第221話:それぞれの思いを乗せて

「ディ、ディグレイオ、私の、湾刀を」


 強力な魔術で固定されてしまったかのような重い口を、必死に動かす。それだけの動作があまりに苦しい。涙が出そうだ。


 トゥウェルテナは、何とか言葉を絞り出した。ディグレイオが慌てて視線を落とし、彼女に尋ね返す。


「トゥウェルテナ、お前の湾刀だ。二本ともあるぞ。どうすればいいんだ」


 身体の自由がかないトゥウェルテナに湾刀を渡したところで、どうなるというのだ。ディグレイオは疑問に思いつつも、彼女の望みなら全てかなえてやりたい。そう思っているところだった。


「わ、私の、手、に」


 途切れ途切れに、言葉が音になってれる。ディグレイオは何度もうなづきながら、もうしゃべるなと言わんばかりに、一対の湾刀をすぐさまトゥウェルテナの両手に握らせる。


「くそ、指一本さえ動かせないなんて。これでは、握らせるどころか」


 全ての指が、完全に硬直してしまっている。ディグレイオは必死に指を曲げようと試みるも、まるで鋼鉄のごとくびくともしない。


「頼む、動いてくれ」


 自然と熱いものがあふれてくる。それがこぼれ落ち、湾刀のやいばらしていく。


 刹那、それは起こった。


 まるで、乾いた砂漠に一滴の水が吸い込まれていくかごとく、ディグレイオの涙を受け止めた刃が美しい輝きを発する。またたく間に、トゥウェルテナの身体を包み込んでいく。


 白銀しろがねきらめく刃は、金色こんじきへと変じ、さらについとなるもう一本にも波及していく。トゥウェルテナの身体も、また金色に染まっていく。ここまでに受けた傷が、ゆっくりとふさがっていく。


 一対の湾刀の刃が等しく金色に輝いた瞬間、トゥウェルテナの身体を縛りつけていたジェンドメンダの血縛術サグィリギスは、その効力を消し去られていた。


「有り難うね、ディグレイオ。貴男のお陰で助かったわ」


 血縛術サグィリギスの呪縛が解けたからといって、すぐに動けるわけではない。トゥウェルテナはようやくにして上半身を起こすと、まずはディグレイオに礼を述べ、それからザガルドアに視線を向ける。


「陛下、ご迷惑をおかけしました。敗北の責任はいかようにも」


 ザガルドアの目を直視する。これまでと同じだ。強い目をしている。


 トゥウェルテナは感じていた。これまでなかったものが、強さの中にある。それはいたわり、優しさといったものだ。記憶が戻る前には決して見られなかった。


 トゥウェルテナは、ザガルドアがセレネイアにかけた厳しさの中に優しさをめた言葉をしっかり聞いていたのだ。


「トゥウェルテナ、お前が無事に戻った。それが全てだ。十二将とて敗北するのだ。責任を取りたいなら、お前自身が決めろ。俺が言うことではない」


 無理に起き上がろうとして、ふらつき、倒れそうになるトゥウェルテナをディグレイオが受け止める。


「おい、無理をするな。お前はまだ休んでいろ。団長と俺に任せろ」


 ディグレイオの心配は嬉しい。トゥウェルテナにしかできないことがある。休むとしても、それをしてからだ。


「何だよ、お前、何を笑ってるんだよ。強がりならめておけよな」


 笑みを浮かべているトゥウェルテナを不審に思ったか、ディグレイオが問い詰める。


「ディグレイオこそ何を言っているのよ。貴男に、あの娘を止められるのかしらあ」


 ディグレイオが先ほどから考えていたもう一つの問題を何とかしなければならない。


 セレネイアの尋常ではない絶叫は、わずかの間とはいえ、ここにいる全ての動きを封じたのだ。あの揺れはまぎれもなく魔力波だ。


 魔力をほとんど有していないセレネイアから発せられたものとは、とてもではないが思えない。それほどまでの爆発的な魔力量だった。


「あれは、貴男一人では対処できないわ。私に、任せなさいな」


 再び視線をザガルドアに転じる。


「陛下、よろしいでしょうか」


 できるかいなかは問わない。問う必要もない。トゥウェルテナがやると言っているのだ。ザガルドアは黙したまま首を縦に振る。トゥウェルテナの顔に笑みが広がる。


「ディグレイオ、手伝って」


 全てを語っている時間はない。ディグレイオも、何をしたらよいかなどあえて問わない。全てに不満をぶつけるディグレイオにとって、トゥウェルテナは比較的気の許せる相手なのだ。


「お前をかついで、セレネイアのもとにければいいんだな」


 馬鹿言ってるんじゃないわよと思う反面、それもよいかもと考え直すトゥウェルテナだった。


 まだ身体は意思のままに自在に動かせない。敏捷性と反応速度の早さが持ち前のトゥウェルテナにとって、運動機能がそこなわれることは致命的だ。


 回復に時間をかけている余裕がない中、無駄な体力消耗は極力抑えたい。ディグレイオの言葉に乗らない手はない。決断は一瞬だ。


「ディグレイオ、それでお願い。でも、セレネイアじゃないわ。あの魔剣アヴルムーティオに呑まれている妹のところよ」


 ディグレイオが目測する。


 彼の脚力で、トゥウェルテナを担ぎ、セレネイアのもとに行くまで、およそ七フレプトか。妹マリエッタのところまでとなると、その倍以上、およそ十五フレプトは必要だ。


 その間に万が一、ジェンドメンダの攻撃がこちらに向けられたらトゥウェルテナを守り切る自信がない。たかが十五フレプト、そして途轍もなく長い十五フレプトなのだ。


≪あの男は気にしなくてよいわ。マリエッタのもとまで脇目も振らずに駆けなさい≫


 この場において、フィアを知るのはセレネイアのみだ。それ以外の者にとっては未知なる存在でしかない。ディグレイオも、トゥウェルテナも、例外ではない。声の主が誰かは分からないものの、その声を聞くだけでなぜか安心できるのだ。


 フィアには、セレネイアだけではない。相対しているグレアルーヴとジェンドメンダもえている。全てがだ。その結末までも。


 フィアは心を閉じ、レスティーにだけ向けて静かにつぶやく。古代精霊語をもって。


(Bprw xus-ptyli,

Dewg tgjpli wemri,

Sqw-ri fjazrulm ajireii,

Soen-gaz Leisstyo erzji.)


 レスティーからの返答は、ただ一言だ。フィアはその言葉を胸の内に仕舞しまい、行動に移る。


≪セレネイア、ここで終わるわけにはいかないわよ。貴女には、貴女の身体には≫


 その言葉だけをセレネイアの脳裏に投げ、フィアが大気をける。


 ディグレイオもまたトゥウェルテナを左腕一本で抱え、駆け出している。


 一人残されたザガルドアは、視線を順に向けていく。まずはディグレイオとトゥウェルテナ、それからマリエッタとシルヴィーヌ、次いでセレネイア、最後に相対している二人だ。


「俺が見守るべきはグレアルーヴだな。お前の力、存分に見せてもらうぞ」


 ジェンドメンダは言うまでもなく強い。それも圧倒的強者だ。ツクミナーロ流の元師範で、獣人族の秘儀たる血縛術サグィリギスさえ会得えとくしている。


 しかも、人ではない。魔霊人ペレヴィリディスなのだ。核の破壊以外に倒す手立てはない。限りなく死のない存在だ。


 それらをかんがみても、ザガルドアは確信している。グレアルーヴなら、必ず勝つと。


 ジェンドメンダは、駆け抜けていくディグレイオを横目でわずかにとらえつつ、意識は一切向けていない。彼の目に映るのは、ただただグレアルーヴのみだ。それはグレアルーヴも同じだった。


 周囲の様々な動きは、互いにとってもはや雑音でしかない。それほどまでに相対する者同士、意識を集中させている。そうしていなければ、一撃をもって刈り取られそうになる。


 右手首を失ってなお、グレアルーヴはジェンドメンダと互角の戦いを繰り広げている。何も直接ぶつかり合うだけが戦闘ではない。


 二人の脳内では仮想戦闘が激しさを増しているのだ。刹那せつなの内に、何十回、何百回と、立て続けに高速試行する。


 互いに最適解が見つかった時、それが最後だ。間違いなく、その衝突をもって決着を迎える。


 二人のにらみ合いは続く。まさに膠着こうちゃく状態、二人の間だけが時の流れもゆるやかだ。


 まもなく、全てが動き出す。

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