェンドメンダとトゥウェルテナの戦いは、明らかにトゥウェルテナの敗北で終わっている。十二将と言えども、敗れる時は敗れるのだ。


 勝敗が決まった以上、そこから先は無駄な戦いでしかない。武を誇りとする十二将にとって、敗北は受け入れ難いかもしれない。


「敗北が何だと言うんだ。命以上の価値などない。トゥウェルテナ、交代だ」


 非情と言われようが、一向に構わない。


 十二将がザガルドアをまもるべき剣と盾たる存在なら、ザガルドアは十二将を率いる者として、彼らに対する全責任を一手に負う。それがゼンディニア王国の王、覇者たる者の務めだからだ。


「ディグレイオ、行け。グレアルーヴ、奴はお前に任す」


 ザガルドアの短くも的確な命がすみやかに下された。


 ディグレイオは既に動き出している。自らの務めを理解のうえ、先んじたのだ。 グレアルーヴもディグレイオが動くことを確信、自らの爪の一本を飛ばしている。


「受け取れ、ディグレイオ」


 ディグレイオが俊足しゅんそくをもって、トゥウェルテナの背後に回り込む。ちょうど彼の手元だ。グレアルーヴの爪が飛来、左手、人差し指と中指の二本をもって挟み込むと、トゥウェルテナの細い腰に素早く右腕を回した。


「陛下のご命令だ。こらえろ、トゥウェルテナ」


 トゥウェルテナからの返答はない。それを承諾と解釈した。


 ディグレイオはトゥウェルテナを軽々と小脇にかかえると、後方へ大きく跳躍、ジェンドメンダの間合いからすぐさま離脱する。


のがすはずがないであろう」


 ジェンドメンダの剣身がなおもトゥウェルテナを追って伸びてくる。その距離、既に十メルクにも達しようかというところだ。


「ここは、私が」


 声を発したのはセレネイアだ。右手に握った皇麗風塵雷迅セーディネスティアを上段に取る。伸びてくる剣身を、大気の力をもって迎撃するつもりか。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが小刻みに振動している。理由は明白だった。


「駄目、お姉様。その状態で魔剣アヴルムーティオを振るったら」


 マリエッタにはえている。声はもちろん、セレネイアに届かない。今、マリエッタができることは一つしかない。


 だからこそ、躊躇ためらわず即実行に移した。

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