第150話:ミリーティエの過去と現在

 ミリーティエのつぶやきにも似た独白に、ザガルドアもイプセミッシュもかけるべき言葉が見つからない。


 これこそがミリーティエのいつわらざる心情なのだろう。


 賢者とはそれほどまでに重荷なのか。二人は武人として、賢者の有する強大な力をうらやましく思う反面、人として背負わされた彼女の重責に心を痛めるのだった。


「フィリエルス殿、貴女方にもおびをしなければなりません。アーケゲドーラ大渓谷で完全に仕留めたと思っていたのですが、油断していました」


 丁寧に頭を下げてくるミリーティエに、フィリエルスは疑問がてら尋ねる。


「やはり、最後の炎の魔術はミリーティエ殿だったのですか。ルシィーエット様が立て続けに行使したのかと思っていました。ただ、最後の魔術は規模と破壊力が一段増していたようにも感じました」


 フィリエルスの鋭い観察力に、ミリーティエはわずかにほおを緩める。


「最後の魔術は私が行使したものです。規模と破壊力、よく観察されていましたね。確かにそのとおりです。私は、ルシィーエット様の思惑とは真逆のことをしてしまいました。結果として、この状況を作り出してしまいました」


 フィリエルスに視線を動かた後、口をはさんできたのはフォンセカーロだ。


「失礼いたします。先ほどおっしゃった、ルシィーエット様の思惑とはどういうことでしょうか。滅ぼすことが目的ではなかった、と私には聞こえますが」


 ミリーティエの視線が、フォンセカーロに向けられる。確か、彼は空騎兵団副団長にして十二将序列八位だったか。ミリーティエは心の声を閉じ、答える。


「同じ滅ぼすと言っても、ルシィーエット様のそれと私のそれとでは大きな隔たりがありました。ルシィーエット様は全てを浄化するために、私はルシィーエット様の意図に気づけないまま、単純火力で殲滅せんめつ目的をもって、魔術を行使しました」


 フォンセカーロは躊躇ためらわなかった。賢者らしからぬミリーティエの態度を好ましくも思い、感じたままを言葉にする。


「ミリーティエ殿は、随分とご自身を否定的に見られているようですね。なぜなのでしょう」


 賢者という立場上、他の者には想像もつかないほどの苦労があるだろう。それにしても、彼女のこの自信のなさはどこから来るのだろうか。


 アーケゲドーラ大渓谷では、ミリーティエの行使した魔術が空騎兵団の窮地きゅうちを救った。それは疑いようのない事実だ。力の使い方は個々で異なる。当然のことだ。


「ルシィーエット様の魔術が人を救ったように、貴女の魔術もまた人を救った。それでは駄目なのでしょうか」


 ミリーティエの置かれている状況は複雑だ。ルシィーエットの指導のもと、当代レスカレオの賢者に就任して、およそ七年が経とうとしている。その間、先に述べたとおり、ミリーティエは魔術高等院ステルヴィアにほぼ引きこもり状態だった。


 彼女自身の性格も厄介やっかい極まりない。魔術に対する探求心こそ非常に深いものの、執着心が半端はんぱないのだ。その執着が他者を平気で排除することにつながり、度々たびたびステルヴィア内で衝突を起こしていた。


 しかも、問答無用で実力行使に及ぶため、いっそうたちが悪い。人嫌いもその要因の一つだ。数日間、一言も口を開かないことなど日常茶飯事だった。


 ゆえに、彼女への評価は等しく一致していた。魔術は秀でているが、性格に大いに難あり。ステルヴィア一の要注意人物と見られていたのだ。


 ルシィーエットの後継を選ぶ際、大いにもめたことは言うまでもないだろう。候補者は三人、最終的に残ったのは、予想に反してミリーティエだった。その後、賢者に任命するかどうかで議論は真っ二つに割れた。


 強硬に反対した張本人こそがルシィーエットだった。ルシィーエットは、ミリーティエの魔術への飽くなき探求心と研鑽けんさん、そして彼女の本質そのものを天秤にかけた結果、反対するに至ったのだ。


 賢者とは、全てにおいて秀でた者こそがなるべき、それが徹頭徹尾てっとうてつび変わらないルシィーエットの強い思いなのだ。


 数ある反対の声を封じたのは、ビュルクヴィストだった。彼は院長権限をもって、ミリーティエを次のレスカレオの賢者に抜擢した。


 そうなれば、必然的に師はルシィーエットになる。彼女が師として最初にしたこと、それは性格の完全矯正だった。その間、魔術の手解てほどきは一切行わなかった。


 やがて、一年が経った頃、ようやくミリーティエに変化のきざしが芽生めばえ始めた。師と弟子、互いに憎み、いがみ合う関係も、ここを起点にして少しずつ改善されていく。


 持って生まれた本質は、そうそう簡単に変わるものではない。変えようがない、と言った方が正しいだろう。


 今のミリーティエを苦しめているのは、まさにその本質部分なのだ。


「フォンセカーロ殿、有り難うございます。そのような言葉をかけてくれたのは、貴殿が初めてです。私にとって何とも嬉しい収穫です」


 はにかんだ笑みを浮かべるミリーティエは、それをすぐに消し、再び言葉をつむぐ。


「この短期間で、私にも色々なことが起こりました。賢者として、常に完璧であらねばならない。その思いに、今も変わりはありません。その思いが強すぎるあまり、天狗になっていたのでしょう。あの御仁と出会って、初めて気づかされました」


 あのパラティムでの手合わせで、ミリーティエは全ての矜持というものを、いとも簡単に吹き飛ばされてしまった。そのおかげもあってか、彼女はようやく目覚めることができたのだ。まさに、自身のことが何も分かっていなかったのだ。失笑する以外にない。


「先ほどザガルドア殿がおっしゃったとおり、私につけられた呼称は全て正しいものなのですよ。自慢にもなりませんが」


 自嘲じちょうするミリーティエに対し、誰もが無言を貫いている。生半可な言葉はかけられない。むしろ、それは罪でもある。


 魔術高等院ステルヴィアは何かと秘密に包まれている。


 現院長のビュルクヴィストは、スフィーリアの賢者時代より、ステルヴィアにいるよりも外にいる方が長いと言われるぐらい放浪を重ねてきた。それは今でも変わらず、ステルヴィア一の有名人となっている。


 比べて、三賢者はその存在こそ各大陸、各国に知れ渡っているものの、彼らの本質はおろか、実際に会ったことがある者は少ない。いわば未知の存在、ある国にとっては救世主、ある国にとっては脅威でもある。


「くだらない自分語りで、貴重なお時間を取らせてしまいました。申し訳ございません。そろそろ、私はおいとまするといたしましょう」


 ミリーティエの右手が宙に走る。再び、鳴り渡る硬質音、空間が四方に割れ、魔術転移門を作り上げていく。


 背を向けようとするミリーティエを呼び止めたのはザガルドアだ。


「ミリーティエ殿、世話になった。感謝する。賢者とは、かくも大変なものなのだな。俺は何も知らなかった。それを直接聞けてよかったと思っている。次はアーケゲドーラ大渓谷か。再会を楽しみにしている」


 ミリーティエの表情が瞬時にかげる。誰の目から見ても、明らかな変化だった。


「私は」


 言葉が止まる。しばし、考え込む。再び、口を開く。


此度こたびの戦いにおもむくことはないでしょう。力不足です。魔霊鬼ペリノデュエズと戦った経験もありません。院長決定なのです。行きたくとも、いたかたなしです」


 イプセミッシュがザガルドアの意図を代弁する。


「では、ミリーティエ殿、こういう形ではいかがだろうか」


 賢者は、各国の要請を受けて動くことになる。そこには条件がある。賢者が動くに相応しい正当な理由があること、そのうえで時の院長が承諾すること、この二点だ。


「此度の戦いは、人と魔霊鬼ペリノデュエズの戦い、必ずや賢者の力が必要となる。ゼンディニア王国は陛下の名をもって、レスカレオの賢者ことミリーティエ殿に助力を要請する」


 思いがけない言葉に、ミリーティエは目を見張った。信じられない思いで、ザガルドアを、イプセミッシュを見つめる。


「思いがけないご提案にどのようにお答えしてよいか。お二人は、私の先ほどの言葉を聞いておられたでしょうか。私は、レスカレオの賢者でありながら、力も経験も不足という理由で、院長より待機を命じられているのですよ」


 ここにいる全ての者の目が、ザガルドアに注がれた。

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