第220話:セレネイアの折れた心

 暴走が止まらない。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、今やシルヴィーヌの魔力網に完全に包まれている。それでもなお、吹き荒れる暴風をもって強引に打ち破ろうとしている。


(駄目、マリエッタお姉様の魔力が注がれ続ける以上、私の制御だけでは宥められない。どうしたら)


 シルヴィーヌにも明確な対処方法が分からないのだ。いっそうの焦燥感にられる。


 そもそもの暴走原因を作ったのは、他ならぬセレネイアだ。この暴走を止めるための手立ては一つしかない。だからこそ、ザガルドアが動く。


「ディグレイオ、トゥウェルテナを頼む。グレアルーヴは、大丈夫だろう」


 ザガルドアはしゃがみ込むと、トゥウェルテナのほおを優しくでる。身体は完全に硬直、その肌さえ、まるで岩のようだ。


「トゥウェルテナ、もう少しの辛抱だ。グレアルーヴが必ず勝つ。そうだろ、ディグレイオ」


 視線を彼に向け、笑って見せる。


 それが心配させないための強がりからなのか、あるいは素直に本心からなのか、ディグレイオには分からない。


 そんなことはどうでもいいのだ。唯一、確信しているのは、グレアルーヴが絶対に勝つということだ。疑う余地は一切ない。


「もちろんです、陛下。必ず勝ちます。誇り高き獣騎兵団を率いる男、それがグレアルーヴ団長なのですから」


 軽く肩を叩いて、ザガルドアが立ち上がる。二人の妹を見つめ続けるセレネイアに視線を転じる。


「セレネイア第一王女、行くぞ」


 突然、名を呼ばれたセレネイアが思わず振り返り、怪訝けげんな表情を浮かべる。意図が分からない。行くと言われても、どこに行くと言うのか。


「行くと言ったら、妹たちのところに決まっている。俺が、守る。一気に駆けるぞ」


 行ったところで、自分には何もできない。セレネイアは、今まさに迷いの中にいる。頭も心も彷徨さまよっているのだ。その思いを素直に口にする。


「ザガルドア殿」


 何とも、弱々しい声だ。


「私が行ったところで、何もできません。かえって、妹たちに」


 セレネイアと接した時間は、わずかしかない。その中で、ここまで折れそうになっているセレネイアを見るのは初めてだ。


「セレネイア、厳しいことを言うぞ。何もできないだと。なぜ、己自身で勝手に限界を決めているんだ。己の中に狭いおりを作るな。そんなものはな、ただ壊すためだけにあるんだ」


 これまでの敬称ではない。セレネイアと、名前を呼び捨てだ。ザガルドアの意を決した言葉だった。


「そなたは第一王女だ。王族だ。国に生きる民を守る責務がある。己のからさえ破れぬ未熟者に、どうして民など守れようか。足手纏あしでまといになるだけなら邪魔だ。今すぐ、ここを去れ」


 まだ十五歳という年齢で、この場に立っていること自体、められてしかるべきだろう。そのうえで、あえて厳しい言葉を投げつける。傷つけてしまうのも覚悟のうえだ。


「へ、陛下、それはあまりに」

「黙れ、ディグレイオ。過去、戦場において、弱き者はどうなった」


 ザガルドアは、自身の立場を明確に示しているのだ。


 ゼンディニア王国を統べる為政者として、最強の十二将を束ねる最高責任者として、己が自覚を言葉にして、セレネイアに知らしめている。


 厳しさの中に見せるザガルドアなりの優しさだった。不器用な彼らしい。


≪よくぞ、言ってくれたわ。貴男がザガルドアね。礼を言うわ≫


 直接、脳裏に言葉が響く。


 ザガルドアとセレネイア、ディグレイオにも、その声は届いている。


 誰だ、などという無粋な問い返しはしない。できない。その声が許さないのだ。


≪フィア様≫


 フィアはセレネイアをて、逡巡しゅんじゅんしている。


 戦線離脱させるべきだろうか。さすがに、ここまで無力におちいるとは思っていなかったのだ。


 ファルディム宮で皇麗風塵雷迅セーディネスティアを授けた際、彼女の覚悟はしかと聞いている。それをもって、フィアは認めたのだ。それが、今のセレネイアはどうだろう。まるで、その辺にいる普通の少女と変わらない。


≪仕方のない娘ね。妹に魔術を放たれたことぐらいで、ここまで落ちてしまうとはね≫


 逡巡は逡巡として、言葉には一切容赦のないフィアだ。言いたいことは、先にザガルドアが言ってくれている。


 一番の嫌われどころを買って出るつもりだった。それを彼が肩代わりしてくれたのだ。それだけでも、フィアにとっては楽なものだ。


 次はフィアがとどめを刺すことになる。折れるか、立ち直れるかは、セレネイアの精神力による。告げる言葉も決まっている。


≪私の愛しのレスティーを落胆させるつもりなの。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを貴女に授けたのは間違いだったわね。魔剣アヴルムーティオを理解し、振るう気もないなら、宝の持ち腐れよ。返してもらうわ≫


 フィアは、あえてザガルドアにもディグレイオにも聞かせている。二人に言葉を差し挟む余地を与えずにだ。


 フィアの正体を知らない二人にしてみれば、何と残酷な言葉を投げつけるのだろう、と思わずにはいられない。一方で正確に的を射ているとも思う。


 セレネイアが十五歳という少女であろうと、第一王女であろうと、一度ひとたび戦場におもむき、敵と対峙している以上、泣き言など一切通用しない。


 ザガルドアがディグレイオに問うたように、戦場においては弱者は強者にまれる運命だ。呑まれる前に、切りひらけるかいなかは己次第であり、そこで命運が決まる。


 ザガルドアも、ディグレイオも、強い瞳をもってセレネイアを見つめている。あわれみからではない。同情からでもない。めた思いを、言葉ではなく、瞳の力をもってセレネイアに伝えているのだ。


 フィアが言葉をつむぐ。


皇麗風塵雷迅セーディネスティアは、決して貴女のものではないのよ。私の愛しのレスティーが、貴女たち三姉妹に授けたものなの。三人揃ってこそ、一人前なの≫


 セレネイアからの言葉は待たない。待つ必要もない。言葉など不要だ。態度と行動で示せばよい。


≪妹からの魔術行使が、それほどまでに衝撃だったの。あの子の取った手段は、彼も言っていたわね。最善だったわ。セレネイア、それを信じないのは貴女の傲慢ごうまんね。一人で何でもできると思ったら、大間違いよ≫


 フィアの言葉がセレネイアの心をえぐっていく。フィアは奥底まで抉るつもりなのだ。


≪そんなところで立ち尽くしている暇があるなら、どうして妹に直接尋ねないの≫


 強制的にセレネイアの視線をマリエッタに向けさせる。その程度、フィアには造作もない。


≪よく見なさい。このままでは、あの子は皇麗風塵雷迅セーディネスティアの魔力に呑み込まれるわよ。貴女を助けた大切な妹を、貴女が死なせるのね≫


 セレネイアが、全身から力が抜けたようにその場にひざからくずおれる。見るにえない。あまりの痛々しい姿に、ザガルドアもディグレイオも、ただ呆然と立ち尽くすしかできない。


≪そうなっても、私は、助けないわよ≫


 最後の言葉が、セレネイアの心を奥底まで抉り、貫いていく。


 直後に響き渡る絶叫、セレネイアの口から発せられたとは思えないほどの大音量が大地を揺るがす。


 この時、全ての動きが止まった。


 ザガルドア、ディグレイオは当然として、相対しているグレアルーヴとジェンドメンダもだ。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアの暴走と戦っているマリエッタ、姉を助けようと懸命に魔剣アヴルムーティオなだめるシルヴィーヌも同様だった。


 唯一、フィアだけが感情を廃した視線をセレネイアに向けているのみだ。


 いや、もう一人いる。彼女だけが、口を開くことができた。

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