第219話:グレアルーヴの血縛術

 グレアルーヴは、ディグレイオの視線を感じ取っている。それはすなわち、トゥウェルテナの容態が思ったように回復を見せていないということだ。


(俺の爪では駄目か。奴の血縛術サグィリギスがそこまで強力とはな)


 これでグレアルーヴが取る道は一つに絞られる。


(速やかに奴を滅し、血縛術サグィリギスを無効化するのみ)


 血縛術サグィリギスは文字どおり、術者の血液と密接につながっている。血の効力は術者が生きている限り、半永続的だ。


 対処方法で食い止められない以上、術者を殺すしかない。


 ジェンドメンダは動かない。せんに徹するのか。剣は先ほどと同様、正眼せいがんで中段の位置にある。


(後の先には、二つある。次はいずれで来るか)


 どちらでも構わない。ジェンドメンダが徹底して後の先を貫くなら、こちらは常にせんをもって攻めきるだけだ。


 グレアルーヴは両腕の力を抜き、構えのない構えを取る。あくまで自然体を保つ。


 注意すべきは、相手の返し技になる。攻撃に合わせて、必ず何かしら仕かけてくる。初めての相対では、こちらのゆるみをつく後の先らしい返し技だった。


 次は、いや考えたところで意味はない。即座に対応する。それだけだ。だからこそ迷わず行く。


(そちらか)


 グレアルーヴが動くと同時、ジェンドメンダも動く。


 後の先の二つ目だ。グレアルーヴの仕かけを待つのは同じ、違うのは自らもグレアルーヴ以上の速さをもって前に出てくることだ。


 獣人族たるグレアルーヴの速度は、常人の目に止まらない。踏み出しとともに、その姿が一瞬で消え去る。ジェンドメンダはもはや視覚に頼っていない。


 ツクミナーロ流の剣技に、無音光流穏陣カフリュドゥというものがある。


 光も音も不要、感知するのは魔力だ。魔力を主体とするツクミナーロ流剣術は、いささかの魔力の揺れも決して見逃みのがさない。


 グレアルーヴがいくら速く動こうとも、体内に魔力を持つ限り、全てを教えてくれる。ジェンドメンダはただるだけでよいのだ。


 妖刀が豪速で迫る。切っ先は的確に心臓を穿うがつ位置にある。すさまじい左脚の踏み込みをもって、突きに近い恰好かっこうで繰り出される。


「それを待っていた」


 今度はあえてすきを作るような真似はしない。


 心臓めがけて、突き進んでくる妖刀を真下から叩き上げる。まるで破城槌はじょうついのごとく、左手の五本の爪をたばにして垂直にみ合わせたのだ。


 鈍い衝撃音が駆け抜ける。先とは逆だ。ジェンドメンダは左手で握った妖刀を叩き上げられ、左上半身ががら空き状態になっている。


 さそいか。判断は刹那せつな、構わず右手の爪を伸長させ、攻撃に転じる。狙うは左腱板けんばんだ。


 人体なら、これを再生不可能なまでに断裂させることで、肩から先の動きを完全に封じ込められる。


「団長、そいつは人じゃない。魔霊人ペレヴィリディスだ」


 ディグレイオの声が背に飛ぶ。グレアルーヴは既に動作に入っている。ここで退くわけにはいかない。退けば、確実に隙が生じる。そして、ジェンドメンダがそれをのがすはずもない。行くしかない。


「待っていたのは、我ぞ」


 後の先の仕上げに入る。ジェンドメンダは待っていた。グレアルーヴの動きにわずかばかりの遅滞ちたいが生じる、その時を。しかも、遅滞は二つあるのだ。


 一つはジェンドメンダの剣を叩き上げるために左手の爪を使った際、もう一つは今の状況によるものだった。


 右手の爪が正確にジェンドメンダの左腱板を貫いている。当然、貫いただけでは倒せない。致命の一撃を与えなければならない。すなわち、核を破壊しなければ駄目なのだ。


 しばしの静寂、そして動かないはずのジェンドメンダの左腕が落ちてくる。グレアルーヴの右手は動かない。腱板を貫いている爪を引き抜こうとするも、微動だにしない。


 左手に握られた妖刀が音もなく、大地へと抜けていった。グレアルーヴは躊躇ちゅうちょなく、瞬時に後方へと飛び退く。


「団長」


 ディグレイオの絶叫、舞い散る血飛沫ちしぶきとともに、グレアルーヴの右手首から先がまるで静止画を見るがごとく、ゆっくりと大地に転がっていった。


 腱板を貫く爪は根本で折れ、ジェンドメンダの体内に残存したままだ。粘性液体がうごめき、傷口を速やかにふさいでいく。


「爪を、吸収したのか。グレアルーヴは」


 ザガルドアの視線が、まずはジェンドメンダに、それから距離を取ったグレアルーヴにそそがれる。


 泰然たいぜんとしているグレアルーヴの姿に、まずは安堵あんどするものの、予想以上の大量出血だ。


 恐ろしいのはそれだけではない。ジェンドメンダの妖刀でり落とされたのだ。すなわち、トゥウェルテナと同様、血縛術サグィリギス餌食えじきになってしまった可能性が高い。


「グレアルーヴとやら、見せるがよいぞ。獣人族の誇りというものをな」


 グレアルーヴに切っ先を突きつけたジェンドメンダが、彼の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを注視している。


(この程度で終わってたまるものか。そうであろう、グレアルーヴよ)


 呼応こおうしたのか、グレアルーヴも同様に右手首を失った右腕をジェンドメンダに突きつける。


「ならば、見せてやろう」


 右手首からしたたり落ちる大量の血が空中で制止、あろうことか逆流を始めている。流れ出していた大量の血は、一繋ひとつなぎとなってグレアルーヴの右手首へとかえっていく。


 見る限りにおいて、右手首に力を込めて止血しているなどはない。グレアルーヴはそのままの姿勢を維持しているのだ。


「実に面白い。その方の血縛術サグィリギス一端いったんということか」


「ありえないですわ。吹き出した血液が、再び体内へ還元かんげんされていくだなんて」


 信じがたい光景を呆然ぼうぜんと眺めつつ、シルヴィーヌがつぶやく。先ほどから彼女の視線はマリエッタとグレアルーヴとを交互に行ったり来たりで、何とも目まぐるしい。


「シルヴィーヌ、ちょっとは手伝いなさいよ」


 それどころではないマリエッタが、シルヴィーヌに向かって叫んでいる。


 マリエッタはマリエッタで、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを相手に悪戦苦闘中なのだ。マリエッタの有する魔力量は一般的な魔術師の数十倍、もしかしたら百倍近くあるかもしれない。それはすなわち当代賢者にも匹敵する。


 その魔力量をもってしても、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを一向に制御できないでいる。マリエッタはまだ理解していない。


 魔剣アヴルムーティオたる皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、単純に魔力を注ぎ込むだけでは制御できないのだ。むしろ、圧倒的な魔力を魔剣アヴルムーティオの意思に反して注ぎ込めば、暴走を引き起こしかねない。


「もう。まるで暴れ馬ね。これだけ魔力をめても、まだ制御できないなんて」


 マリエッタが皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握る両手に、魔力を凝縮させていく。皇麗風塵雷迅セーディネスティアも、マリエッタに負けじとさらに暴れ回り、四方に暴風をき散らす。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握るマリエッタは、いわば風の中心点にいるも同然だ。


 魔剣アヴルムーティオから吹き出す強烈な風が周囲の大気をもみ込み、全てを奪い去っていく。マリエッタにとって、生命線とも言うべき新鮮な酸素をもだ。


 マリエッタは魔力を注ぐことに集中するあまり、刻一刻と変化していく自身の周囲の状況が把握できていなかった。


 この状況に真っ先に気づいたのはセレネイアだ。


 心の葛藤はあるものの、何よりも大切な二人の妹から目を離すなどできない。だからこそ、暴走する皇麗風塵雷迅セーディネスティアを力づくでしずめようとしているマリエッタに危惧きぐいだきながら、見つめていたのだ。


 魔力の時とは全く逆だ。皇麗風塵雷迅セーディネスティアの使い手たるセレネイアだけが分かる。


 魔剣アヴルムーティオとは、魔力と剣技をもって特性を引き出すものだ。本来であれば、その双方を兼ね備えた者こそが扱うものであり、皇麗風塵雷迅セーディネスティア魔剣アヴルムーティオとしてあまりに特殊すぎるのだ。


「シルヴィーヌ、マリエッタを止めて。魔力を注げば注ぐほど逆効果になるわ」


 かつてないほどの大声を張り上げる。セレネイアの声はシルヴィーヌにまで確実に届いていた。


 セレネイアの声に目を丸くしているシルヴィーヌが、行き来していた視線をマリエッタに固定した。慌てて状況を確認する。


「ああ、マリエッタお姉様、やっぱり任せるんじゃなかったです」


 大きなため息を一つく。シルヴィーヌはすかさず魔力網を広げ、制御という名のもと、皇麗風塵雷迅セーディネスティアなだめにかかる。


「酸欠などで倒れたりしたら、思いきり笑ってあげますからね」


 薄く伸ばしたシルヴィーヌの魔力が皇麗風塵雷迅セーディネスティアを的確に包み込んだ。

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