第215話:ディグレイオとセレネイア

 剣を相手の前に差し出す。無礼討ちされても構わない、という誠意の表れでもある。


「済まない、第一王女。俺からも頼みたい。この二人を許してやってくれないか」


 ザガルドアまで再び頭を下げてくる。


 セレネイアにしてみれば、許すも何もない。もとより、ディグレイオとトゥウェルテナの言葉は気にしていないし、謝罪されるようなものでもない。どちらかと言えば、ザガルドアに対する無礼ではないかと思えるほどだ。


「ザガルドア殿、それにお二人も、どうか頭をお上げください。私に謝罪など不要ですよ。私よりも、ザガルドア殿に対してこそ失礼ではないかと」


 小首をかしげながら、わずかに笑みを浮かべるセレネイアに、ディグレイオはもちろん、女であるトゥウェルテナまでも魅了されそうになっている。


「それに、ザガルドア殿に助けていただいた未熟な私こそ、謝罪しなければなりません」


 頭を上げたザガルドアを見て、ディグレイオもトゥウェルテナもそれにならった。二人が顔を見合わせている。そしてうなづく。


 これが噂に名高いセレネイア第一王女か、と納得するのだった。


 ザガルドアに手を引かれて、立ち上がったセレネイアが噴き上げる業火を見つめつつ、慌てて崖縁がけふちまで駆け寄ろうとした。


「心配は要らない。それよりも、セレネイア第一王女、そなたの傷の方が問題だ」


 ザガルドアはふところから数本の小瓶を取り出す。小瓶は二種、一方は無色、もう一方は淡い青色だ。効能は前者が止血、後者が化膿かのう防止となっている。


 残念ながら、ここには治癒魔術が使える者はいない。応急処置的に液体薬を使うしかない。


「第一王女、先に無色を、それから青色を使え」


 セレネイアは有り難く薬瓶を受け取り、すぐさま処置にかかる。ザガルドアに言われたとおり、まずは無色の液体を傷口に注いでいく。途端、苦悶くもんの表情に変わる。傷にみるのだ。


「トゥウェルテナ、ディグレイオ、ここは俺が見ている。お前たちは奴がどうなったか確かめろ。あれで倒せていたら、いいんだがな」


 セレネイアの痛々しい姿は見ていられない。


 仮にも十二将の二人だ。これまで数多あまたの戦場で負傷者を、もっと言うなら、致命傷の者たちを見てきている。身体から血が噴き出るなど、日常茶飯事とも言えよう。


「陛下、その前によろしいですか」


 意図はすぐに伝わった。ザガルドアが一度だけ首を縦に振る。好きにしろ、という意味だ。トゥウェルテナも視線をディグレイオに移す。こちらは意外性に驚く表情だ。


「何だよ、トゥウェルテナ。何か言いたそうだな」

「別に、何でもないわよお。そうよねえ。あの娘って、思わず守ってあげたくなるわね。役得なのかしらね」


 セレネイアは痛みをこらえるのに必死で、トゥウェルテナとディグレイオの会話の内容まで頭に入ってこない。


 むしろ、それでよかった。トゥウェルテナの言葉は、セレネイアには到底納得できないものだろうから。


いやとげがあるな。お前、まさか嫉妬してるのか」


 何を馬鹿なことを、といった表情を見せたトゥウェルテナが、いきなりディグレイオに向けて湾刀を振り回す。それを紙一重で易々やすやすかわすディグレイオ、変わらないいつもの光景だ。


 目の前の展開についていけないセレネイアが、ただただ呆然ぼうぜんとしている。


「待たせたな、王女さん。俺はこういう性格だ」


 突然、そのように言われても、セレネイアには全く理解不能だ。すぐに言葉を継ぎ足す。


「まあ、何だ。俺にとって、身分がどうこうなどどうでもいいんだ。だから、王女さん、あんたのこともセレネイアと呼ぶ。それでいいか」


 セレネイアに異論はない。心から歓迎すべきことだからだ。身分や地位に関係なく、一人の人として自分を見てくれる。それがどれほどに嬉しいか、そして待ち望んでいたことか。


「もちろんです。貴男のことは」

「ディグレイオでいい。早速だが、今から簡単な治療をほどこす」


 先ほどから戸惑いの連続だ。セレネイアは思わず視線をザガルドアに向け、ディグレイオの背後で、なぜか笑みを絶やさないトゥウェルテナにも転じた。


「ディグレイオはね、闘気術とうきじゅつの使い手よ。液体薬以上に効果があるわ。せっかくの好意よ。素直に受け取っておきなさいな」


 闘気術とは、自らの体内に蓄積した闘気をもって、肉体を強化したり、また癒したりする術だ。達人ともなれば、その闘気を他者に譲り渡すことで同様の効果を生み出せる。


「闘気術を他者に施す場合、その者に触れなければならないんだ。あんた、どうも苦手のようだよな」


 セレネイアの表情が驚きに変わる。言葉はもちろん、態度にも表したことはないはずだ。しかも、ディグレイオとはこれが初対面であり、言葉を交わすのも初めてになる。


「どうして、分かったのですか」


 つぶやきにも似た口調でセレネイアが尋ねる。予感的中か、という表情を浮かべたディグレイオが頭をきながら答える。


「陛下とのやりとりを見て、何となくだな。立場的にも、あんたは陛下と対等と言ってもいいだろう。だが、あんたは遠慮、違うな、怖がっているように見えるんだ」


 まさか、この一瞬でそこまで見透かされているとは予想外だ。


「だから、無理にとは言わねえよ。上に戻れば治癒魔術の使い手もいるだろう。まあ、それまでは我慢してもらうことになるけどな」


 心配そうにセレネイアを見つめるディグレイオの表情は、口調とは裏腹に何とも優しげだ。


 セレネイアは、次第に心が温かくなっていくのを感じていた。いささか緊張気味の笑みを表情に乗せ、セレネイアはゆっくりと両手をディグレイオに差し出す。


「私なら大丈夫です。それに上まで戻っている時間はありません。妹たちが心配なのです」


 ザガルドアが、マリエッタとシルヴィーヌが落ちていった場所を指差す。


「それなら問題ない。来たな」


 それはセレネイアに向けてのものだ。次の瞬間だった。


「マリエッタ、シルヴィーヌ」


 そこに現れたのは、右肩にマリエッタ、左肩にシルヴィーヌをかつぎ上げた獣騎兵団団長グレアルーヴだった。


「ディグレイオを先に行かせて正解だった。もう大丈夫だ。ゆっくり降りるがよいぞ。さあ、姉のもとへ。いや、まだ行かなくてよいな」


 グレアルーヴはひざを落とし、肩に乗っているも同然のマリエッタとシルヴィーヌを静かに下ろす。


 駆け出そうとするも、目の前の状況を見て、二人はグレアルーヴの言葉の意味を悟る。そこには、ディグレイオに両手を包み込むようにして握られた姉セレネイアの姿があった。


「ねえ、シルヴィーヌ、あれはどういうことかしら」

「私に聞かれても。マリエッタお姉様こそ、どう思われているのです」


 相変わらずの二人だ。戸惑い以上の好奇心がありありと浮かび上がっている。


「グレアルーヴ、よくやった。二人の王女を絶対に死なせるわけにはいかないからな」


 ザガルドアは、まずは視線をグレアルーヴに、それから二人の王女へと移す。


 落ちていくマリエッタの詠唱が、まさに始まろうとした時だ。すさまじい速度で岩肌を垂直にけ上がってくるグレアルーヴが、軽々と二人を小脇に抱え込んだのだ。


 グレアルーヴにしてみれば、二人は小石程度の重さにしか感じない。上昇していくための抵抗には一切ならない。勢いを殺すことなく跳躍に跳躍を重ね、一気に岩場まで辿たどり着いた結果が今の状況になる。


 グレアルーヴは自分たちとは反対側の岩場で、三王女たちが戦っていることを知っていた。だからこそ、ディグレイオだけを先に行かせたのだ。


 結果として、落下するトゥウェルテナを救うことができた。破壊的な揺れは、十二将の中で最も身軽で俊敏しゅんびんなトゥウェルテナをも落下させるほどだったのだ。


 三王女たちのいずれかが、同じような目にっていても何ら不思議ではない。グレアルーヴは自らの判断に過ちがなかったことに安堵するのだった。


「役者が揃った、というところかしらね。でも、この獲物は私のものよ。手出しは無用よ」


 トゥウェルテナは、砂塵裂嵐熱舞翔ペレドゥサーピアのために手放していた湾刀を回収し終えている。一対の湾刀がそろった今、ジェンドメンダに確実なるとどめを刺す。左右の手で、しっかり握り締める。


「女、今の攻撃はさすがにいたぞ。それでも我を倒すには及ばぬ。お遊びはここまでだ。次は確実に、お前を殺す」


 炎と熱で溶けたはずのジェンドメンダは、何事もなかったのように完全体で立っている。


 これまでの右手ではない。左手に握る妖刀が、初めてあやしげな鈍色にびいろの輝きに染まっている。左腕、左脚を大きく引き、妖刀は大地と平行、右手が切っ先に添えられている。


「気をつけろ、トゥウェルテナ。あれはツクミナーロの構えだぞ」


 ジェンドメンダの口角が大きく上がった。

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