第214話:セレネイアへの謝罪

 崖下がいかに落ちたマリエッタとシルヴィーヌの悲鳴が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。


 セレネイアは、この怒りをどこにぶつけてよいか分からない。苛立いらだちがつのるばかりだ。無意識のうちに、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握る右手に必要以上の力が入っていた。


 魔剣アヴルムーティオは使用者の魔力は無論、感情の揺れにも大きく影響される。不安定な感情、特に負の要素は魔剣アヴルムーティオが最も嫌うものなのだ。


 トゥウェルテナが発動した砂塵裂嵐熱舞翔ペレドゥサーピアは、ここからが本領発揮だ。その真なる威力を解き放つ。


 大地を割る亀裂はジェンドメンダを取り囲み、足元の岩石を縦横無尽にくだいていく。もともと悪い足場だったところが、さらにひどい状態になっている。


「第一王女、そこにいては危険だ。もっと離れろ」


 ザガルドアが叫ぶ。セレネイアには彼の声が届かないのか、あろうことか距離を取るのではなく、逆にジェンドメンダに向かって詰めていった。怒りのぶつけ先をジェンドメンダに定めた結果だった。


「何てことを。トゥウェルテナの置き土産は、ここからが本番なんだぞ」


 不安定な足場でも、ジェンドメンダは倒れず、何とか踏ん張っている。他に目を向けている余裕はないのか、セレネイアが向かってきていることに気づかない。彼の背中はすきだらけだ。


 これを好機ととらえたか。セレネイアは無言のまま、皇麗風塵雷迅セーディネスティアり込んだ。


 ジェンドメンダは並の相手ではない。確実を期すため、さらに死角をつく。


「罠だ」


 今度はザガルドアの声が届いていた。セレネイアは剣の動作に入ってしまっている。今さら止められない。


「わざわざ死地に飛び込んでくるとはな。愚かな小娘だ」


 妖刀を真下に向けて、軽くぐ。それだけだった。


 大小様々な岩石が紙屑かみくずのように斬り裂かれ、ジェンドメンダの足元から一斉に吹き飛んだ。


 岩石の破片はへんで貫く手もあった。それでは芸がない。面白みもない。ジェンドメンダにとって、セレネイアもなぶり殺しにすべき対象、しかもにおいつきの上質な女なのだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズと異なり、魔霊人ペレヴィリディスは人を食ったとしても成長の余地はない。ただただ、己のひずんだ嗜好しこうを満たすためだけの残虐行為に他ならない。簡単に終わらせるつもりなど毛頭なかった。


「自ら死に飛び込んだのは、お前の方だ」


 ジェンドメンダの嗜好が、かえってセレネイアには幸いした。一撃必殺で終わらせるつもりなら、セレネイアの命は尽きていた。


 斬り裂かれた鋭利な岩石は、セレネイアの急所をことごとく外し、両腕、両脚、そして顔を傷つけるだけに終わっていた。傷つけると言っても軽傷ではない。


 広範囲に及ぶ裂傷は肌をかすめただけのものから、一部は皮膚をもえぐり取っている。至る所から出血を余儀なくされている。鋭利な岩槍の直撃を無数に食らったのだ。当然の結果だった。


「第一王女」


 セレネイアはかろううじて左手を上げ、ザガルドアの声にこたえる。心配はらないと無言で知らしめる。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアに魔力を通わせることができていたら、結果は違っていただろう。


 マリエッタの試練を後回しにした結果がこれだ。それも己が決断したこと、今さら言ったところで何も始まらない。セレネイアは即座に頭を切り替える。


 地鳴りがさらに激しさを増す。大きな揺れを伴い、それは姿を現した。


 とどろく爆音、大量の熱をき散らす。灼熱の炎がジェンドメンダの足元から噴き上がった。


「トゥウェルテナ、この場所でこれを使うのは無謀むぼうすぎるぞ。だが、仕方なかったか」


 ザガルドアは迷わずセレネイアに向かってけ出す。シルヴィーヌの時とは状況が異なる。多少、いや、大いに乱暴になるのはやむを得ない。


「セレネイア王女、先にびておくぞ」


 セレネイアは訳も分からないまま突っ立っている。


 好都合だった。ザガルドアはセレネイアの細い腰に右腕を強引に巻きつけ、覆いかぶさるようにして岩場の最奥まで素早く転がり込んだ。


 間髪いれず、今までセレネイアの立っていた位置にまで灼熱の炎が押し寄せる。


 トゥウェルテナが持つ一対の湾刀には、それぞれ宝珠ほうじゅ一玉ひとたま埋め込まれている。宝珠は魔導具、魔術を封じ込めることができるのだ。


 本来、砂塵裂嵐熱舞翔ペレドゥサーピアは即時発動型の大技だ。ここまで発動が遅延したのは、ひとえに戦っている場所に依存する。高度千メルクを超える高所なのだ。眠っている岩漿がんしょうを地下より呼び起こすまでに相応の時間を要する。


 ジェンドメンダはけようがなかった。足場の悪さは無論のこと、意識がセレネイアに向けられていたこともある。わずかの認識の遅れが致命傷となった。


 気体、液体、固体の全てを含む岩漿は、灼熱の業火ごうかと化し、一瞬にしてジェンドメンダをみ込んでいった。


「やったか」


 セレネイアをかばうようにして覆い被さっているザガルドアが、少しだけ上半身を起こし、首を後ろに回す。業火の中に消えたジェンドメンダがどうなったか見極める必要があるのだ。


「あれだけの高温高熱の業火だ。核をも蒸発させているはずだ」


 確証は全くない。ザガルドアも、それが己の願望であることを重々承知している。そもそも、魔霊鬼ペリノデュエズの核がどれほどの高温高熱に耐えうるか知らないのだ。


 ザガルドアの危惧きぐをよそに、下から小声が聞こえてくる。


「あ、あの、ザガルドア殿、その、手を、少し」


 なぜか恥じらいを含んだ口調だ。明らかに言いよどんでいる。


 後ろに回していた首を戻し、ザガルドアが二人の置かれている状況を確認する。


(うん、ちょっと待てよ。俺の下に向かい合う形で第一王女がいる。俺の右手は彼女の腰に回したままだ。ということは、俺の左手か。そして、それがどこにあるかというと)


 ここまでで一フレプトもかからない刹那の思考、ザガルドアは急ぎ両手をセレネイアから引き離し、特に左手だが、飛び退いた。まさしく飛ぶがごとくの勢いをもって。


「す、済まない、第一王女。わざとじゃないんだ。本当に済まない。このとおりだ」


 慌てて頭を下げるザガルドアに、セレネイアは顔を真っ赤にしながらも、消え入るような声で言葉を返す。その両手は、しっかり胸を隠している。


「い、いえ、私の方こそ、助けていただきながら、このようなご無礼を、どうかお許しください」


 ザガルドアの背後から、興味津々といった視線が突き刺さる。当然、誰の視線かはすぐに分かった。


「陛下、何やってんですか。ひょっとして、お楽しみの最中でしたかね」

「あらあ、陛下も男なのねえ。そういった少女がお好きなのかしらあ。でも、いけませんわよ。今は戦いの真っ最中なのですからあ。終わってから、存分に」


 前者はディグレイオ、後者はトゥウェルテナだ。もちろん、二人ともが本気で言っているわけではない。


 ザガルドアの記憶が戻って以来、彼と十二将との関係も大きく変わっていった。


 記憶が戻る前の彼は、喜怒哀楽を決して見せない、そして誰も信用しない孤独な男だった。それゆえ、十二将であっても彼との距離、特に心の距離は決して近寄れないほどの大きなへだたりがあった。


 記憶が戻り、喜怒哀楽がよみがえり、本来のザガルドアの姿に戻った途端、その壁は一気に取り払われた。だからこそ、このような会話も成立しているのだ。


「お前たち、俺には構わんが、セレネイア第一王女への侮辱ぶじょくは許さんぞ。今すぐ謝罪しろ」


 さすがに度が過ぎていた。ザガルドアの一喝いっかつは、何よりも恐ろしい。それは記憶が戻る前であろうと、後であろうと変わりない。


 十二将はゼンディニア王国における剣と盾、武の雄としての存在はザガルドアあってこそなのだ。


 彼らが最も恐れること、それはザガルドアの信頼を失うことだ。信頼を得るのは難しく、逆に失うのは一瞬でもある。


 ディグレイオもトゥウェルテナも、即座にセレネイアに対して深々と頭を下げた。


「大変なご無礼を働いてしまいました。誠に申し訳ございません。セレネイア第一王女、お許しいただければ幸甚こうじんに存じます」


 先ほどまでとは一転、ディグレイオの貴族のような口調にセレネイアは驚きを隠せない。そこへトゥウェルテナが口を開く。


「セレネイア第一王女、非礼を深謝いたします。陛下との普段のやりとりから、つい調子に乗ってしまいました。どうかお許しいただきたく」


 ディグレイオもトゥウェルテナも、二人そろって手にしていた剣を己が前に差し出した。

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